そんなに大物だなんて聞いてません
なるほど、どうりでレイに瓜二つのわけだ。
絵画から抜け出てきたように美しいと称されるレイの容姿は父親譲りらしい。ただ、レイの方が中性的で柔らかい印象がある。そこはイギリス人の母親に似たのだろうか。
それにしても、琴を父親と会わせたくないレイの意図は何なのか。そういえばレイが父親の話題を持ち出すことは今までなかったな、と琴は思う。
(もしかして不仲、なのかも……)
思い当たる節はある。レイは学生時代ひどく荒れていた。その理由はたしか、『母親に生まれてすぐ捨てられた』と身近な大人に教えられたからだ。実際にはレイの母親は重い病気に冒されレイをなくなく手放しただけだったと、あとからレイが自力で調べたことにより判明したが。
だが、レイが勘違いをするような嘘を教えた身近な大人とはもしかして、レイの父親なのではないか、と琴は勘ぐった。
「さて、可愛らしい同居人さん、挨拶させてくれないかな。レイの父親の神立総一郎です」
「あ……」
朗らかに挨拶された琴は、畏まって挨拶を返そうとする。しかし、レイが総一郎と琴の間に立ち塞がるので、その腕の檻越しになってしまった。
「宮前琴です。レイくんにはいつも、とてもお世話になってます。あの、お茶、ご用意しますね」
「琴!」
そんな必要ない、とレイに言われたが、来客をもてなさないわけにはいくまい。琴はキッチンに立つと、慣れた様子で食器棚を開け、透明感のある白磁のカップを取りだした。
何がどこに置いてあるか把握しテキパキとお茶の用意をする琴を、総一郎は目を眇めて眺める。ゆったりと腰掛けた彼は、両手の指の腹を合わせ、レイに向き直った。
「いつまでそこに突っ立っているつもりだ」
「……貴方こそ、何の用でここへ来たんですか」
仕事帰りのスーツ姿のまま、レイは再び黒い革張りのソファへ腰掛けた。
「いやなに、久しぶりに愚息の顔が見たくなってね」
「あいにくこちらは、母が僕を捨てイギリスに戻ったと騙し続けてきた貴方になど会いたくはありませんでした」
レイは冷たくあしらう。琴はティーカップを温めながら、やはりレイに嘘を教えたのは彼の父だったのかと苦しい気持ちになった。
(一体何の意図で嘘をついたんだろう。それに……)
琴はレイと以前紅茶専門店に行った時試飲して気に入った茶葉をスプーンに掬いつつ、総一郎を盗み見た。
(勘だけど……レイくんのお父さんは、少し怖い人な気がする……雰囲気とかじゃなくてもっと、別の意味で……)
キッチンから見える総一郎の瞳は三日月のように細められているが、琴は気付いた。レイと総一郎は似ているが、決定的に違う部分がある。その瞳だ。
総一郎の瞳は、琴が帰宅してから今まで一度も感情が乗っていない。およそ人間らしいものは何もかも削ぎ落されたように無機質なのだ。
同じ中年男性で貫録がある人物といえば桐沢警視長に初めて会った時、琴はそのオーラに圧倒されたが、総一郎はそれとはまた違う。底が見えない。それなのに一見物腰は穏やかだから、妙な迫力を感じるのだ。
ひび割れてしまいそうな空間に耐えかね、琴はポットとカップをお盆に載せて二人の間に割って入った。
「どうぞ」
「ああ、ベルガモットのいい香りだね。アールグレイかな? ありがとう」
琴が蒸らした紅茶を温めておいたカップに注げば、芳しい香りが辺りに立ちこめ、総一郎は穏やかに礼を述べた。
「……ありがとう琴。ごめん、部屋に戻ってて」
レイは長いまつ毛を伏せて頼んでくる。いつもの温厚で落ち着いた彼らしからぬ様子が心配だったが、部外者の自分がいては水をさしてしまうかもしれない。琴は言われた通りリビングを後にすることにした。
が、出ていく際、わずかにドアを開けておいた。盗み聞きはよくないと分かってはいるが――――単純に心配なのだ。レイが。ドアに耳をそばだて、琴は漏れてくる二人の会話を拾おうとした。
「……それで、本当の用件は何です? まさか本当に貴方ほど多忙な方が、息子の顔を見にきたわけではないでしょう」
琴が出ていったのを見送ってから、レイが切り出した。息子の冷ややかな口調を歯牙にもかけず総一郎は言った。
「そう急かすな。折川くんからお前の話は聞いているよ。彼はお前を絶賛していたぞ」
「折川さんが、ですか……」
折川は桐沢警視長夫人の事件で、レイと共に捜査をした公安の捜査官だ。見知った人の名前が総一郎の口から出てきたことに、琴は面食らった。
「意外か?」
「いえ……」
レイは苦々しそうな声で言った。
「警察庁次長の貴方が、警察庁の警備局に所属する公安警察官の折川さんと繋がりがあるのは、以前彼の口から聞いて知っていましたから」
(――――……っえ!?)
盗み聞きをしているのを忘れ、琴は声を上げてしまいそうになった。慌てて口を押さえる。
(レイくんのお父さんが、警察庁次長……!?)
警察庁次長とは、警察庁のナンバー2ではないか。会った瞬間からタダ者ではないと思っていたが、まさかそんな雲の上の人だとは。
琴は速くなった心臓を服の上から押さえた。
「折川くんと共に捜査した事件では、桐沢警視長の娘に言い寄られたらしいな。折川くんの報告では、その娘に『自分の告白を袖にしたら出世に響く』と脅されたそうじゃないか」
ドア越しに、総一郎もとい神立次長の笑い声が聞こえてくる。その笑声には、どこか嘲りが含まれていた。
「言ってやればよかっただろう、桐沢警視長の娘に。君の父親より、自分の父親の方が地位も階級も上だと」
「自分の実力で得た以外のものをひけらかして何になるというんです。親の威光を振りかざす結乃さんに自らが空っぽだと気付いてほしかった僕がそれをしては、彼女と同じ土俵に立ってしまう」
「桐沢警視長の娘を改心させるのは、刑事としての仕事ではないだろう。無駄な行為だ」
神立次長はレイの結乃のための行動を切って捨てた。どうやら無駄を嫌う性分らしいが、琴は神立次長よりレイの方が人として親切だと思った。
「そうそう、折川くんと合同捜査した事件といえば……随分派手な大立ち回りをしたそうじゃないか。公安の領分にまで手をだして」
「あの事件の犯人である佐古を探る中で公安が目をつけていた反警察組織に辿りついたのは偶然です。そちらの畑を荒らす気はなかった」
レイは弁解する。神立次長は「だが」と続けた。
「佐古と関係している組織について突きとめるために色々と強引な捜査もしたようだな。その情報収集力と知力をどうして生かしきらない? なぜノンキャリアでおさまっている」
「…………」
「お前が出世コースから外れたことに失望したのは語るまでもないよ。だが――――名誉挽回のチャンスをやろうじゃないか」
扉越しに、神立次長が何かを取り出しガラステーブルに置いた音がした。驚いたレイの声がすぐに聞こえた。
「これは……釣書ですか?」
お見合い話が勃発です。