孤独におびえる夜の王
その頃、琴はホテルから脱出するなり、蒼羽が呼んだ犀星会の黒塗りの車に押し込められていた。
銃撃の影響で半ば放心状態だったが、車が蒼羽の指示で高速に乗ったところで、琴は硝煙の匂いに混じり血の匂いを拾った。まさか、と隣の席にかけた蒼羽を凝視する。
「……蒼羽さん、もしかして怪我、してます……?」
黒い革張りのシートに背を預け、運転席の部下に行き先を指示していた蒼羽は、琴の震えた声に反応してこちらを見た。
暗い色のチョークストライプスーツなので分かりづらいが、銃弾が掠めたのだろう。羽根のエクステがいくつかちぎれ、スーツの肩部分は破けて出血していた。
「大変……! 手当てしないと……! あの、高速を下りて病院に」
「病院になんざいけると思うか? 銃創なんざ見せられるか」
運転手へ病院に向かうよう願い出た琴を、蒼羽は一蹴した。蒼羽が堅気ではないこと、そして襲ってきた人物を殺そうとしていたことを思い出し、琴は身震いした。それでも怪我人を放っておくわけにはいかないと、琴は自らを奮い立たせる。
「でも……! 血が……」
そうこう言っている間に、蒼羽の手首を伝って血がシャツにシミを作った。蒼羽は痒くもなさそうに言った。
「あとで知り合いの闇医者に診てもらう」
「じゃ、じゃあ、とりあえずそれまで止血しましょう。あの、清潔なタオルか何かありませんか?」
琴が運転手に声をかけると、彼は助手席のダッシュボードからタオルを寄こしてくれた。それを手に、琴が蒼羽のスーツに手をかけようとすれば、その手を乱暴に掴まれた。握られた手首が、蒼羽の血で汚れる。
「蒼羽、さん……?」
「まさかお前に、サツの知りあいがいるとはな」
レイのことを出され、琴は息が止まった。
蒼羽のヘーゼルの双眸には、琴に対する疑心が滲んでいる。蒼羽越しに窓の外を対向車が矢のように流れていくのを見た琴は、蒼羽がレストランから琴を連れて逃げた訳、そして彼が高速に乗った理由が分かった。
(私が、刑事であるレイくんに蒼羽さんについて何か話していないか探るためだ。そして、私が質問に答えず車から降りて逃げることができないよう、高速道路に乗ったんだ……!)
琴は焦りが伝わらないよう、細心の注意を払って声を絞り出した。
「……彼には、蒼羽さんのことは何も言ってませんよ。彼に何か聞かれても、蒼羽さんが堅気じゃないと伝える気はないので、安心してください」
「だから止血をさせてください」と、蒼羽の目を真っ直ぐに射抜いて言えば、蒼羽はややあってから琴の手をほどき、破けたジャケットを脱いだ。
静脈性出血だろう。琴は蒼羽の傷口を確認したあと、出血具合を確かめ直接圧迫法で済みそうだと胸を撫で下ろした。蒼羽の方に身を乗り出し、揺れる車内で蒼羽の傷口に直接タオルを押しあてる。
黙々と処置を行う琴を見下ろしながら、呻き声一つ上げない蒼羽がぽつりと言った。
「……瑠璃は血を怖がって手当てなんざできるタマじゃなかった」
「すみません、瑠璃さんっぽくないことしてしまって」
でも、今は蒼羽の血を止めることが先決だ。珍しく憎まれ口を叩きながら処置を進める琴を見て、蒼羽は面白そうな顔をした。
「……いや、いい。お前は、本当に興味深い女だな」
「え……?」
「綿あめみたいな見た目のくせに、銃撃が起きた場所に迷わず飛び込んでくる剛毅な女だ。今も、震えるぐらい怖いのを押し殺して気丈にも俺を手当てする強い女」
止血している方とは逆の手で、蒼羽は琴の柔らかい髪を掬い、指通りを確かめるように弄ぶ。その手つきはまるで宝石を愛でるように優しくて、先ほど銃の引き金にかけていた指と同じとは思えず琴は戸惑った。
琴の亜麻色の猫毛をしばらく撫でていた蒼羽は、不意に琴の目を見て言った。
「俺はしばらく潜る。お前には会わねえ」
「え……っ」
「どうやら、犀星会を敵視している組の連中に目をつけられたようだ。さっき襲撃してきた奴らは、その組の下っ端で間違いあるめぇ。リバイブの取引が近い。それまでは潜って大人しくしてらぁ」
「リバイブの取引って……」
(それって、反警察団体とリバイブの取引をする日が近いってこと……!?)
そのチャンスを逃せば、しばらくは蒼羽が団体と接触する機会はないのでは? 何としてでも、それまでに蒼羽をスパイにしなくては……。
(どうしよう、スパイの話をここで切り出す? ダメ、他の組員が聞いてるこの車内じゃ……)
「そ、の取引の日、までに、もう一度会えませんか……?」
琴は逸る気持ちで言った。蒼羽は眉をひそめる。
「いや……」
「心配、だし、傷の具合も知りたいので……」
「今、俺と外で会うのは危険だ。さっきの三下はお前の知りあいのサツが捕まえたが、そいつらの仲間にいつどこで狙われるとも限らねえ」
「わ、私は大丈夫です。だから蒼羽さんに危険が及ばない場所で、会えませんか?」
「……」
蒼羽は琴を見下ろしたあと、小さく嘆息した。
「……分かった」
「ありがとうございま――……ひゃっ!?」
蒼羽にうなじへ手を伸ばされ、琴は彼の厚い胸板へ無理やり抱きこまれた。琴は蒼羽の胸に手をつき距離を取ろうとするものの、怪我をしているというのに、蒼羽の力は緩まなかった。
「蒼羽さ……」
「ただし、俺ァ二度と失うのはごめんだ」
蒼羽は瑠璃を抗争で失っている。もしかしたら、琴をあの場から連れ去ったのは、襲撃犯から琴を少しでも引き離したいという意図もあったのかもしれないと、琴は紫煙の匂いがする蒼羽の腕の中に閉じ込められたまま思った。