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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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地上で溺れる人魚姫

 ネオンに彩られた夜の街に背を向け、琴は震える足を叱咤しタクシーに乗りこんだ。


 するとまるでタイミングを見計らったように、コートのポケットに入れていたスマホが鳴る。画面に表示された着信相手を確認してから、琴はスマホを耳に押し当て、通話ボタンを押した。


『どうだい? 蒼羽は君を気に入っただろう?』


 開口一番、愉快そうに言ったのは神立次長だった。彼は琴に取りつけた盗聴器で会話を聞いていたのだろう。琴は窓の外を流れていくネオンを見つめながら言った。


「……瑠璃って人を、ご存知ですか?」


『蒼羽の女だよ。噂では、数年前に抗争に巻きこまれて亡くなったそうだ。君にそっくりの可憐な容姿をしていたようだよ。メールを確認したまえ』


 琴がスマホを耳から離すと、数分前に知らないアドレスからメールが送られてきていた。画面をタップしメールの添付画像を開くと、そこには今よりも若い二十代の蒼羽と、琴にそっくりな女性が寄り添って写っていた。


 琴は料亭での神立次長との会話を思い出す。


 神立次長がなぜ作業玉に琴が適任と言ったのか、やっと分かった。彼は元々、蒼羽の亡くした恋人と琴が瓜二つだと知っていたのだ。そして、蒼羽が恋人にそっくりの琴に会えば、琴に興味を示し情報を漏らすかもしれないと予想したに違いない。


「じゃあ蒼羽さんが怒って折川さんに暴力を振るったのは、亡くなった恋人にそっくりな私を、折川さんが売り物として連れてきたからですか?」


 蒼羽の元に連れていかれる途中に会ったスタッフがお化けを見るような目で琴を見た意味が、今なら分かる。きっと古参のスタッフは、琴が蒼羽の亡き恋人に似ていると気付いたから焦っていたのだ。


 琴は窓の外から視線を外し、額を押さえた。痛い。頭の芯が熱くて沸騰しそうだ。


(じゃあ、折川さんは……)


「……折川さんは、私のせいで重傷を負わされたんですか……?」


 声が震える。怒りでだ。何も知らされていなかった己と、神立次長に対する怒り。


 折川は先ほど病院に向かったが、おそらく鼻骨は折れているし、殴られた腹部や肋骨にもヒビが入っているかもしれない。


 琴の逆立った神経を撫でるように、冷静な声で神立次長が言った。


『折川くんなら、こうなることを承知だった。君が気に病むことではない』


 たしかに、折川は全て知っているようだった。だが――――……。


「折川さんがあんな怪我を負わされると知っていたら、私は作業玉を引き受けたりしませんでした!」


『ああ、だろうね。だから言わなかった。そして折川くんは怪我をした――――……もう作業玉が嫌になったかい? 断ってもいいよ。ただ――――そしたら折川くんは殴られ損になってしまうね。彼の怪我は無駄になる。そして、蒼羽の不興を買った以上もうスタッフには戻れまい』


「……っ」


 そしたら捜査は振り出しだ。今一番蒼羽から情報を引き出せるのは琴なのだと、琴は嫌というほど思い知らされた。


『盗聴器で蒼羽と君の会話を聞かせてもらったが、君の振る舞いは完ぺきだったよ、宮前くん。君にあれこれ細かく望月エマとしての性格を公安が用意しなくてよかった――――素人くさくて、慣れていなくて、愚直で、悪手も踏む。だからこそ、蒼羽は君を作業玉と疑いはしないだろう。すんなり彼の女にならなかったのも評価する。尻の軽い女だと分かれば、蒼羽は亡くした恋人にそっくりな君に、勝手に失望したに違いない』


 皮肉にも、琴としての行動すべてが神立次長の望む完ぺきな対応だったらしい。お陰で、蒼羽の心に深い釣針を食いこませることができたと言われ、琴は俯いた。


 その時、ブーッと短いバイブが鳴り、琴にメールの着信を知らせた。折川からだった。


『優しい君のことだ、今頃気に病んでいることだろう。だが、君は何も悪くない。これは私の仕事だ。協力に感謝する』


 レイといい、折川といい、どうして仕事一筋の人は自分をないがしろにするのだろう。そこまで仕事に誇りを持っているのか。身を捨ててもいいと思えるほど。


(甘く考えてたのかなぁ……。命の危険と切り離せない世界にいる人たちだって分かってたはずなのに、目の前でそれが起きるとやるせない)


