そして再び幕が上がり、姫と王子は踊りだす
お久しぶりです。何とか年内に三章のスタートを切れました。
二章より更にマニアックな内容になっていますので、ついていってやるよ! という方はお付き合い頂けると嬉しいです^^
もしも星に願いが届くなら、これ以上に何を願おうか? いっそ星になって、彼の望みを叶えてあげたいと思う。
彼は私が沢山のものを与えてくれたと言うけれど、それはこちらも一緒だから。
「レイくん、次は何に乗る?」
恋人であるレイに編んでもらったフィッシュボーンの髪を揺らしながら、琴はテーマパークのパンフレット片手に弾んだ声で言った。
肌を突きさすような風が吹きつける一月だというのに、興奮からか琴の丸い頬には赤みがさしている。
琴が浮足立っているのには、今いる場所が大きく関係していた。
琴の視界いっぱいに広がるのは大きくウェーブを描いたジェットコースターや、愛くるしい猫のキャラクターがモチーフの観覧車に、粉砂糖のような雪がかかったメルヘンチックな三角屋根の街並み、それからトゲトゲした尖塔が特徴的な魔法のお城だ。そして石畳の両脇にはカラフルなフードカートが並び、ポップコーンの甘い匂いが来場者を誘惑している。
そう、琴がレイと今いる場所は、ハリウッド映画の世界観を再現したテーマパークだった。
琴は冬休みを利用し、警視庁捜査一課の警部補であるレイと共に遊園地デートを楽しんでいるのだ。
学生たちが長期休暇ということもあり、パーク内には人が溢れ返っている。何なら映画に出てくるクマのキャラクター帽子を被った客や、コスプレを楽しむ人々の多さで目が痛いくらいだ。が、その中でも一際人々の目を引いているのが、琴の隣を歩くレイだった。
イギリス人の血を引く金髪碧眼のレイは、十人が十人美形と頷くその容姿から、私服姿でパーク内を歩いているだけでも映画の主人公に見えてしまう。遊園地という環境もあいまってか積極的になっている女性客に、先ほどから一緒に写真を撮ってくれとねだられては丁重にお断りする事態が続いていた。
だが、相変わらずの彼氏のモテモテぶりに琴が機嫌を斜めにすることなくデートを楽しんでいられる理由は――――……。
「っくしゅ!」
「琴、寒い?」
レイが琴しか見ていないと態度で伝えてくれるからだろう。
背を丸めてくしゃみをした琴の顔を覗きこみ、レイは気遣わしげに言った。琴は湿った前髪を梳きながら、へらりと笑う。
「ちょっと。でも平気だよ。さっき急流すべりで濡れたせいかも……っレイくん?」
レイの大きな手に白い繊手を掬われたかと思うと、そっと温かい息を吹きかけられ、指先を揉みほぐされる。その仕草だけで、琴は体温が二度くらい上がった気がした。
「れ、れれれレイくん!?」
周囲から羨望の視線が刺さったが、当の本人であるレイはまったく気にしていない。それどころか、レイはかじかんで指先の赤くなった琴の手を労わるように撫でた。
「指が冷えてる。海辺だから余計冷えるんだね。これ巻いて、琴」
そう言って、レイは自分が巻いていたカシミヤのマフラーを琴の細い首に巻いてくれた。マフラーからほんのり香るレイの匂いにポヤッとしながらも、琴は慌てて首を振る。
「でも……そしたらレイくんが寒いでしょ? 風邪引いたら困る……」
「じゃあブランケットでも買おうか。二人で包まる?」
テーマパークの顔でもある子猫のカップルのキャラクターが描かれた、大きめのブランケットが売られたカートを指差しながらレイがおどける。琴は多くのカップルがそれに包まり密着しているのをパーク内で見かけたので、真っ赤になって首を横に振った。
「は、恥ずかしいから、いい……!」
「そう? 残念だな。……じゃあこうしようか」
レイはごく自然に琴と指を絡め、繋いだ手を自身のショートコートのポケットに突っこんだ。キスだってしている仲なのに、人前というだけで琴は溺れたようにあっぷあっぷとなる。
熟れたリンゴのように真っ赤になる琴を見下ろし微笑むレイがひどく優しい目をしているせいで、琴は一気に暑くなった気がした。
(……そんな、全身で愛しいって伝えるみたいな視線……ずるい……)
目線一つ、仕草一つから、好きだと伝わってくる。最近はとくにそうだ。
桐沢警視長夫人の殺人事件が解決してから、レイは時間に余裕ができたのか休みのたびに琴を連れ出し、デートに連れていってくれる。それは今まで離れていた期間を補い、取り戻そうとしているようにも見えた。
そしてよりを戻してからというもの、レイとの距離はさらに近付いた。今までのレイは、もしかしたらいつ殉職するか分からない引け目から、どこか線引きをして琴に接していたのかもしれない。
それが、ホテルの爆発騒ぎで琴の決意を聞き、命が尽きるまでずっと琴と寄り添う覚悟を決めてから、琴に以前よりもストレートに愛を伝えてくれるようになった。
