裁きの時間がやってくる
以前反警察団体とのカーチェイスによって大破したレイの愛車は、廃車となってしまった。
それからほどなく、レイは以前と同じ車種の、滑らかな曲線が美しい白の外車を購入し直した。お腹に響く低いエンジン音の車は、その生産国では「じゃじゃ馬」と呼ばれているらしい。それを飼い慣らそうとするレイに、やはり紅茶のように品のよい見た目をしていながらも、学生時代のやんちゃな一面を感じる琴だった。
そう、普段なら、感じるのに。
「…………」
今のレイからは、普段のレイらしさが感じられない。運転中のレイに琴が不安そうな目を向ければ、ニッコリと安心させるような笑みを返してくれる。が、琴は知っている。その目は、何かを隠している目だ。
(神立次長が、よくする目と同じ……)
神立次長が笑顔の奥に、本心を隠している時と、今のレイは同じ顔をしている。
一発で駐車をきめたレイは、琴がもたもたシートベルトを外している間に車を回りこみ、助手席のドアを開けてくれた。いつもと同じだ。
「ありがとう」と言えば、手を差し出して琴をエスコートしてくれる。それもいつもと同じ。しかし、一度感じてしまった違和感は拭えない。
「……ここまで送ってくれたら、大丈夫だよ。あとはエレベーターに乗って部屋に帰るだけだし、レイくんはお仕事に戻ってくれたら……」
「いや、誰かに琴が悪意を持たれていると分かったし、部屋まで送るよ」
そう言われると、琴には返す言葉がない。押し切られ、琴はエレベーターに乗ってレイと部屋に帰った。
「レイくん、急がなくても大丈夫なら、お茶淹れようか? あ、でもレイくんの好きなコーヒー切らしてて……あとで買いに行くね」
「いや、いい。僕が仕事から帰るまで家にいて、琴」
靴とコートを脱いでリビングへ続くドアノブに手をかけた琴に、レイが言った。
「え、でも」
「必要なものがあるなら、仕事に戻る前に買ってくるから。どこにもいかないで、ここにいて」
「……え……」
琴は思わずドアノブから手を離し、レイを振り返った。
「何、どうして……大丈夫だよ、レイくん。誰かに嫌がらせされただけだし、心配しないで。過敏になりすぎだよ。何で前みたいなこと……」
なぜ突然、琴を預かってすぐの頃のように、過保護な発言をするのか。あの頃は、琴に昔のままでいてほしいから何もさせたくなかったと言っていたが、最近は成長する琴も受け入れてくれていたのに。
(大人へ変わっていく私を見守ってくれていたのに、どうして今更そんなこと……)
「きっと、サクちゃんのファンの嫌がらせだよ。だから前みたいに、誘拐される心配なんて、ないし……」
戸惑いから身体を揺らす琴を見下ろし、レイは静かに言った。
「……何で?」
その声が、雪のちらつく外よりも冷えこんでいることに、気付くのが一瞬遅れた。あっと思った時には、バンッとドアに手を突かれ、琴は短い悲鳴を上げる。驚いてカバンとコートを床に落としてしまった。
「レイくん……?」
「何でって、分からない?」
レイが自嘲気味に笑った。長い前髪から覗くアクアマリンの瞳は、氷のように冷たい。凍えた怒りがその瞳には宿っていた。
「――――閉じこめておかないと、すり抜けていくだろう、君は」
「……っ!?」
「――――限界だ」
「レイくん……っ!?」
目を見開く琴の腕を掴み、レイは自室へと琴を引っ張りこんだ。ガラス細工を扱うような手つきで琴に触れる普段が嘘のように、レイは広いベッドへ琴を突き飛ばす。
柔らかいスプリングに受け止められ、琴の悲鳴はシーツに飲みこまれた。目を白黒させ、シーツを引っ掻いて身を起こそうとする前に、視界に影がかかる。
乱れた髪のかかった顔を上げると、レイが覆いかぶさっていた。両手を頭上で一纏めにされ、琴は痛みに短く呻く。
「レイくん!? 何? 何……っ」
「琴を貶めた犯人は、必ず特定するよ。ただ――――誘拐される心配がなくても、琴は自分からいなくなるだろう」
「……っ!? 何、言って……」
レイは懐から、写真を数枚取りだしてベッドに投げだした。レイに手を拘束されたままの琴は、顔の横に散らばった写真を、首を巡らせて見る。先ほど掲示板に貼られていたものだった。おそらく、レイがくすねてきたのだろう。
そして、そこに写っていた人物たちを見て、琴はやっと思い至った。
レイが今取りだして見せたのは、加賀谷との写真でも、朔夜との写真でもない。蒼羽と折川、それぞれの人物と一緒に写った写真だった。
(まずい――――……!)
途端に、心臓が早鐘を打った。ひどい耳鳴りがする。そうだ。どうしてさっき気付かなかったのだろう。晒しあげられたショックで、すっかり忘失していた……。
(レイくんに、蒼羽さんと、折川さんといる写真を見られたんだ……!)
肩を強張らせた琴に、レイは冷たく言った。
「蒼羽さん、だっけ。彼と写っているこの写真の琴の服、土曜日にホテルで着ていた服と違うね。それからこれも、これも……」
別々の日に撮られた写真を並べられる。琴は罪の証拠をあげ連ねられ、返答につまった。
「……そ、れは……」
「蒼羽さんに会ったのは、先日の土曜日を除けば一回だけだったんじゃなかったの?」
レイの長い指が、琴の細い首筋をなぞる。激しく打つ脈が、薄い皮膚を破ってしまう気がした。頭は真っ白だ。喉はカラカラで、言い訳が何も出てこない。
目の前から発せられるレイの怒気が恐ろしくて逃げ出したいのに、琴は縫いつけられたように目を反らせなかった。