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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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子猫に危険が迫ってます

 一日デートに付き合えと蒼羽に言われた次の日、早速蒼羽からメールがきて日時を指定された。逐一そのメールを折川に転送した琴は、自室のベッドに突っ伏す。


 ディナーを一緒にするだけでも気を張るというのに、一日蒼羽と一緒となると、多大な心労が予想されて気が重い。蒼羽からリバイブのことを聞き出す最大の勝負どころだと身構えているから余計にだ。


 レイに貰ったテディベアを抱きしめながら寝返りを打てば、そこにコンコンと扉をノックする音が響いた。


「どうぞ?」


 琴の部屋へ入ってきたのはレイだった。


「今大丈夫?」


「うん。どうしたの? レイくん」


 ベッドから起き上がって座り直す琴の隣に、レイが腰掛ける。レイは柔らかく「デートのお誘いにきたんだ」と言った。


「今度の週末に出かけないか? 今は捜査一課の扱う事件が比較的落ち着いているから、休みが取りやすいし……」


「ほんとっ!?」


 レイとのデートなら諸手を上げて大歓迎だ。水族館に映画館、動物園など行きたい場所が、ポップコーンが弾けるように浮かぶ。しかし……。


「あ、でも……週末は用事があって……」


 琴はついさっきまで蒼羽とメールをしていたスマホを見下ろし、消沈した。


(よりによって、蒼羽さんと一日出かける日なんて……! レイくんとデートに行きたいよう……)


 心の中で血の涙を流しながら、断腸の思いで琴は断った。忙しいレイがせっかく時間を作ってくれたのに。きっとこの予定を逃せば、まだしばらくは遠出できないだろう。


「ごめんね、レイくん」


「いや……」


 思えば、レイの誘いを断るのはこれが初めてだ。気を悪くしてしまっただろうかと不安げにレイを見上げれば、レイは綺麗な笑みを浮かべて言った。


「――――気をつけて、いっておいで」


「……? うん、ありがとう」


 レイはいつも通りの綺麗な笑みを浮かべていた。しかし、何故か琴は違和感を覚えた。青い宝石を宿した瞳の奥に、何かを隠したような、感情を押し殺したような笑み。


 喉に小骨が刺さったような違和感の正体を掴みたくて琴は口を開いたが、レイが話し出す方が早かった。


「琴に用事があるなら、僕もその日は出掛けようかな」


「……っ蘭世さんと?」


 琴は顔を引きつらせて言った。


「……いや? 伽嶋と飲みに行こうかと思って。ここ最近しつこく誘われていたから」


 レイは朔夜に誘われた状況を思い出したのか、鬱陶しそうに言った。


「あいつには色々と借りがあるしね」


「そっか」


「ああ、でも……蘭世さんとは、また別の日に会うよう言われてるけど……」


 神立次長が電話で言っていた件だろう。代議士の娘となると、さすがのレイでも一筋縄ではいかないらしい。果たして本当に、破談にできるのだろうか。


 日が経つにすれ、ますます無謀に感じられるが、それでもレイを信じるしかない。琴は気を落ち着けるように、胸元で光るレイにもらったネックレスをいじった。


 余裕がない。なかった。レイの心をひとさじでも汲みとる余裕があればよかったのにと後悔するはめになることを、この時の琴はまだ知らなかった。







 二月になり、ますます寒さは厳しさを極める。いよいよリバイブについて聞き出す日だと意気込みつつ公安の指示の元盗聴器と発信機を忍ばせた琴は、朝から蒼羽に会うなり高級ブティックに連れこまれ、現在困惑していた。


(なんか前にも一回こんなことあったな……)


 レイとの初デートでも服を濡らしてしまい高級ブランド店に連れて行かれ、人形のように着せかえられたことがあった。既視感を覚えて目眩がする琴に、蒼羽は暖色の間接照明に照らされた広い店内から琴に似合うドレスを見繕い、恭しく応対する店員に試着させるよう指示を出す。