それがくすぐったくも嬉しい琴だが、時々、恋愛初心者にはハードルが高すぎて赤面してしまう。それに、レイが無理をしていないかと心配にもなるのだ。
港の景色が一望できるジェットコースターに並びながら、琴はレイを見上げて言った。
「お仕事で疲れてるのに、こんなに出かけても大丈夫? 私、レイくんとならお家でまったりしてるのも好きだよ?」
「優しいね、琴は」
「そんなこと……」
「でも大丈夫。それに、琴としたいことが沢山あるんだ。琴が前にテレビで見て可愛いって言っていた赤ちゃんパンダも一緒に見に行きたいし、ああそうだ。琴は海好きだよね? 温かくなったらクルージングもいいな、僕が操縦するよ」
「どうしてナチュラルに船舶免許持ってるのレイくん……」
無自覚なレイに相変わらずのハイスペックぶりを見せつけられ、琴はたじろいだ。レイは肩をすくめ、何でもなさそうに言う。
「免許は無駄にならないからね、学生時代に色々取得したんだ。船舶免許を取る時、ついでにモールス符号も覚えたなぁ……」
「私たまに、レイくんの脳みその容量にビックリしちゃうよ……」
「モールス符号はゴロ合わせの覚え方があるから簡単だよ。そうだ。暇つぶしに簡単な単語を教えてあげようか」
「ほえっ? 覚えられるかなぁ」
まあまあ、とレイの笑顔に促され、琴は足を使って今いるテーマパークの名前『ファンタジーランド』をモールス符号で教えてもらった。
長音は足で地面を擦り、短音は足で地面を叩く要領で文字を教えてもらった琴は、ジェットコースターの順番が回ってきた頃にはいくつかの単語を使えるようになっていた。
「レイくんのお陰で、待ち時間あっという間だった……!」
「それはよかった。飲みこみが早くて驚いたよ」
おそらく、琴がアトラクション待ちの間に退屈しないよう気をつかって教えてくれたのだろう。琴はレイのさりげない気遣いに感謝しつつ、乗り物に乗りこんだ。
「でも、今からのジェットコースターで吹っ飛んじゃうかも……」
まるで天国へ昇っていくかのように斜面をゆっくり上がるジェットコースターに乗りながら、琴は若干の怯えを滲ませて言った。
トレードマークであるたれ目で怖々と眼下を見下ろせば、人が蟻のように小さく見える。待ち時間の間に空はとっぷりと暮れ、ジェットコースターの車体にはライトがついて宝石のように煌めいていた。
天辺が近付くにつれ、セーフティーバーを握り締める琴の手が強張っていくのに気付いたのだろう、まっさかさまに落ちる寸前、レイは琴に「大丈夫だよ」と言わんばかりに上から手を重ねた。
「……っっきゃーーーーーー!!」
そこから先は、琴の絶叫がパーク内に響き渡った。
ライトアップされた夜景が視界の端を泳いでいくのを楽しむ余裕もなく、右に左にと身体を振られ、尻が浮く。途中海に突き出した大きなカーブで、振り落とされるかと思った。無重力が怖くてレイの手を握る力を強めれば、優しく握り返された。
「首……もげちゃうかと思った……」
座席の背中に貼りつけられるようなスピードのコースターから降りた琴は、青い顔で近くのベンチに腰掛け、弱弱しい声で言った。
「……八階から飛び降りることができたから、もう怖いものなしだと思ってたのに……」
「あれは一瞬だったからね」
三か月前のホテルの爆発を思い出しながらふらつく足取りで言う琴に、レイは苦笑を零した。その手にはフードカートで買ったホットのチョコレートドリンクが握られており、生クリームがたっぷり載ったそれを琴に渡してくれる。
「ごめん、トラウマになっちゃったかな?」
ホテルでの爆発から脱出するために、命綱なしでバンジーをしたのは記憶に新しい。あの時はああするしか方法がなかったわけだが、そのせいで琴に恐怖心を植えつけてしまったかもしれないと、レイは気に病んでいるようだった。
琴はドリンクを両手で受け取りながら否定した。
「トラウマなんかじゃないよ。度胸はついたし、それにああでもしなきゃ……」
きっと今頃、地に足をつけていない。
琴は黒いショートブーツのつま先をじっと見つめた。誘拐事件や爆破事件を通してから、生きていることが当たり前ではないと痛感する日々だ。レイとこうしてテーマパークでデートできることも、心配してもらうことも、何一つ当たり前のことではないのだ。
(……レイくんは、私よりずっとそれを痛感してるんだよね。敬愛する人を目の前で亡くし、今も刑事として最前線で、死と隣り合わせになりながら民間人を守ろうとしてるんだもん)
なにせ自らの危険さえ受け止めて、琴の手を離そうとしたこともあるのだから。
(そんなレイくんに、何かしてあげたいなぁ)
彼の望むことは何だろう。ベンチにかけたままレイを見上げれば、レイの視線はパーク内を歩く親子に向いていた。
(ん?)
