いつかを夢見る羊になって
(銃声!? 何で、何でこんなホテルで――――……)
ここは日本だ。銃声なんてそうそう聞ける場所じゃない。ならどうして――――……。
(まさか……っ!?)
一つの可能性に行きあたり、琴は力の入らぬ足を速めた。
「……琴! ついてくるなって言っただろう!」
「蒼羽さんが!」
「は?」
後ろをついてくる琴に怒鳴ったレイは、琴の様子に怪訝そうな顔をした。
「蒼羽さんが狙われてるのかもしれない……!」
「そうば……!?」
レイは走りながら、警視庁へ電話で現状を早口に報告した。
「警察だ!」
レストランにレイが踏みこむ。つい先ほどまで優雅な空気が流れていた店内は一変し、客がひいひいと悲鳴を上げながら地面を這っていた。テーブルはひっくり返り、椅子は倒され、皿や料理は散乱している。
そしてレイの視線の先では、目だし帽を被った黒いスーツの男が二人、拳銃を手にしてある男と対峙していた。――――蒼羽と。
「レイさん!」
テーブルの影にしゃがんで隠れていた蘭世が、レイの腕に巻きつく。レイは蘭世を背に隠した。
「サツだ! やべえぞ逃げるか?」
「蒼羽を殺さなきゃ帰れるか! お前はサツをやれ!」
襲撃を起こした二人組が喚く。その内の一人は、テラスの近くにいる蒼羽に向かって発砲した。銃弾は蒼羽をそれ、窓ガラスに直撃する。雪崩が起きたように、窓枠からガラスが外れて降り注いだ。客から悲鳴が上がり、店をあとにしようと人が入口に押し寄せた。
やっとレイに追いついた琴は金切り声を上げた。
「蒼羽さん!」
(ああ、やっぱり――――さっきの銃声は、暴力団員の蒼羽さんが何者かから襲撃を受けてたんだ……!)
「サツは引っこんでろ!!」
目だし帽を被った男の一人が、レイに向かって発砲した。蘭世をレストランの外に押し出したレイの髪を、銃弾が掠める。そのまま、男はレイに向かって何発も撃ちこんできた。
「レイくん……!」
「そこを動くな琴!」
駆け寄ろうとした琴の腕をひっつかみ、レイは琴を抱きこみ柱の影に身を伏せる。レイの真横を弾が通過し壁に刺さるのを見て、琴は短い悲鳴を上げた。
「レイく……」
「大丈夫だからここにいて。いいな……手にしてるのはリボルバーか……」
撃ちこまれた弾数を数えたレイは、相手の拳銃の種類から、装填されている銃弾の数を割り出す。相手が弾切れを起こし装填する瞬間を見計らい、レイは柱の影から飛び出した。
「な……っ」
男へ向かってテーブルを蹴り飛ばし、相手のバランスを崩す。その隙をついて、レイはテーブルに足をかけ、一足飛びに相手との距離をつめた。そのまま相手の首めがけて腕を振り下ろし、首を絞めたまま逆の手で拳銃を握る手を掴む。
「このまま首の骨を折られたくなかったら、素直に捕まってくれますかねえ……」
「ぐ、あ……」
レイは抵抗してもがく男の気道を圧迫して気絶させる。まずは一人だ。レイが顔を上げると、蒼羽がもう一人の襲撃犯から拳銃を奪い、発砲したところだった。轟く銃声。弾は襲撃犯の一人の片腕に命中し、血が宙を舞う。
「な……っ」
「蒼羽さん!」
レイの驚嘆と、琴の悲鳴が重なる。
襲ってきた相手にとどめの一発を放とうとしていた蒼羽は、琴の声を聞きつけ、舌打ちして手を止めた。
すぐにホテルの外からサイレンが鳴る。けたたましいサイレンは徐々に大きくなり、警察がこちらへ向かっていると如実に伝えていた。
「来るのが早すぎるな」
連絡は入れたが、それにしても到着するのが早すぎることを訝るレイ。しかし撃たれた襲撃犯が再び動き出したため、風を切るような速さで足払いをかけた。襲撃犯が目をむいている間に、みぞおちに肘を入れる。
その視線はすでに襲撃犯から蒼羽へと向いていた。
「この銃撃は貴方が原因ですか? ならば僕と一緒に警察まで御足労願い、事情を伺いたいのですが」
「冗談抜かせ。俺ァ被害者だぜ? さっきの発砲も正当防衛だろうがよ……おい!」
「え、きゃ……っ。蒼羽さん!?」
突如駆けだした蒼羽は、琴の腕を掴んだ。犯人を取り押さえているレイの真横を、琴は蒼羽に引っ張られて通り過ぎてゆく。レイのサファイアの瞳が見開かれた。それから、蒼い宝石が怒りに染まっていく。
「……っ待て! その子を置いていけ!!」
レイの怒声が、琴の耳にまとわりつく。しかし蒼羽は止まらず、琴を強引に引きずっていった。
「そ、蒼羽さん、待ってください……! あの……!」
「サツに捕まるわけにはいかねえ。いいから来い!」
どよめく廊下を抜け、パトカーが集まってきた正面玄関ではなく裏口の方へ蒼羽は走る。琴が後ろを振り返れば、追いかけようとしているレイの背中に蘭世が抱きついて止めていた。その姿にズキリと心が痛んだ。
(レイくん、レイくん……)
一体何がどうなって、こんな事態になってしまったのか。レイの隣には本来なら自分がいるはずで、蒼羽の隣は自分の居場所ではないのに。
蒼羽のコンパスについていけず、足が絡まる。気持ちが伴わないから、余計にレイに背を向けて走るのが辛く感じられた。
本当はレイのそばにいたい。が、今あの場に蒼羽を残しておくわけにもいかない。そうなれば公安の計画が水泡に帰してしまうからだ。それも分かっていたから、琴は心が裂かれるような痛みを感じながらも足を止めなかった。
そう、分かってはいたが――――……。
(ああ、どんどん、自分で自分の首を絞めている気がする。自分ができることをしようとしているだけなのに――――……)
レイはどう思っただろうか。琴が銃撃に遭うような人物と一緒にいたこと。そして逃げたことを。こんな状態で、本当にまた二人穏やかな日々に戻れるのだろうか。
琴には果てしなく遠く感じられた。