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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第一章
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優しさは何よりの薬です

 レイに繋がれた手が思わず震える。温かい。小学一年生のあの日、自分が手にできなかった温もりは、こんなに優しい温かさだったのか。


 胸の奥から、じわりと温かいものが溢れて全身に染みわたっていく。


「ああ、汗ばんでてごめん。琴に早く会いたくて、駐車場から急いで上がってきたんだ……」


 琴が繋がれた手を凝視しているので、嫌がっているのだと勘違いしたレイは手をほどこうとする。琴は握った手に咄嗟に力をこめた。レイの温もりを離したくなかった。


 琴の仕草にいよいよ何かおかしいと気付いたレイは「電気をつけるよ」とリビングの明かりを灯す。


 眩しさに目を細める琴。明るくなったことで琴の顔色が鮮明に見えるようになったレイは、表情を変えた。


「琴……真っ青じゃないか! 体調が悪いのか?」


 レイの繋がれていない方の手が琴の額へと伸びる。レイは汗の張りついた琴の前髪をかき分け、額に手を当てた。


「熱はないみたいだけど……」


 レイは猫を撫でるように琴の顎の下を撫でた。リンパが腫れていないか確かめているようだ。風邪ではないと判断すると、レイはソファにぐったり横たわったままの琴が、空いた方の手で下腹部を押さえていることに気付いた。


 その仕草と青白い顔色で、勘のいいレイには伝わったようだ。


「……もしかして、生理?」と聞かれ、琴は若干の羞恥に襲われながらも頷いた。


「……立てる?」


 問われ、琴は弱弱しく首を横に振った。腰が悲鳴を上げるほど痛く、鉛でも載っているかのように重たく感じられた。


「そう。ごめん、少し痛むかも」


 そう言うと、レイは琴の膝裏に手を入れ横向きに抱きあげた。驚いて琴がレイにしがみつくと、琴の部屋のベッドへと運ばれ寝かせられる。


「制服、皺になるかもしれないけど」


 レイは琴に布団をかけてやりながら言った。それから脳貧血にならないよう、琴のふくらはぎの下にクッションを敷いて足の位置を高くする。


「薬は飲んだ?」


「薬、自宅から持ってきたの、なくて……」


「飲んでないのか……。電話してくれればすぐに薬箱の場所を教えたのに。それに、歩けないくらい調子が悪いなら、ここまで伽嶋にでも送ってもらったんじゃないのか? あいつ、どうして僕に連絡の一つも寄こさないんだ……!」


 レイがここにはいない朔夜に向かって舌打ちしたので、琴は朔夜は悪くないと訴える。


「私がサクちゃんに、『レイくんには黙ってて』って頼んだの……」


 レイの眉がぴくりと跳ねる。彼の表情が曇ったことに気付かず、痛みに顔をしかめながら琴は続けた。


「恥ずかしかったし、こんなことでレイくんの手を煩わせたくなかったから……」


 レイが手を握ってくれたことに舞い上がってしまったが、レイは徹夜明けの身だ。昨日から一睡もせず疲れて帰宅した彼に、こんな風に世話を焼かせるはめになるなんて、どこまで自分はダメなんだろう。


 自己嫌悪に襲われる琴。しかし、レイの方がずっと眉間に皺を寄せ、辛そうな、それでいて憤ったような表情をしていた。レイの手が、血の気の失せた琴の頬を撫でる。


「……――――琴、君にとって僕は、頼るにも値しない男ですか?」


「え……?」


 そういうわけじゃない。迷惑をかけたくなかっただけだ。しかし結果的に迷惑をかけることになってしまった現状では、レイにはネガティブに受けとられても仕方ないのかもしれないが。


(でも違う、レイくんに悲しい顔させたかったわけじゃないのに……)


 ふと、保健室での朔夜の言葉が蘇る。


『頼りにされないのは、彼にとって残酷だぞ』と。


(重荷になりたくなかっただけなのに、結果的に空回ってレイくんを傷つけた……?)


