あるいは甘い砂糖菓子
マンションに横付けされた公安の車を降りるなり、琴はエレベーターに飛び乗り部屋の鍵を開けた。幸いレイはまだ帰っていなかったため、琴はコートを脱いで自室のハンガーにかけると、大急ぎで風呂を沸かし入った。
ゆっくりしている暇はない。レイに公安の仕事を手伝っているとばれないためには、家にいた振りをするのが一番だ。
(……気持ちの整理がつかないよ……)
琴が風呂から上がり洗面所から出ると、すでにレイは帰宅し、リビングのソファでくつろいでいた。神立次長からレイが帰宅する旨は知らされていたが、何も知らない風を装い、琴はレイへ声をかける。
「ビックリした。レイくん、朝帰りになるかもしれないって言ってたのに早く帰ってこられたんだね」
「ああ。別件の用事がなくなったから……あ、琴ごめん。部屋の電気がつけっ放しになっていたから、勝手に入って消しちゃったよ」
「ええっ。急いでたから、すっかり忘れてたみたい。ありがと」
「気にしないで。……おいで、拭いてあげる」
レイはスーツ姿のまま琴を手招きする。ネクタイの緩められた首元から覗く鎖骨がセクシーだ。琴はちょっと迷ったが、甘えることにした。作業玉になってからというもの、レイといる時間は今まで以上に琴の癒しとなっていたからだ。
作業玉の件は極秘事項であるため、どうしたってレイには何も言えない。それならせめて、明るい家で、世界一優しい金髪碧眼の彼と戯れる時間がいかに平和であるかを琴は噛みしめたいと思った。
レイが座るソファの隣に沈めば、レイは琴の肩にかかったタオルで、琴の濡れた髪を撫でるように拭き始める。琴がくすぐったさに目を細めると、レイは身長差のある琴の旋毛へそっと口付けを落とした。たちまち恥ずかしさから頬を染める琴を愛しそうに見下ろし、レイは鼻先を髪へ寄せる。
「……琴、シャンプーの香りがする」
「ん……お風呂上がりだからかなぁ?」
「一緒の物を使ってるのに、琴の方が甘く感じるね」
「そう? あのね、引っ越してきた頃、レイくんとお揃いの香りなの嬉しくてドキドキしたんだよ」
同居を始めた初日、レイとお揃いのシャンプーを使用することに特別な気持ちを感じたのを思い出して、琴はふんわりとした笑みを浮かべて言った。
それから、とりとめのない会話をしながら髪を拭かれる琴。拭き終わった合図に、レイにまろい頬を撫でられ、うとうとしていた目が開く。と、次の瞬間、風呂上がりで蒸気したその頬にかぶりつかれた。
「ふえっ!?」
(た、食べられ……!?)
呆然として頬に手を当てた琴は、頬がなくなっていないのを確認してから焦った口調で言った。
「なん……え、レイくん、食べちゃダメ!」
「つい美味しそうで」
男らしい喉仏を震わせて笑うレイに、琴は金魚のように口をパクパクさせた。
「琴はどこもかしこも、甘い香りがするから美味しそう」
「ええー……? しないよ……」
風呂上がりで温かい自身の細腕に鼻を近付けるが、特に匂いはしない。もしや乳臭いと遠回しにけなされたのかと思い青ざめたが、琴の眉を読んだレイに
「そうじゃないよ」
と苦笑された。
「もし琴を子供だと思っていたら、こんなに我慢してないかな」
「嘘だあ。絶対レイくん、私のこと乳臭いって思ってるよー」
「そんなことないよ」
「だってレイくん、小さい子にするみたいに私の世話焼きたがるし」
「それは琴だからだよ。琴だから構いたくなるんだ」
「ええー? じゃあ本当に、その、我慢、してるの?」
信じられない、と言わんばかりに問えば、それまでの穏やかなレイの表情が、笑顔でピタリと止まる。次の瞬間には視界が回り、驚いて瞑った目を開ければ、視界の先にレイの整った顔があった。レイ越しに白い天井が見えてやっと、琴はソファに押し倒されたのだと理解する。
「へ? え? れ、レイくん……!?」
「してるよ、我慢」
目を白黒させる琴に、レイは余裕の笑みを潜めて言った。レイのいつもより低い声に、琴の心臓が不規則に脈打つ。レイの薄い唇から白い歯と舌が覗くたび、背筋がぞくりとするほどの色っぽさを感じて、目が釘付けになる。
石のように固まる琴の小さな唇を、レイが親指の腹で撫でた。
「本当はもっとキスしたいし」
「レイく……」
レイの手が唇から顎を伝い、薄い首筋に触れる。
「白い肌に痕を残して僕の物だって周りの男たちに知らしめたいし」
首筋から鎖骨へ流れた手が、琴の寝間着の襟にかかった。
「夜の帳の元、全てを暴いて、琴自身も知らない君を知りたい」
「……っ!」
いつもは確固とした意志と冷静さを秘めたブルートパーズの瞳が、ぎらついた獰猛な欲を宿していることに気付き、琴は肩を跳ねさせた。
食べられて、まだ見ぬ自分に作りかえられてしまうかもしれないと思った。レイの色に染められてしまうかもしれないと。
そう思うと琴は、きゅう、とお腹の下あたりが切なくなる気がした。
するり。寝間着の裾から入りこむレイの冷たい手。くびれを確かめるように撫でられた腹に力がこもってしまい、琴は咄嗟にレイを見る。
もしかしたら、暴かれてしまうかもしれないと思った。このまま脱がされ、ここで、初めてをレイに捧げることになるかもしれない、と。
そしてそれが、嫌ではないことに琴は気付いた。果てしなく緊張するが、同時に期待もある。が、やはり何よりも不安が勝った。
その不安は情けないことに顔に出てしまい、琴は目元を潤ませる。肉食獣のような目をしていたレイは、琴と目が合った瞬間に、そのなりを潜めた。
いつものレイだ。琴がそう思った時、耳元へキスを落としたレイが甘く囁いた。
「だからちゃんと、女として見られてるって、もっと自覚してね」
瞬間的に、頬が熱を持つ。のぼせたように真っ赤になった琴は、レイに抱き起こされた。




