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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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危険なお誘い

 琴は膝の上に置いていた手でスカートをギュッと握った。冬場だというのに、手のしわに沿って嫌な汗の筋が走る。


(暴力団員と、接触する? 私が……?)


 生まれてこの方、お天道様の下で、後ろ暗いことなど何一つなく堂々と生きてきた琴にとって、暴力団員に接触することはどれだけ人生の選択を誤ってもないはずだった。


「怖くなったかね?」


 琴の内心を見透かすように神立次長が言った。


「当然だ。君はただの女子高生で民間人。守られるべき立場の人間だ。もちろん、作業玉として協力してもらうからには君の安全を第一に考えるが、それでも危険はつき纏うだろう。だから断るのは自由だよ」


「それは脅し、ですか……?」


「面白いことを言うね。私は選ぶ自由を与えたつもりだが」


 たしかに、神立次長は断る権利を提示してくれている。


 しかしそれは、断れば自動的に「レイとの交際を諦めろ」と言っているようなものだ。琴が作業玉を引き受けようが断ろうが、神立次長は少しも痛くない。作業玉になって危険に晒されるか、レイの縁談が進むのを指をくわえて見ているか。琴に配られたカードは、どちらも琴にとって不利でしかないのだ。


 逡巡する琴へ、神立次長は再び声をかける。


「個人的には、君が作業玉になってくれると嬉しいよ。君が我々に協力し、反警察団体を追いつめることができれば多くの人が救われる」


 作業玉の件は、琴がレイと蘭世の縁談を諦めるために提示した無茶な条件かとばかり思っていた琴は驚いた。


 だが――――そもそも、神立次長が本気になれば、琴の意思なんて関係ないのだろう。きっと三乃森議員の令嬢とレイを無理やりにでも結婚させるに違いない。


(それなのに、私に取引を持ちかける意味、それは……)


 神立次長は、猪口に入った酒を呷って言った。


「逆に、団体を野放しにしていればやがてもっと大掛かりな事件を起こすだろう。警察を貶めるためなら、国内で無差別なテロを起こすかもしれない。そういう団体だ」


「……っあのホテルでの爆破テロ以上のことを……?」


 琴は青ざめて言った。


 ホテルが爆破された時、熱風に喉をやられ肺で呼吸するのが苦しく、何度も死という言葉が脳裏を過ぎった。罪なき人々が自分と同じような目に遭うかもしれないと考えると、琴はやるせなくなった。


「だが、君が作業玉になることで、人々を危機から救えるかもしれない」


 神立次長は力強い声で言った。


 琴はまたも面食らった。人を食ったような態度の神立次長の声が熱を帯びたからだ。それすら神立次長の計算かもしれないが、琴はこの人はやはりレイの父親なのだと思った。仕事に対して揺るがぬ信念を持っている。


「……私に作業玉なんてたいそうなことが務まるとは思えません……」


 および腰の琴が言う。間髪いれずに神立次長は「そんなことはない」と言った。


「君以外に適任はいないよ」


「何故ですか……?」


 確信したような神立次長の物言いが気にかかり、琴は尋ねた。熟練の潜入捜査官でもない自分のどこが適任だというのか。しかし、神立次長は琴の質問に「蒼羽に会えばわかる」と意味深な返事をした。


「それに私は、君の本気を見たい」


「!」


「本気でレイを好きなのかどうか見極めたくてね」


「そ、れは……作業玉を断れば、レイくんへの想いはそれまでのものだったって言いたいんですか……? でも、私は、作業玉にならなくともレイくんが縁談を断ってくれると信じてるんです。レイくんがそう約束してくれたから」


「無謀なことを約束するなんて、ひどい息子だね」


「ひどくありません!」


 琴は声を荒げた。襖の向こうで神立次長の部下が蠢く気配がし、琴は息を整えて座り直した。頬杖をついて琴を値踏みするような視線を寄こす神立次長を、真正面から睨みつける。


「私、信じてます。レイくんは約束を果たしてくれる」


「そしてその時は、刑事としての神立レイが消失する日だ」


「そんなこと……レイくんはきっと……」


「願うだけでは、祈るだけは届かないこともあると、君は知った方がいい。下手をうって三乃森議員の機嫌を損ねれば――――……偶然にもレイが交通事故に遭い命に危険が及ぶ可能性もある」


 神立次長は辛辣に告げた。琴は顔色を失った。


「そんな、まさか――――……?」


「では、取引には応じないということでいいかね?」


 向かいで、神立次長が立ち上がる布ずれの音がした。琴は力を込めすぎて真っ白になっていた拳をさらに強く握った。


「……いえ。作業玉にはなります」


 琴は視線を自身の膝に落として言った。視界の隅で、テーブルを回りこんで退出しようとしていた神立次長の足が止まるのが見えた。


「ただ、私はレイくんを信じています。だからレイくんを信じられないから作業玉になるのだと勘違いしないでほしいんです。貴方の手を借りずとも、レイくんは縁談を断ってくれる。私だって、直接蘭世さんに頭を下げてレイくんを諦めるようにお願いしに行く覚悟もあります」


 言ったそばから、声が震えるのを感じた。何故作業玉になると言ってしまったのかと、冷静な頭がすでに後悔している。


 しかし、いつだって捨て身で民間人を守るレイを見てきた。琴だって、自分に何ができるか考えてきた。自分が作業玉になることで、あのホテルでの爆発のような絶望を味わう人が減らせるなら――――……危険を未然に防げるなら。


(それに……)


「ただ、一つお願いがあります」


「ほう? 構わないよ。縁談を断るという条件がいらないなら、君は代わりに何を望む?」


 再び席に座り直した神立次長へ、琴は背筋を正して言った。


「お願いがあるんです。もし私が、作業玉としての責務を果たせたらその時は――――……」


 琴が願いを口にすると、神立次長は初めて驚いた顔をした。


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