「ちが……っ」


 否定したくて身体を起こそうとするが、また痛みの波が襲ってきて、琴は再びベッドシーツへ沈む。勢いよく倒れてしまいそうになったのを、レイが背中を支えて優しく寝かせてくれた。


「とりあえず薬を飲んだ方がいいね」


 固い声で言い、レイは立ち上がった。


「その前にお腹に何か入れないと。ご飯を作ってくるから少し待ってて」


 言い残し、部屋をあとにしようとするレイの袖を掴んで引っ張る。高いスーツに皺が寄ってしまったことに罪悪感が湧いたが、誤解を解かねばという思いの方が勝った。


「待って。違うの……レイくんのこと、頼りにしてるよ。誰より。だから……甘えすぎて迷惑かけちゃうから、自重したいだけだったの……」


 うるんだ瞳で懸命に訴えかける。伝わってほしくて、レイのスーツを掴む手に力をこめた。


「本当は、心細かったから……レイくんが手を握ってくれて、すごく嬉しかった……」


 ずっと欲しかった温もりを、レイが与えてくれてどれだけ舞い上がったか。レイに伝わればいいのにと琴は思った。


「レイくん、ありがと……。手を握ってくれてありがと……」


(レイくんが手を掴んでくれたから、『可哀相な私』はどっかに消えてしまったんだよ)


 さっきまでは、黒く弱い気持ちが心を埋め尽くしていたのに。


「……君は」


 ややあってから、レイは小さく息を吐き出した。


「迷惑をはき違えているよ、琴」


 部屋の外へ向けていた足を再びベッドへ向け、レイは優しく琴の腹部を摩った。不思議なことに、レイの手のひらから鎮静成分でも出ているのかと思うくらい、痛みが和らいだ。


「君が言ってくれないなら、僕が注意深く君を見ることにするよ」


 微笑むレイの目がいつもの甘く優しいものに戻ったから、琴は誤解が解けたのだと胸を撫で下ろした。


「心配になるから、もっと甘えて。迷惑じゃないからね」


 そんなレイの言葉に、彼が出ていってから、琴は熱くなった目頭を掛け布団で拭った。


 レイの優しさが、薬のように全身を巡ってささくれた部分を撫でてくれる。遠い昔に刺さった棘が抜けていくようだった。

 

 とりあえずお腹を温めた方がいいと、レイが温かいココアを入れてくれたので、琴はベッドの背もたれにクッションを敷き(それもレイがやってくれた)、楽な姿勢をとってちびちび飲み進める。少し痛みが引いたうちに部屋着へと着替えた。


 断続的に吐き気に襲われ、食事が喉を通るか不安だった琴。しかしレイがお盆に載せて運んできてくれた夕食は、湯豆腐やひじきの煮物、ほうれん草の胡麻和え、それから刻んだマグロとアボカドの丼という比較的あっさり食べられるメニューだった。


「……これ、生理の時にいい食材ばっかり……」


 鉄分を多く含んだ食材や、女性ホルモンに似た働きをするイソフラボンを含んだ食材ばかりなことに驚きレイを見上げると、レイは照れくさそうに頬をかいた。


「こういった知識には明るくないから調べたんだ。ちょうど家にある食材ばかりでよかったよ」


 わざわざ調べて用意してくれたことに、胸が熱くなる。体調が悪いせいだろうか。先ほどから感情の起伏が激しい。


「食べられそう?」


「うん……。ありがとうレイくん」


 箸を差し出され、琴は小さく湯豆腐を切って咀嚼した。具合の悪い時に、レイが傍にいてくれる事実が幸せで、さっきまで生理痛が辛くて仕方なかったのに今は胸が満たされていた。


(甘えても、良いんだ……)


 甘えれば、煩わしいと思われるだけだと思ったのに、それを許してくれるレイの優しさが嬉しくて、食べ終えるまで愛しそうにこちらを見つめている彼の視線がこそばゆい。


(迷惑じゃ、ないって。私はここにいていいんだよって、全身で言ってくれてるみたい)


「全部食べられたね。はい、薬」


 鎮痛剤と白湯を差し出され、それを飲みこんだところで、頭を撫でられる。


「もう大丈夫だよ」と琴が言っても、生理痛がひどいのを黙っていたことを根に持っているのか、レイは勉強机の椅子をベッドの近くまで引っ張ってきて「眠るまで傍にいるよ」と言った。


 薬が効いてきたのか、次第に刺すような痛みは治まり、とろりとした眠気がやってくる。瞼を落とす瞬間まで、琴はレイを見ていたいと思った。


 レイの優しさで、どんどん弱くなる自分。でも、彼はそれを許してくれる。一人ぼっちじゃないと教えてくれた温もりが何より嬉しくて、琴は眠る寸前にレイが伸ばしてくれた手をギュッと握りしめた。


 夢の中で、力強く握り返された気がしたのは、願望だろうか。


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