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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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いつかは白日のもとに

 そんなこんなで二週続けて、朝から蒼羽に会っている。仕事は大丈夫なのかと琴が問えば、蒼羽は問題ないと肩をすくめた。


 どんな顔をして蒼羽に会えばよいのか分からなかったが、顔を合わせれば、二人とも暗黙の了解のようにホテルでの会話はしなかった。それでも、琴はまた蒼羽がリバイブを打っているのではないかと気にかかり、黒いコートに隠れた彼の腕にチラチラと視線をやってしまった。


「またこんなホテルのレストランを……私、ラーメンとかも好きですよ?」


 都内でも有数の高級ホテルに連れてこられた琴は、クラシカルなロビーを歩く蒼羽に耳打ちする。


 高級志向の蒼羽は好いた女を豪華な場所に連れていきたいようだが、その気のない琴にとっては、恐縮するばかりだった。蒼羽と知り合ってから一カ月近く経つのに、居心地の悪さは変わらない。


「お前はどこに連れて行っても、恐れ多そうな顔をするな」


「蒼羽さんが、私には場違いなところをいつも選ぶからですよ」


「お前ぐらいの年頃だと、こういうところの方が憧れるかと思ったんだが?」


 たしかにクラスメートの中には、年上の彼氏に夜景の見えるレストランに連れていってもらったことを自慢する子もいる。世界中の宝石をかき集めて作ったようなシャンデリアが燦然と輝き、白いグランドピアノが飾られた店内なんて、インスタ映えするに決まっているからだ。


 が、琴は好きな人となら場所がどこでも、料理が何でも満足できるタイプだった。


 あいにく、今隣にいるのは恋人ではないが。


 蒼羽と店についてのやりとりをしてから、店内に入る。どうやら今日のランチはイタリアンらしい。トスカーナ地方の別荘を彷彿とさせる温かな色合いの店内は、長閑な休日のランチを楽しむ人々で溢れていた。


 季節が季節のため閉めきられてはいるが、鈍い冬の陽光が降り注ぐテラスに近い席へ座ったところで、すぐ傍のテーブルですでに料理を味わっていたマダムから感嘆の声が上がった。


「へ……」


 思わずマダムの視線の先を追う琴。そこには、たったいまレストランに入店した一組のカップルがいた。そして――――その姿を認めた瞬間、琴は胃が一段下がった気がした。


(なん、で……二人がここに……)


 上流階級の気品が漂う二人――――その内の一人は、月の光に染まった髪をきっちりと撫でつけたレイだった。


 あらわになった形のよい耳がひどく官能的だ。その隣には、以前テーマパークでひったくり被害にあっていた女性が寄り添っている。――――三乃森議員の次女、蘭世だ。


 淡いピンクのゆったりとしたショールを纏った蘭世は、テーマパークで見た時よりも落ち着いた印象だった。相変わらずミルクティー色の短い髪は緩いパーマがかかっており、ちらちらと覗く耳には、大きなダイヤのピアスが光っている。


 ぽってりとした唇が蜜でも塗ったように濡れていて、まるでレイを誘っているよう。合わせ貝のようにレイに寄り添い、親しげに話しかける彼女に、琴の中でジリジリと嫉妬の炎がくすぶった。


 二人で会うと確かに報告は受けていた。浮気ではない。でも、いざ二人でいるところを見ると胸がざわついて仕方がない。


「…………っ」


 離れて、ほしい。レイから今すぐ。しかしそれが声になることはなく、嫉妬に駆られた琴は、大事なことに気付くのが遅れた。


 そう、自分も今、異性と共にいるということに。


「どうした?」


 レイと蘭世を穴があくほど見つめる琴を不審に思った蒼羽が、琴の肩に手をやり声をかける。そこで我に返った琴は焦った。


「あ、いえ……っ」


(まずい! 蒼羽さんと一緒にいるところをレイくんに見られるわけには――――……)


 しかし、動くのが遅すぎた。他人からの視線に気付かぬレイではない。琴の視線を感じとったレイの、透き通った海のような双眸がこちらを向く。


 次の瞬間には信じられないようなものを見る目に変わり、琴のこめかみを冷や汗がつたった。まずい、まずいまずいまずい!


「そ、うばさん……あの、お店を変えませんか? 私急に、中華の気分になってしまって……」


 どっと冷や汗が吹き出す。もう遅いとは知りつつも、話しかけられなければ他人の空似で済ませられるかもしれない。琴は入口に背を向けると、蒼羽の腕を引っ張り、無理やり立たせようとした。


 しかし――――……。


「奇遇ですね」


 すぐ背後から、物腰は柔らかいのに凍てつくような声がした。背中に銃口を突きつけられたような心地がして、琴はひくりと喉を引きつらせる。


(ああ、今すぐここから消えてしまいたい――――……)


 琴は観念したように一度固く目を瞑る。と、それから勢いよく振り返った。案の定、そこには凍った月のように美しいレイが、不自然なほど綺麗な笑みを湛えて立っていた。隣に蘭世を連れて。


「……ビックリした。今からランチ?」


 二人並ぶと絵になりすぎて、琴の胸がキシキシする。しかし、今はそれ以上に――――。


 レイに本名を呼ばれて蒼羽に『望月エマ』は偽名だとばれる危険と、レイに蒼羽とのことを勘違いされる不安が押し寄せる。まるで自分は、針を当てられた風船のようだ。危機感にさらされながら、琴は懸命に平静を取り繕った。


(ああどうかレイくん、私の名前を呼ばないで……! そして勘違いもしないで……!)


