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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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星を覆う手

(リバイブの注射痕……! まさか、蒼羽さん自身がリバイブを使用していたの……!?)


「蒼羽さん、貴方……クスリに手を出していたんですか……!?」


 思いがけず蒼羽とリバイブの関わりを知ったものの、驚愕が上回り、琴は蒼羽の肩を乱暴に揺すった。もしや蒼羽の酩酊は酒のせいだけじゃなく、覚醒剤のせいもあるのでは? そう思うと、琴は薄ら寒くなった。


 もし、酒酔いではなくクスリのせいで意識が混濁していたとしたら――――……?


「蒼羽さん! 答えて! 起きてください!」


 悲鳴交じりの声で琴が問えば、蒼羽はうっすらと目を開いた。焦点の合わない目がゆっくり琴を捉え、それから捲られた袖口から覗く腕の注射痕を見下ろし、最後に口元に自嘲を刻む。


「何だ、ばれたのか」


「蒼羽さん!」


「キーキー騒ぐな頭に響く……効果がきついヤクを探してたんだ。瑠璃が死んでから、ずっと靄がかかったような世界に生きてた。だから、目を覚ましたかったんだ。リバイブを打てば霧が晴れたように目が覚める」


 ……たったいま蒼羽の口から『リバイブ』という名が出たことで、蒼羽はシロではなくなった。琴はヒュッと息を飲んでから、動揺で早くなった鼓動を落ち着けようと、ドレスの胸元を固く握りしめた。


 琴の歪んだ表情を見た蒼羽は、酒に溶かされた瞳で笑う。


「そんな顔するんじゃねえよ。俺がクスリに手を出していて幻滅したか? 安心しろ。そろそろ仕入れた売り物に手を出すのもよくねえと思ってたところだ。もうやめる」


「売り物……」


 ということは、やっぱり蒼羽はリバイブの売人だったのだ。


 疑ってはいたが、事実として突きつけられ、琴は絶句する。愕然とする琴に何を思ったのか、蒼羽は注射痕だらけの腕を伸ばして琴を引き寄せた。酔っているとは思えない力で引っ張られたせいで、体勢を崩した琴は蒼羽に覆いかぶさるような格好になってしまった。


「きゃ……っ」


「もうやめるから、そんな顔をするな。だって、瑠璃、もう一度お前が俺の前に現れたからな」


「……!」


 琴は目をむいた。


 蒼羽はやはり酔って意識が混濁しているのだろう。先ほどまで瑠璃が死んだと認識していたのに、今は琴を瑠璃だと思いこんでいる。もしくは、琴を瑠璃の形代にしたいのか。


「もう二度と離さねえよ、瑠璃」


 蒼羽に強い力で胸元へと抱きこまれる。厚い胸板に押しつけられた耳が拾うドクドクと鳴る鼓動は、蒼羽のものか、自らのものか琴には分からなかった。


 胸に碇を落とされたような気分だ。耳元で甘く囁かれた言葉は、ひどく重い鎖となって琴の身体に纏わりつく。深い闇に飲みこまれそうだ。密着した部分から溶けあってしまいそう。


 クスリに溺れた蒼羽という闇に――――……。


「……っどういうことですか?」


 蒼羽の厚い胸板を押し、琴は厳しい声で言った。蒼羽の執着心に怯えて目的を失ってはいけない。蒼羽が酔って思考が鈍っているなら、今がチャンスだ。


「……貴方は、ヤクザだって、私に言いましたよね? それと同時に、覚醒剤の売人なんですか?」


「中卸ってやつだ。犀星会が海外の密売人から買ったリバイブの一部を、俺が末端の密売人や、ヤクを欲しがる団体に売りさばいている」


「薬を欲しがっている団体って……」


「団体名は『暁の徒』だったか……」


 それはまさに、公安が追っている反警察団体の名前だった。数ヶ月前にホテルで爆破を起こしたのも彼らだ。


(ビンゴ――――……神立次長の読みは当たってたんだ……! 蒼羽さんが、あの団体にリバイブを横流ししてた……!)


 ドドドッ、と今までの比ではないくらい琴の鼓動が速くなる。危険な人物と接していると、改めて認識した。


(じゃあ……刑事だった佐古さんを狂わせ殺人に導いたリバイブも、ファンタジーランドの引ったくりを凶行に走らせたリバイブも……元は犀星会の蒼羽さんの手から彼らの元に……)


 今まで、蒼羽を疑い切れていなかった。危ない人だとは思っていたが、彼が犯罪者だという認識が欠けていた。それが、完全にクロと分かった瞬間――――得体の知れないものに見えて、琴は緊張から吐きそうになった。息がしづらくて、琴は大きく息を吸った。


(怖い……この人を止めなかったら、どうなっちゃうの……)


 大切な人を失って自暴自棄になって、自らに覚醒剤を打つような人物が、爆破テロを起こす団体と繋がっている。そしてその人物は今、なんと琴に執着している!