別段変わったことのない、普通の親子だ。面倒見のよさそうな父と、やんちゃそうな息子と、優しそうな母が三人手を繋いで歩いている。微笑ましい図であるが、テーマパークではよく見る光景だ。しかしレイは、手の届かない月でも見るような目で親子を眺めていた。
(そういえば、レイくんのご両親って……お母さんは早くに亡くなってるし、お父さんについての話は全然聞かない……)
「琴? もうすこし座って休む?」
琴が急に黙りこんだため、具合がよくないと思ったのかレイが顔を覗きこんできた。我にかえった琴は、ハッとして立ち上がる。
「ううん! あ、レイくん、ナイトパレードの時間そろそろかな?」
ファンタジーランドのナイトパレードは、星の海のような電飾に彩られ、様々な映画をテーマにしたプロジェクションマッピングに合わせて映画のキャラクターに扮したキャストや動物、乗り物が現れるパーク最大の見物だ。琴が一番楽しみにしていたものでもある。
ドリンクで喉を潤し大分顔色の回復した琴は、レイに肩を抱かれながらパレードの見える場所に移動した。
十五分もすると軽快な音楽と共にパレードが始まった。パーク内の建物には、プロジェクションマッピングによって波やカリブ海の漁港、どくろマークの旗が揺れる海賊船が映し出される。
その次に、電飾で飾られた数々の海賊船がパーク内の湖に現れ船着き場へと碇を下ろした。その船からは船員に扮したキャストが次々と下り、パレードの道に現れた。
短剣や銃を手にした海の荒くれ者たちの登場に、ゲストは沸き立つ。琴も例に漏れず、黒曜石の大きな瞳を輝かせた。
その時、興奮した子供に背中を押されたせいで、一瞬パレードから周囲の客へと意識が向いた。人が大勢つめかける中、痩身の男が若い女の後ろにやけに密着して立つのが目に止まる。そしてその男の手が、女のショルダーバックに伸び――――……。
「……っスリ!」
琴が叫んだ瞬間、男は女のバッグから財布を抜きだそうとしていた手を止めた。しかし、琴の叫び声に驚いた女が振り返った瞬間、男は舌打ちまじりに彼女を突き飛ばしショルダーバックを奪いとる。
倒された若い女は尻もちをつき、悲鳴を上げた。
「ひ、ひったくりです! 捕まえてーーっ」
「レイくん……っ」
琴が助けを求めた時にはもう、レイは動き出していた。
「危ないから琴はここにいて! 女性のことは頼んだよ」
人ごみに紛れようとする犯人を、レイのアイスブルーの瞳は逃がさない。琴は倒された女性に駆けより助け起こしてやりつつも、視線はレイを追っていた。
「なんだ、なんだ? 余興か?」
「違うわよ! ひったくりだって!」
パーク側の演出かと戸惑う声が上がる人垣を割り、人をなぎ倒しながらひったくり犯は逃げる。レイは人の波を避け、着実にひったくり犯との距離を縮めていった。
「警察だ! 縛につけ!」
「警察だぁ!?」
ひったくり犯はレイを振り返り、青ざめた顔で呻いた。
「きゃあっ!? お客様!?」
後ろから追ってくるレイに気を取られていたのだろう、ひったくり犯は人波をかき分けるうちにパレードの道に躍り出ていた。女海賊に扮し模造の剣を手に踊っていたキャストは、突如乱入してきた男に面食らう。
しかしまんまとスポットライトの下に出てきてしまった男の方が、もっと焦っていた。ぎょろついて血走った目は忙しなく周囲を見回し――――……。
「観念しろ」
「うるさい!!」
男はレイの声に逆上すると、海賊船に乗りこんだ。レイもそれに続く。しかし、男は乗っていたキャストを羽交い締めにして人質に取り、隠し持っていたナイフをやみくもに振りまわした。
闇に煌めく銀色の刃に、観客から悲鳴が上がる。しかし、レイは眉ひとつ動かさなかった。
「切っ先を人質に突きつけていないなら、こっちのものだ」
「……は?」
レイに向かって伸ばされたナイフの握られた手は、次の瞬間、レイによって関節を逆に捩じられていた。
「い……っ! なん、え……!?」
