再びの共同戦線
折川と合流したレイは、公安の車の中にいた。
外観はキャンピングカーのようだが、運転席の後ろにはモニターや最新の機材が積みこまれている。今は折川の部下が、無事な盗聴器の音から雑音を取り除いていき、琴の居場所の手がかりとなるような音や声が聞こえてこないか探っていた。
「正直、出会いがしらに二、三発は食らうと覚悟していた」
「琴を作業玉にしたことについてですか? どうせ父の差し金でしょう」
苦い顔をして言った折川に、レイはせせら笑った。
「……折川さんに琴を止めてほしかったという思いはあります。でも、琴はああ見えて頑固だ。琴が作業玉をしているということは、彼女は自ら選んで作業玉になったんでしょう。それが誰かのためになると信じて」
「そこまで分かるのか」
「ええ。だから怖い。人のためになると分かれば、どこまでも無茶をする子だから」
これまで何度もそうだった。結乃を助けるためにシャンデリアの下敷きになりかけたこともあったし、レイを助けるため、爆発するホテルのエレベーターから降りたこともあった。
「……エレベーターの音がしたな」
微かに聞こえたピンポーンという音に反応し、折川が言った。
「隠れ家のマンションか?」
「いえ……恐らくはホテルでしょう。マンションならばオートロックのドアを開けるために立ち止まる必要がありますが、蒼羽の足音はずっと聞こえている。……まあ、襲撃されたばかりの蒼羽が防犯の緩いアパートに隠れ住んでいるなら話は別ですが。蒼羽の足音が小さくなったことから考えても、絨毯の敷かれた場所に入ったのは間違いありません」
「そうなると、ホテルの可能性が高い、か。さすがだな、神立刑事。君はいつでも冷静だ」
「いえ?」
レイは耳を最大限研ぎ澄ませて言った。
「はらわたが煮えくりかえって、どうにかなりそうですよ」
「…………。車の走行音の長さから考えて、関東圏内にいるのは間違いないだろうが……居場所がホテルと分かっただけでは捜査範囲を絞るのは苦しいな」
「……もう少し搾れますよ。関東圏内の十五階以上に客室があるホテル。そして、そのホテルはノワール社製のエレベーターを使用しています」
「な、何でそんなこと分かるんですか!?」
機器を操作していた折川の部下がたまげた様子で振り返った。レイは肩を竦める。
「エレベーターにいた時間を計れば、十五階以上が妥当だと。それから、到着を知らせるチャイムがドレミファソラシドのラのシャープと、ファのシャープでした。これはノワール社のエレベーターの特徴です」
レイの発言に口をポカンと開く部下へ、折川は「神立レイはこういう男なんだ」と言った。
それからレイが出した条件のホテルをピックアップし、各地に散った捜査官にしらみつぶしに当たるよう通達する。
「だが、これでもまだ候補が多すぎる……」
顎に手を当て、唇を噛むレイ。その耳に、蒼羽と部下の声が聞こえてきた。
『蒼羽さん、少しいいですか? 明日の取引の件で……』
『リバイブの搬入に手間取ったか?』
蒼羽の声がだんだん遠くなり、盗聴器で拾えなくなる。おそらく、琴を残して部屋の外へと消えたのだろう。
「リバイブの取引は明日……」
折川が考えながら言った。
「それなら、麻薬取引が行われやすい海の近くや遊園地、大型ショッピングモールの近くのホテルにさらに絞った方がいいかもしれないな」
「……もし蒼羽を捕まえれば、リバイブの取引が行われない可能性もある。蒼羽が取引場所を吐かない可能性も。そうなれば公安はどうするつもりですか。もし琴の身の安全よりも取引を優先するつもりなら……」
「今度は君が敵に回るのだろう。神立刑事」
折川は眉間の皺を揉みながら、頭が痛そうに言った。
「反警察団体を逮捕するには蒼羽の力が必要だ。だが……我々公安は、諦めたわけではない。――――宮前琴が蒼羽真を説得し、スパイにすることを」
「何……?」
レイが不可解そうな視線を向ける。と、折川は神経質そうな目元を、初めて楽しげに細めた。
「さすがの君でも知らないだろう。神立刑事。宮前琴がこの一カ月、公安の作業玉としてどれだけ優秀な働きを見せてくれたか」
「琴が?」
「君はきっと、自分に内緒で公安の作業玉として動いていた宮前琴の不審な行動を責めただろう。当然だ。面倒を見ている彼女が危険なことをしていると知ったら止めるのは大人として当然の義務だ。まして君は彼女の恋人なのだから。……だが、我々公安は彼女の強い意志に非常に助けられた。我々だけが国家のためにと動くには限界がある。宮前琴は、そんな我々に協力し、また自らも危険を顧みず国のために何ができるのか考えて行動してくれた。私は……」
レイは、折川の花が咲き綻ぶような微笑みを初めて見た。
「私は一緒に捜査をする中で、宮前琴が恐怖に怯える瞬間を幾度も見た。それでも彼女は最後までやり遂げようとしてくれた。だから我々公安は、宮前琴が説得してくれるという希望を、蒼羽を捕えるその瞬間まで捨てはしない」
「……妬けますね。琴はそんなに素晴らしかったですか。公安の捜査官にそう言わせるほどに」
「ああ。私の顔がこの程度で済んだのは、宮前琴のお陰だ」
折川は折れた鼻をちょんと指でつつきながら言った。
「男前が上がったと思っていましたが、捜査中の怪我でしたか……。何か鎖の音がしませんか?」
折川から機器に視線を戻し、レイは鋭く言った。
聞こえてくるガチャガチャという金属音。それから、微かに混じった女の呻き声は琴のものだろうとレイはすぐに察した。
「どうやら拘束されているようだな」
折川の推測にレイも同意した。必死でもがく音が聞こえるたび、レイは拳を血が出るほど握りしめる。今すぐ救い出して抱きしめてやりたいと強く思った。
疲れたのだろうか、やがて音が鳴りやむ。しかし今度は、先ほどとは違った、一定のルールに従ったような鎖の音が聞こえてきた。
ジャ、ジャ、ジャリ、ジャ、ジャ、ジャリ、ジャリ、ジャ……。
「これは……モールス信号か……? なぜ宮前琴がモールス符号を知っている?」
折川は聞こえてくる音に驚愕を浮かべた。
「F……A……N……T……A……」
「ファンタジー」
聞こえてくる鎖の音をなぞる折川に、一足早くモールス通信の単語を導き出したレイが言った。
「は?」
「ファンタジー。僕が以前、琴にモールス符号を教えた数少ない単語の一つです。おそらく、ファンタジーランド周辺のホテルのどこかに琴はいる」
「ファンタジーランドだと!? なるほど、あそこなら港が近いし人が多いテーマパークは覚醒剤の取引場所にうってつけだ……!」
折川は歯噛みした。レイはスマホを操作すると、至急ファンタジーランド周辺で先ほど言った条件のホテルを割り出す。
「場所が分かりました。行きましょう」
「待て、神立刑事。表立った行動は……」
「公安の捜査に支障が出るのでしょう。分かっています。僕は琴を無事に取り戻せればそれでいい。そちらの仕事に手は出しませんよ」
そう言ったレイの瞳には急いた気持ちが見え隠れしていた。