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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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ようこそ、ここが闇への入り口です

 週末の朝早く、レイはハイブランドのスーツに袖を通し、イタリア製の革靴を履いて蘭世に会いに出かけていった。


 玄関までレイを見送った琴は、月光を浴びたようなペールブロンドの髪をオールバックにし、センスの良いカフスボタンを留めたレイは海外ブランドのモデルといっても遜色ないほど様になっていたと思い返す。


 家柄のよさが顔に出ており、サイドベンツのスーツを着こなす姿は気品があって嫌味がない。大物政治家の三乃森議員であっても、きっと今日のレイを見れば諸手を挙げて娘の婿にと望むだろう。


 いずれ縁談を断るにしても相手に対し非礼のないように正装したのだろうが、非の打ちどころのない格好良さにますます蘭世がときめいてしまうのではないかと、琴はひやひやした。


 しかし、レイと蘭世が会うことの他にも、今日の琴には心配ごとがあった。


 夕刻、栗色の髪を緩く巻いた琴は、フードにファーのついたキャメルのダッフルコートと、それに合わせた黒のショートブーツを履いて家を出る。


 ……今日は琴の作業玉デビューの日でもあった。


 メールで神立次長に指示された場所は、都内の歓楽街に近い駅のロータリー。そこで公安の捜査官が琴を待っているとメールには書かれていた。


 多くの人が待ち合わせに使う場所であるためその人物を見つけられるか不安だった琴だが、柱の一つに凭れかかる人物を目に止めると、明るい表情で駆けよった。


「……お久しぶりです!」


 しかし近付けば近付くほど目の前に立つ男の変わりっぷりに、琴はつい間の抜けた声を出してしまった。


「えっと折川さん……ですよね?」


 そう、神立次長が待ち合わせ場所に派遣した人物は、以前桐沢警視長の事件で世話になった折川蓮二おりかわれんじ捜査官だった。


 記憶の中の折川はいつも眉間に小難しそうな皺を刻み、口を真一文字に引き結んで怖い顔をしていた印象がある。それから狐を彷彿とさせる細い目がしょっちゅう痙攣していて、ピッチリと撫でつけられた髪が神経質そうなイメージを与えていた。


 が、久しぶりに会った折川はどうだろうか。口髭を蓄え、香油を塗ったような髪をオールバックにしているではないか。おまけに到底公務員とは思えない派手な柄のシャツとスーツを着ているし、腕には金の腕時計が。堅気には見えない。一瞬本当に折川なのか自信がなく、声をかけるのを躊躇ったほどだ。


「カメレオン俳優みたい……」


 あまりの変貌ぶりに琴が漏らすと、折川はこめかみをピクリとさせてから苦い表情を浮かべた。激変してしまった彼の中に、よく知る仕草を見つけて琴はやはり折川だと少し安心する。


「潜入捜査中は、こうして外見を変えることもままある。……久しぶりだな、宮前琴」


「はい。あの、お元気でしたか」


「ああ。神立次長から君が作業玉になったと報告は受けていたが……まさか本当に来るとは……」


「呆れてます?」


 苦笑を零す琴に、折川は年の離れた妹を心配する心配性の兄のような顔をした。


「正直。……神立刑事は知らないのだろう。君が作業玉として潜入捜査に協力することを」


「はい。あの、できれば……」


「他言はしない。たとえ神立刑事相手だろうと、公安の捜査内容を漏らすことは一切しない。が……」


「折川さん?」


「公安としては君の協力に感謝するが、私個人としては……君には日向にいてほしかった」


 折川はしかめっ面で言った。


「罪や血や暴力とは関係のない、優しい世界にいてほしかった。君に日陰は似合わない。神立刑事もそう思っているはずだ。きっとあの男は……宮前琴、君がこれからやろうとしていることを知れば悲しむと思うが」


「分かってます」


 レイは琴に危険が及ぶことを何より嫌う。それを琴は重々承知していた。それでも神立次長の提案を承諾したのは……。


「でも、私にできることがあるなら、やらないって選択肢はないんです。数か月前のホテルの爆破テロみたいな目に遭う人を増やしたくない」


「……相変わらず、フワフワした雰囲気に似合わず肝の据わった娘だな君は。そして頑固だ。……分かった。君が協力してくれるのは我々公安としても大いに助かる。……あまりここで長々と話していては目につくな。歩きながら話そう。こっちだ」


 ちらほらと妖しいネオンが灯りだした歓楽街へ、折川は琴を誘った。


「今の私は蒼羽と反警察団体『暁の徒』の関係を探るため、奴がオーナーを務めるガールズバーにスタッフとして二週間ほど前から潜入している。今日は、街でスカウトした君を蒼羽の元へ連れていき面接させるという設定で奴に引きあわせるつもりだ」


「だから折川さん、そんな格好をしてるんですね」


 普段の折川の格好なら到底ガールズバーで働くスタッフには見えないが、潜入捜査官だとばれないためにチンピラのような風体になりきっているのだろう。折川の変装力の高さに、琴は素直に感心した。