 天を仰いで祈るような気持ちの琴に、レイは頷いた。


「そちらもランチですか?」


 レイの敬語に、琴は内心首を傾げる。しかし、すぐに合点がいった。相変わらず、余計な危険から守るため外では琴を、距離を置いた他人として扱うのがレイのスタイルのようだ。しかし、それならば何故わざわざ声をかけてきたのか。


 それはやはり――――……琴が見慣れぬ色男と一緒にいるせいか。


「……誰だ?」


 椅子にかけたまま、尊大な態度で蒼羽が琴に尋ねる。鷹のように鋭い眼光は、レイを敵意に満ちた様子で睨みつけていた。レイは食えない笑みでいなす。


「あ、えっと、年の離れた幼なじみです……。まさかこんなところで会うなんて……」


 まさか彼氏と言うわけにはいかず、琴は濁した。しかしその瞬間、琴の後頭部にレイからの非難めいた視線が突きささる。自分だってただの知人の振りをしたくせに。


 針のむしろに立たされている気分になり、琴はとにかく逃げたかった。


 何とかこの状況を打破せねばと琴が逡巡していると、それまで沈黙を貫いていた存在から声がかかった。


「レイさん、お二人で食事なんて、きっと私たちと一緒でデートに違いありません。邪魔をしては悪いから、私たちも席に座りましょう?」


 生クリームのように甘いフワフワした声は、蘭世のものだった。長袖の上からでもはっきりと分かる細い腕をレイの腕に絡めた蘭世は、甘えたような上目遣いでレイを見る。その視線に、琴はグッと下唇を噛みしめた。


(レイ、さん? デート……? やめて、腕を絡めたりしないで……レイくんは私の恋人なのに……)


 身を焦がすような嫉妬は、灰になって舞い上がり消えていくだけ。口には出せない。琴が奥歯を噛みしめている間に、レイは「これは失礼しました」と紳士的な笑みを蘭世へ向けた。


「では、失礼します」


「う、ん……」


 頷けただけ自分を褒めてあげたいと琴は思った。去り際に責めるような一瞥をレイに投げられ、指先の感覚がなくなる。


 蒼羽にも一礼し、同じフロアの中央のテーブルへレイと蘭世はおさまった。その際、ふと蘭世が振り返ってこちらを見つめてきた。まつげエクステの重そうな、艶っぽい瞳で。


 琴が反射で会釈すると、蘭世は厚い唇にクスリと笑みを浮かべる。何故だろうか、それが心地のよいものではなく、勝ち誇ったもののように琴には映った。


「どうした? いつもより大人しいな」


「そ、うですか……?」


 視界の端にずっとレイの姿がちらついているため、蒼羽との食事に集中できない。意識が散漫なのを蒼羽に見抜かれ、琴はごまかすようにオマール海老のパスタをフォークへ巻きつけた。


「美味しくて、食べるのに夢中で」


 嘘だ。先ほどから料理は味がしないし、どんな会話も中身がない。琴の耳は今蒼羽との会話より、レイと蘭世の会話を拾う方が忙しいし、二人が仲睦まじく笑うたびに心がざわついた。


「……幼なじみとやらが、気になるのか?」


 数度目の上の空な返事をしたところで、蒼羽が面白くなさそうに言った。琴はパスタが器官に入ってむせこむ。ナプキンで口元を押さえたが、動揺から咳が止まらなかった。


「ちが……っ、ケホッ、う……」


 慌ててブラッドオレンジのフレッシュジュースを口に運ぶものの、喉が熱く目尻に涙が浮かんだ。


「いえ、違わないのかも……けほ、こんなところで会うなんて、思わなかったし……綺麗な方を連れてたから、コホッ、び、ビックリして……」


 琴は目を泳がせながら、真実を織り交ぜて言い訳した。


「そ、それに……気恥ずかしくて、幼なじみのおにーさんに、その……ケホッ、男の人と一緒にいるの、見られたの……」


 恥ずかしそうにモジモジしながら言えば、蒼羽はいまだ不機嫌だったが琴の背中を大きく摩ってから「息を整えてこい」と言ってくれた。


 思いがけず離席するチャンスをもらい、琴はハンドバッグを手にこれ幸いと席を立つ。


(よかった……! これでレイくんに遭遇してしまったこと、折川さんに報告できる……!)


 今日も盗聴器を仕込んできたため、すでに折川の耳にはレイと鉢合わせしたことが届いているだろう。が、その後の動きをどうすべきか、向こうも琴に指示を出したいはずだ。


 琴は急いで店を出ると、トイレには向かわず、人気のない廊下まで走った。首をめぐらせ周囲に誰もいないことを確認してから立ち止まり、耳にスマホを当て折川に電話しようとする。


 しかし――――……。


「……っえ……」


 背後から伸びてきたひやりとした手が、音もなく琴の耳をくすぐる。かと思うと、琴のスマホのボタンを押し、繋がる前に通話を切ってしまった。爪の形がよい、ふしばったこの手は……。


「電話の前に、僕の質問に答えてくれる? 琴」


 耳元で羽根が掠めるように囁かれ、心臓が嫌な音を立てた。油の切れた人形のように、ぎこちない動きで後ろを振り向く。


 琴の大きな黒曜石の瞳に映ったのは、片方のポケットに手を突っこみ、冷たい笑みを浮かべたレイだった。


というわけで、やっとレイと蒼羽が邂逅しました。

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