「瑠璃……? 顔色が悪いな……。それとも、やっぱりお前は都合のいい俺の幻か……? 靄の中にいて幻を見てるなら、またリバイブを打つしかあるめえな……」


「だ、めです! 打っちゃダメ!」


 もう打たないと言った傍から発言を覆す蒼羽。琴は起き上がろうとした蒼羽の肩を押さえつけ、ソファに寝かし直した。しかし、蒼羽の視線は小机の方に向いたままだったので、琴はそこにリバイブがしまわれているのだろうと察した。


「眠るまで傍にいるから、寝てください……」


 クスリと酒に溺れた蒼羽が眠りにつくのを待つ。起きたら、この部屋での会話を忘れてくれていることを琴は切に願った。


 蒼羽は意識を手放すその瞬間まで、琴の手を痕が残るくらい強く握りしめていた。逃がさないと言わんばかりに。


「…………」


 やがて、穏やかな寝息が聞こえてくる。琴は手首の血が止まりそうなほど固く食いこんだ蒼羽の指を慎重に剥がし、蒼羽の寝顔を覗きこんだ。


 手負いの獣のように荒々しい雰囲気は、瞼が下りていることでなりを潜めている。琴は音を立てぬよう細心の注意を払い、小机に近付いた。息を止めて、引き出しを開ける。


「……これが……」


 まるでドラマのよう。引き出しには、小麦粉のような白い粉がビニールに入っていた。


 少し迷ってから、琴はそうっとビニールの口を開け、中身を指で少量摘まんだ。それをそっとハンカチに載せ、零さないように畳んでバッグに入れる。


 それからリバイブを元の位置に戻し、琴は足早に部屋を後にする。いまや心臓は内側から胸を突き破って出そうだ。もつれそうな足でエレベーターに乗りこむと、琴は折川に電話をかけた。




「――――無事だったか」


 琴の発信機から居場所を突きとめていたのだろう。クロークから預けていた荷物を受け取ってホテルを出るなり、焦りを滲ませた折川が出迎えてくれた。一度周囲を確認してから、琴は折川の車に乗りこむ。


「何があった。顔色が悪いが――――……」


「蒼羽さんの裏の顔は、リバイブの売人でした。『暁の徒』にリバイブを売っていたのは彼で間違いありません。スマホのボイスレコーダーで証拠を録音しました。それから、これは蒼羽さんのホテルの部屋からくすねてきたものです」


 琴は一息で言い、折川にリバイブを挟んだハンカチを渡した。


 折川は琴の発言を聞くと、顔色を変えて証拠品を押収し、慌ただしく各所に電話をかけだした。琴は後部座席で、抱えた膝に頭を埋める。


 頭が情報過多で沸騰しそうだ。めまぐるしい出来事を脳が上手く処理できない。車が揺れるたびに、胃がひっくり返るような心地がして琴は吐きそうになった。


「……宮前琴、怪我をしているのか?」


「へ……?」


 折川の問いかけに顔を上げると、電話を切った彼は琴の手首を凝視していた。パンク寸前で気付かなかったが、琴の手首はしっかり手形の痣ができていた。


「平気です……。ちょっと、強く掴まれたから痣になっただけで……」


 そっとコートの袖口を引っぱって痣を隠し、琴は俯く。怪我をしていると言われた瞬間から、急に手首が熱を持ちはじめた。荒縄で縛りつけられたような痛みがじくじくと走る。


 蒼羽の、抜き身の刀のような鋭い目。生々しい注射痕。亡き恋人への妄執。クスリを商売だと割り切ったような口調。すべてが怖い。


 車内は暖房がしっかり聞いているのに、琴は自分の腕をさすった。


「限界か? 宮前琴」


 黙りこんだ琴に折川が尋ねた。顔を上げると、いつも厳めしい表情の折川が、気遣わしげにこちらを振り返っていた。


「よくやってくれた。君が心を壊してはいけない。もし苦しいなら、君の役目をここまでにするよう私から神立次長に……」


「逃げたいです、ものすごく……。でも、このままじゃ……蒼羽さんは『暁の徒』にクスリを売り続けて、きっとそれにつられて集まった仲間が、この前のホテルのようなテロを起こすかもしれないんですよね……」


「蒼羽が覚醒剤の売人であり、反警察団体と繋がっていると判明しただけでも大収穫だ。我々ならこの先、君を使わない方法を考える。だから、君がこの先起こるかもしれない犯罪を心配する必要はない。それを食い止めるのは我々の仕事だ」


「でも」


「君が心配だ、宮前琴」


 諭すような口調で言われ、琴は口を噤んだ。仕事至上主義の折川に心配されるほど、今の自分の様子はひどいらしい。


 疲れているだろうから今日はこのまま最寄駅まで送ろう、と折川に言われ、琴は後部座席のシートにもたれた。指摘されてはじめて、身体が錆びた機械のようにギシギシと軋んでいることに気付いた。ひどい倦怠感に襲われ、泥のように眠りたくなる。


 それでも頭は冴えていた。


 危険な団体と蒼羽の関わりも放っておけないが――――……琴には懸念がもう一つあった。蒼羽自身の危うさだ。


 自分は、蒼羽の傍にはいられない。自分が隣にいるべきはレイだ。蒼羽に対して恋愛感情も一切持ち合わせてはいない。しかし――――。


(あの人、このままじゃ廃人になっちゃう……)


 クスリに頼らず瑠璃の死を受け止めなくては、やがて壊れてしまうのではないだろうかと琴は思った。


(どうすればいいのか分かんないよ……どうしよう、レイくん……)


 琴が望んだことではないが、公安に瑠璃に似ているという理由で作業玉に抜擢され蒼羽に近付くはめになった。そして、瑠璃を求めて琴に執着する蒼羽。……彼にひどく同情する。でも、彼は悪人だ。


(引くべきか、このまま作業玉を続けるべきか)


 蒼羽を止めるなら、作業玉は続けるべきだ。それに、神立次長との取引のために後には引けない。


(でも、怖い……蒼羽さんの暗い瞳に飲みこまれそうで……)


 堂々巡りにはまり、琴は答えが出せないままレイのマンション近くの駅まで辿りついた。



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