 と同時に、いよいよ組員である蒼羽に会うのかと思うと、心臓が口から出てきそうになった。琴の緊張が伝わったのだろう、折川は「肩の力を抜け」と言って琴の肩を乱暴にほぐし、手に持っていた紙袋を琴に渡した。


「蒼羽の店に行く前に、この袋に入っているブーツに履きかえてくれ。ヒール部分に盗聴器を仕込んである。発信機も今フードの内側につけさせてもらった。何かあれば私が盾になるから心配しなくていい」


「い、いつの間に……」


 琴はフードのあたりを触りながらうろたえた。そして、道すがらにあったコンビニのトイレでブーツを履きかえてから、蒼羽の店を目指した。


「神立次長から話は伺っているだろう。君には蒼羽に接触し、蒼羽が覚醒剤『リバイブ』の売買に関わっているか、そして反警察団体と関わりがあるかどうかを探ってもらいたい」


「……もし、蒼羽って人が団体と関わりがあったら……?」


 琴はゴクリと唾を飲みこんで言った。


「マークしている団体の幹部に近付くための大きな足掛かりになる。そのためには蒼羽を寝返らせ、こちら側のスパイにしたい……が、あまり先走らないことだ。目の前のことに集中しなければ、足をすくわれるぞ。一日二日でカタがつく任務じゃない。まずは蒼羽に取り入り、気に入られるところから始めなければならないな」


「気に入られる自信がないんですが……」


 眉を八の字に下げ、琴は情けない声を漏らす。しかし折川は、「その心配は無用だ」と取り合わなかった。


「公安が下手に小細工をするより、君が君らしくいれば、蒼羽は必ず君を気に入る」


 神立次長といい折川といい、一体何の理由をもってそう確信しているのか。


(そりゃ、女子高生の私の方が蒼羽さんには警戒されないだろうけど……)


 潜入捜査のプロが蒼羽に近付いた方が確実だろうに、神立次長たちが琴を推す理由が分からなかった。







 高校受験の時でさえここまで緊張しなかった。


 眠らない町の一角に聳える建物を前にし、琴は激しい腹痛に襲われる。表通りとは違い、ここは目に痛いネオンも、車道まで飛び出してくるような客引きもおらず、喧騒もどこか遠い。


 汚れた壁には古くなり剥がれかかったいかがわしいビラがびっしりと並び、暗く湿った通路はすえた匂いがする。後悔が滝のように肩を打って流れていくのを感じながら、琴は折川に背中を押され、錆びた手すりに触れないよう古い階段を上り、スタッフの通用口から店内に入った。


 開店前のせいか、薄明るいバックヤードからは若い女性たちの声がする。むせかえるような香水とコスメの匂いだ。


 折川に先導される形で暗く狭い通路を抜ければ、いかにも背中に入れ墨を入れていそうな男性スタッフとすれ違った。


「倉沢、後ろに連れてる子は新人か?」


「うっす。さっき駅でスカウトしてきました。蒼羽さん今日は店に顔出してますよね? 面接してもらおうかと思ってるんスけど」


 倉沢、とは折川の潜入時の偽名だろう。普段の理知的な話し方を封印した折川は、完全に新人スタッフになりきり、揉み手しながら尋ねている。琴はその変貌ぶりに内心舌を巻いた。


「蒼羽さんなら奥にいらっしゃる。今日は機嫌がよろしくないから、ブスを連れていったら腕の一つでも折られるぞ。どれ、俺が先に見てやろう」


 怖さから俯いていた琴の顔を、スタッフがからかうように覗きこむ。しかし琴と目が合った瞬間、スタッフの男は幽霊でも見たような顔をした。


「な……っ!?」


「ほえ……?」


(な、なに? もしかして、作業玉ってばれた!?)


 琴の身体に緊張が走る。琴の顔を凝視していたスタッフは、折川に向き直り狼狽した様子で言った。


「お、おい倉沢! お前が連れてきたその女のその面……」


「なかなかの上玉でしょ?」


 慌てる琴の心配を払拭するように折川はニッコリとして言った。折川の様子を見るに、どうやら作業玉とばれたわけではないらしい。しかし、不可解にもスタッフは焦りの色を深くした。


「上玉かなんて問題じゃねえよ! おいやめとけ、いや、いや――――……そいつは蒼羽さんの……!」


「何騒いでやがる」


 暗い廊下の奥に位置する、灯りの漏れた部屋から肌が痺れるような低い声がした。身を切られるような殺気を感じ、琴は肩を縮こまらせる。扉越しで姿は見えないが、琴は酒焼けした声の主が、蒼羽真に違いないと確信した。


「新入り、女をスカウトしてきたなら、さっさとここへ連れてこいや」


「は、はい! ただいま!」


 いまだ琴を見て宇宙人にでも遭遇したような表情を浮かべるスタッフに軽く会釈をし、折川は琴を連れて奥の部屋の扉をノックする。


 折川が「失礼します」と声をかけてから開けた扉の向こうは事務所のようで、部屋の中央に置かれた黒い革張りのソファに目的の人物はいた。



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