 神立次長との電話を切ってから、琴は膝に顔を埋めた。一連のことが夢みたいだ。しかも悪夢。しかし、こめかみがジンジンするたび、これが現実だと琴に如実に伝えていた。


「お客さん、ラジオを入れてもいいですか?」


 塞ぎこむ琴をミラー越しに一瞥した運転手が言った。


「……どうぞ」


「どうも。この放送局のラジオDJが例のひったくり犯を捕まえた刑事さんに夢中でね、何か新しい情報を流さないかと私もワクワクしてるんですよ」


「へえ……今、話題ですよね」


 まさかここで見ず知らずの人からレイの話題が出てくるとは。琴は目をぱちくりさせた。


 そういえば、三乃森議員の娘さんとの縁談はどうなったのだろう。もうレイは家に帰ってきてくれただろうかと、今度はそちらの心配が押し寄せてくる。


 ラジオから流れてくるDJの声は興奮しており、レイの活躍について熱く語っていた。しまいには話題になっているのだから、メディアの取材に応えてくれたらいいのに、と嘆いてまでいる。


『SNSにアップされた動画では非常に若く見えますけど、噂では警視庁のエースだとか! 数ヶ月前の警視長夫人殺人事件でも犯人を検挙したのは彼だと、まことしやかな噂が流れていますよ!』


 割と当たっている内容に、琴は乾いた笑みを零した。しかし同時に、琴のヒーローから世間のヒーローになったレイをとても尊敬した。


「誇らしいよねぇ」


 乗車してからずっと浮かない顔をしていた琴がうっすらと微笑んでいるのをミラー越しに確認した中年の運転手は、弾んだ声で言った。


「日本の警察がドラマに出てくる刑事より強くてカッコイイなんて。ああいう人たちが治安を守ってくれていると思うと、こっちも安心して職務に励めるってもんです」


「そうですね……」


 忘れるところだった。レイも折川も、身を粉にして働いているのは誇りのためだけじゃない。こうやって、沢山の人々に安心した生活を送ってもらうためなんだ。


 そのために傷つく覚悟を持っているんだ。


(なら、私が途中で作業玉をやめるわけにはいかない。警察の人たちの覚悟のためにも)


「でもまあ、うちの娘なんかは、世間を騒がせているヒーローの刑事さんと結婚したいなんて言いだして困ったもんですよ」


「あ、あはは……」


 これには愛想笑いしか出ない。やはりレイはどこにいってもモテモテらしい。


 自慢の彼氏ではあるけれど――――心配は尽きないな、と思いながら琴は再び車窓の景色へ視線をやった。

タクシーはいつの間にか目に痛いネオンの街から遠ざかり、高級ホテルがある瀟洒な街並みを走っていた。


「あ……」


 信号待ちでタクシーが止まった瞬間、通りを歩く人物に琴は目をとめた。人波に紛れていても、沢山の蕾の中、一つだけ大輪のように咲き誇って見えるのがレイだ。朝出ていった時と変わらずかっちりとしたスーツ姿のレイが、小柄な女性をエスコートして歩道を歩いていた。


 レイの腕に自らの腕を絡めたショートカットの女性は、三乃森議員の娘である蘭世だろう。緩いウェーブのかかった髪を揺らして歩く彼女は、車内からだとよく見えないが、きっと少女のように無邪気に微笑んでいることだろう。


(恋人同士に見える……)


 相手の歩幅に合わせることも、車道側を歩くことも、レイはいつも琴と出かける時だってしてくれる。でも、だからこそ、恋人と同じように他の女性にも優しくするレイに焦れてしまう。


 レイは自分の恋人だ。その腕を絡めるのは自分だけでありたいし、笑顔を向けられるのも自分だけがいい。


 もう夜の九時を回っている。朝から晩まで、二人で何をしていたんだろう。レイと蘭世は、何を話していたんだろう。


「うー……どんな状況でも嫉妬ってなくならないよぉ……」


 自分に自信をつけたって、嫉妬してしまうのは止められない。単純に、レイが他の女性と一緒にいるのが面白くないのだ。その上自慢の彼氏は、政治家の娘に取られそうなのだと、琴は現実を突きつけられて凹んだ。


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