 髪をきっちりと結い上げた店員は、心地よい返事をすると、ルージュの引かれた口元に有無を言わさぬ笑みを形作り、琴を試着室に押しこめた。


「蒼羽さん、あの」


「いいから試着してこい」


 そう言う蒼羽は、珍しくジャケットにタイを絞めている。正装している彼は、傍若無人な御曹司に見えぬこともなく、店員たちからのうっとりした視線を集めていた。


「でも、何でドレス……?」


 弱り果てた琴は、すごすごと上質なジョーゼット生地のカラードレスに袖を通した。


「それを着ていくぞ」


 琴が小部屋のような試着室から出るなり、一つ頷くと蒼羽は言った。


 春を先取りしたような柔らかいピンクのドレスは袖口部分のレースが蝶のようにヒラヒラと揺れている。ふんわりしたシルエットのドレスを着た琴は、鎖骨部分が露出するためレイにもらったネックレスを外してカバンにしまったことにばかり気を取られていたため反応が少し遅れた。


「え、えっ!? 着ていくって……どこに? ああ、待ってください、私、お金……」


「出させると思うか? お前のものは全て俺が買い与えてやらぁ」


 琴の栗色の髪に映える髪飾りと靴、果てはドレスに合うバッグまで揃え、支払いを済ませようとする蒼羽に琴は泡を食いつつも渋った。


「いえ、でも、何で急に服を……!?」


 もしや普段の服装があまりに子供っぽく、並んで歩くのが不愉快だったのだろうか。これでもクローゼットの中から大人っぽい服を選んで着てきたつもりなのだが。


 おどおどする琴。そんな琴を見た蒼羽は、酷薄な印象の薄い唇を意地悪そうに歪めると、琴の耳元にそっと囁いた。


「男が女に服を送るなんざ、理由は決まってるだろう? 脱がすためだ」


「な……っ!?」


 瞬間的に、琴の頬が熱を持つ。咄嗟に胸の前で腕を組み身を守ろうとした琴に、蒼羽はくつくつと喉を震わせた。


「――――……冗談だ。これからオペラを観に行く。さすがにテメエの普段着じゃちょっとな」


「オペラですか……?」


 蒼羽とオペラがすぐには結びつかず、琴は目を丸める。ポカンとする琴の頤を持ちあげ、思い出したように「ああ、でも」と蒼羽は言った。


「冗談ってわけでもねえがな」


「へ……」


「脱がすこと」


 琴の顎を掴んでいた蒼羽の手が、滑るように下へと下っていく。肉食獣に捕食されるウサギのような危機感を覚えた琴は、大慌てで試着室の扉を閉めた。


(しん……っぞうに悪い! 蒼羽さん!)


 琴にはレイだけだ。一欠片もときめいたりなんてしない。しないのだが、なんせあの猛禽類のような眼光で射抜かれると心臓がざわつく。


 子猫を宥めるような口調で「機嫌を直せ」とドア越しに声をかけてくる蒼羽を無視し、琴は平常心を取り戻そうと試みる。大分落ち着いたところで、琴は現在の状況があまりよろしくないことを認識した。


「どうしよう……」


 つい口から零れ出た言葉は思っていたより深刻な色を秘めていた。


 履いてきた靴の底には盗聴器が仕込まれている。が、取り外し方が分からないので、もし蒼羽が用意した靴に履きかえ、履いてきた靴を車に荷物として置いていけば、公安の人たちに会話を拾ってもらえない。


 それはつまり――――いつもは盗聴器を聞いている折川から、ピンチや会話に窮した時などは電話で助け舟が入ったりするが、今日はそれが得られないということだ。


 着ていた服に取りつけていた発信機はなんとかカバンに潜ませることができたので、公安の面々が追ってくれてはいるだろうが……今日は電話で彼らの知恵を借りることは叶わないのだと思うと、途端に不安がこみ上げてきた。


(とりあえず、バーに連れこんだら、スマホのボイスレコーダーは起動させておこう……)


 一抹の不安を抱え、琴は蒼羽に連れられてオペラが上演される国立劇場へと向かった。



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