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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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アリスは迷い込む

「フレンチやカフェの方が良かったかな? すまないね。私はこれでも不逞な輩に狙われやすい身の上でね、気心しれた店でないと食事が取れないんだ」


 警察庁次長ともなれば、命を狙われることもままあるのだろう。車に乗せられ高級料亭に連れてこられた琴は、神立次長の言葉に「いえ、大丈夫です」と消え入りそうな声で答えた。


 しかしその視線は料亭の丸い窓から見える枯山水や、二人が通された個室の外で見張りに立つ屈強そうな神立次長の部下、それから目の前の器に芸術のように盛られた懐石料理へと忙しなく移る。


 おそらく目が飛び出るほど高い料理なのだろう。箸をつけるのも躊躇われる上、居心地の悪さは過去最高だ。琴は正座した足が痺れるのを感じながら、置物のように固まっていた。


(どどどどどうしよう、私、どうなっちゃうんだろう? 本当なら今頃、家で海老グラタン作ってる頃なのに……!)


 しかし目の前にあるのは先附のくるみ豆腐だ。オクラやとろろ、イクラが豆腐の上に繊細に盛りつけてある。


(うえーん、スプーン一本で気楽に食べられるグラタンが恋しいよーっ)


 琴が青くなったり悶えたりしているのを一通り観察しおえた神立次長は、気さくに切り出した。


「驚いたかい? 昨日は愚息が邪魔をしてゆっくり話せなかっただろう。一度君とは時間をかけて話したくてね、君が通る道で待たせてもらった。迷惑だったかな」


「い、いえ、そんなことは!」


「……レイの家を尋ねた時、扉越しに話を聞いていただろう?」


 さらりと言い当てられて、琴は膝の上で握った拳に冷や汗をかいた。


「あ、の……はい……すみません」


「謝ることはない。むしろ謝るべきは私だ。君が愚息と付き合っているのは、折川くんから聞いていたよ。私は君にとって悪者だろうね。せっかく両想いになった君とレイを邪魔する悪党だ」


「そんなこと……。縁談を持ちかけたのは、三乃森議員だって理解しています」


「なるほど? 随分と聞きわけがいいお嬢さんだ。ならば、私を許し、愚息が蘭世嬢と結婚するのを認めてくれるのかな?」


「……っ」


 琴は顔を上げ、追いすがるように神立次長を見た。神立次長は、レイによく似た、しかし彼よりも冷厳な色を宿した瞳を細め、こちらを品定めするように見ていた。


「そ、れは……」


 喉が渇く。神立次長に見つめられると、その威圧感に気圧されてしまいそうになる。が、ここは絶対に引けないと思った。


「認められません……。別れる気は、ありません。たとえ……たとえ貴方に反対されても」


 言い切ると、琴は挑むような目で神立次長を見据えた。少しでも弱味を見せれば、その隙をついてレイと別れるよう丸めこまれそうだと思い警戒しながら。


「……三乃森議員の令嬢と婚約した方が、レイのためになるとしても別れない?」


「……っはい」


 そんなの百も承知だ。権力という後ろ盾があれはレイにとって仕事がしやすくなるに違いない。それは自分には絶対に与えられないものである。


それでも、琴はレイと別れるという選択肢は一ミリもなかった。だって、誘拐事件を経て、爆発事件も経て、痛感したのだ。自分たちは、お互いを深く必要としていると。身を焦がすような火が迫る中、もう二度と離れないと誓った。だから。


「レイくんが縁談に乗り気ならまだしも、そうじゃないなら……私を好いていてくれる限り、別れる気はありません」


 琴は背筋を伸ばし、凛とした顔で言った。神立次長は顎を撫で、少し考えてから、口元に愉悦の色を浮かべて言った。


「ほう? そうまでしてアレと別れたくないとはね。まあ私としても、好き合っている二人を引き離すのは本意ではない。が、三乃森議員からの頼みではね」


 おそらく、縁談を断るのに神立次長の力は借りられない。琴は期待していなかったため、固い表情で唇を引き結んだ。しかし、彼の返答は琴が予想していたものとは違った。


「だが、断る方法がないわけではないよ。限りなく難しいが……君が私に協力してくれるなら、見合いの件は私の口から断ってもいい」


「え……?」


 どういうことだ。不審そうな目を向ける琴に、神立次長は冷静に言った。


「まず、レイが縁談を断るのは期待しない方がいい。レイはどうにかして断る気でいるだろうが、大した肩書ももたぬ一介の刑事にすぎないアレが、代議士の先生から持ちかけられた縁談を断れば、もう警察にはいられまい。三乃森議員はもう警察庁の人間ではないが、今でも太いパイプがある。警察庁長官とも懇意の仲だ。レイのクビを切らせることなど、赤子の手を捻るより容易いだろう」


「そんな……!」


 琴は憤慨し、テーブルに手をついて身を乗り出した。


「縁談を断れば、三乃森議員は高い志を持って入庁したレイくんを、個人的な理由で辞めさせる気ですか……!?」


「許せないかね? そうだろう。だが、『そういう世界』が現にある。これは君には覆せない。だから――――」


 唇を噛む琴を見据えた神立次長の目が、弦月のように細められた。


「私と取引しないかな、宮前くん」



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