星を誘うよ月の王
「お前と神立くんの交際は、安定した時期がないのか。どうしてこうも次々と問題が降ってわくんだ?」
神立次長がレイの家を尋ねてきた翌日。放課後、木枯らしの吹く藤棚の下で紫煙をくゆらす朔夜を見かけた琴は、相談相手と化した養護教諭に昨晩の出来事を語った。
深刻な表情で話す琴に、律儀に煙草を消し相槌を打っていた朔夜の切れ長の目はどんどん細められていく。琴が話しおえた時には、朔夜は頭が痛そうな様子で眼鏡のブリッジを押さえていた。
「三乃森議員の娘か……またとんでもないのに好かれたもんだな、神立くんは」
「あはは……」
琴はかわいた笑いを零した。
西欧の彫刻のように整ったレイは、たしかに異性からすごい頻度で好意を寄せられていると琴も思う。しかも揃いもそろって美女ばかりから。
「三乃森議員にあまりいい噂は聞かないが……そちらは神立くんが断ると言っているんだろう? 彼なら何とかするはずだ。心配するな」
「うん……」
「……他にも心配ごとがありそうだな」
ずばり当ててきた朔夜に、琴は「うう」と唸りながら頬をかいた。
「えっと、あの……レイくんとレイくんのお父さんの確執についてなんだけど……大丈夫かな。レイくんは『大丈夫』って言い張るんだけど、お父さんに会うたび、レイくんが嫌な思いをしないか心配で。どうやらレイくんが学生時代お母さんに捨てられたって勘違いしていた原因、お父さんのせいみたいだし。どうしてレイくんのお父さんは、そんな嘘をついたのかなぁ」
息子のトラウマになるような嘘をわざわざつく意図は何なのだろう。琴は一晩考えたが、結局答えが出なかった。お陰で寝不足になり、目の下に隈を作ってしまい朝からレイにかいがいしく蒸しタオルを用意されるというザマである。
思い出して頭を抱えたくなる琴へ、朔夜が言った。
「神立くんの母親の話なら、親父に聞いたことがあるな」
「え……サクちゃんのお父さんに?」
「ああ。神立くんの母親は昔、俺の父親の病院に一時期入院していたそうだ。随分と綺麗な人で、記憶に残っていると親父が以前言っていた。神立くんの母親は、彼を生んでしばらくすると身体を壊したそうだが、神立次長が見舞いにきたのは一度しか見たことがなかったそうだ」
「そうなんだ……」
(レイくんのお父さんってやっぱり冷たい人、なのかな……。家族に興味がない……?)
レイという名の意味は、数字の零なのだと思っていたと、レイは前に言っていた。いらない存在なのだと思っていたと……。
(縁談のことも心配だけど、お父さんと接触してレイくんがまた傷つくんじゃないかって、怖い)
不安に沈む琴の頭を、朔夜はおもむろにグシャグシャと撫でた。
「えっえ!? サクちゃん?」
「他人の痛みに敏感なのはいいことだが、気を揉みすぎだ。今の神立くんにはお前がいる。独りじゃない。神立くんは大丈夫だ」
「……うん。ありがとうサクちゃん」
(そうだ。レイくんは私を孤独から救ってくれた。傍にいて、コンプレックスを払拭してくれた。今度は私が、レイくんの傍にいて彼を笑顔にするんだ)
相変わらず面倒見がいい幼なじみに、琴はふにゃりと笑ってみせる。朔夜はいつも面倒くさそうにしつつ、必ず自分とレイを気にかけ欲しい言葉をくれるから好きだ。
朔夜の大きな手に頭を撫でられるがままにしていると、突然朔夜は弾かれたように手を離した。
「サクちゃん? どうかした?」
急に手を離した朔夜を怪訝に思って見上げる。朔夜は眉根を寄せ、険しい顔で周囲に視線を走らせていた。
「今、何か見られていたような……」
「ええ?」
半信半疑で琴も周囲に視線を巡らす。しかし、場所は体育館裏に近い喫煙所。人の影は見当たらなかった。
「気のせいじゃない?」
もし見られていたとしたって、琴と朔夜がプライベートで知り合いなのは、校内では有名な話だ。やましいことをしていたわけではないし、さし障りないだろう。
しかし朔夜は、鋭い眼光でまだ辺りを睨みつけるように見ていた。
朔夜と別れた琴は、一人で帰路を辿っていた。
途中入ったメールによると、レイは遅くなるため夕食はいらないらしい。それなら今日の夕食は自分の好きなものにしようと、駅前のスーパーに寄るため大通りを歩く。真冬の今、駅前の時計が五時を示せばもう星がまたたき、道行く人も心なしか足早に見える。
腰のあたりまで伸びた琴のメレンゲのようにフワフワした髪も、吹きつける風の冷たさによって凍ってしまいそう。耳がキンと痛くなるのを感じつつ、前を開いていたコートのボタンをすべて留める。そのせいで、ガードレールを挟んだ隣で黒い車が並走しているのに気付くのが遅れた。
「え……」
琴の歩く速さに合わせて走る車。黒いシートが貼られた後部座席の窓が開いたと思うと、そこから顔を出した人物に、琴は度肝を抜かれた。
「レイくんの、お父さん……」
そう、神立次長その人だった。
神立次長は琴と目が合うと、人好きのする笑みで言った。
「こんばんは、宮前くん。これから一緒に食事でもどうかな」
お誘いなのに、お誘いではなかった。その言葉には、誘われた相手は首を縦に振るしかできない魔力が込められている。
気付けば琴は促されるがまま、粛々と神立次長の車に乗りこんでいた。