何が起きたか理解が追いつかないのだろう。それをいいことに、瞬きする間に犯人との距離を詰めたレイは、そのまま海賊船の舵へ犯人の手を打ちつけナイフを手から落とさせる。そのまま床に転がったナイフを遠くに蹴ると、人質に取られていたキャストの腕を引っ張り自身の後ろに隠した。
「な、てめ……っ」
舵に打ちつけられて真っ赤になった手を押さえながら男が呻く。そしてがむしゃらにレイへ殴りかかったが、レイはすべての動きを見切って避ける。男は渾身の一発とばかりに大上段に腕を振り上げた。
――――が、その鼻っつらにレイの拳が届く方が早かった。
「……骨を折られたくないなら、大人しく捕まるのを進めますが」
凍てつくような笑みで告げたレイに、ひったくり犯は腰を抜かし座りこんだ。レイが彼を制圧するのに要した時間は、せいぜい二、三分だった。
「レイくん……っ」
警備員にひったくり犯が連行されていくのを見ながら、琴は服の乱れ一つないレイへ声をかけた。
大きなオニキスの瞳はそれでも、レイに怪我がないかとくまなく探る。どうやら本当に大丈夫そうだと納得がいってから、琴は胸を撫でおろした。
「レイくん、心配したよ」
「ごめん。あと、警察が到着してひったくり犯の身柄を引き渡すまで、警備の人に付き添っていないといけないけど……」
「ううん、それは気にしないで――――」
「金が必要だったんだよ!」
突如大声が響いて琴が振り向くと、ひったくり犯が、彼の両脇に立つ警備員に向かって叫んでいた。
「リバイブを手に入れるためにはなあっ。浮かれた奴らしかいねえここならひったくりし放題だったってのに!!」
「リバイブ……?」
聞き慣れない単語に眉をひそめる琴の肩を抱き、レイはひったくり犯から琴を遠ざけた。
「……最近出回っている覚醒剤の名称だ。琴は知らなくていいよ」
レイの口から聞いた覚醒剤という単語に、琴の胃が落ちこむ。たしか桐沢警視長の事件も、犯人の動機に覚醒剤が絡んでいた。
せっかくのデートだったのに事件を思いだし沈んだ琴の肩を、レイは労わるようにさすった。
「あの様子だと、他の客も被害にあってそうだな」
「あの……っ」
背後から綺麗なソプラノに声をかけられて、琴とレイは振り返る。声の主はパークの医療スタッフに連れられ、今まさに治療室へ移動させられようとしていた、ひったくり被害にあった女性だった。
(……綺麗な、いや、可愛らしい人だな……)
スタッフの手を振り切り、びっこを引いてこちらへやってきた二十代前半の女性に対し琴は思った。
片平や結乃のように華のある迫力美人というわけではない。むしろ怪我をした足を庇って歩く女性は、巷でよく見かける女子大生の代名詞のような格好をしている。
ただ、緩いウェーブのかかったミルクティー色のショートカットや並行眉、小さな二重瞼が可憐な印象を与えていた。白いAラインコートの袖から覗く手はピアニストのようにほっそりとしていて、家事や力仕事とは無縁なように見える。
琴が観察していることに気付く様子もなく、女性はレイへ深々と頭を下げた。
「ありがとうございました……! 本当になんとお礼を言っていいか……」
「警察として当然のことをしたまでです」
朗らかなレイの笑顔に、琴は女性のハートに矢が刺さった気がして複雑な気持ちになった。ひったくりにあった女性だけではない。一部始終を動画に収めていた客たちまで、男女問わずレイの整った容姿に感嘆の息を吐いている。
「警察の方でしたか……ああ、でも、是非お礼をしたいのですけど……」
「礼には及びません。怪我、お大事になさってください。……いこうか、琴」
「あ、は、はい」
食い下がる女性にやんわりと断ってから、レイは琴の腰を抱いて歩きだす。琴はレイが女性の容姿に興味を全く示さなかったことに内心ホッとした。それから、女性に軽く頭を下げてレイと一緒にその場を後にした。
「あの女の人、怪我、大丈夫かな」
ぽつりと零した琴に、レイはアクアマリンの目元を和らげ、安心させるように微笑みかけた。よそ行きの笑顔ではない、琴にだけ見せる笑顔だ。
「琴が医療スタッフを呼んでくれたんだろう? きっと大丈夫だよ」
「うん……」
せっかくのデートが、とんだハプニングに見舞われてしまったものだ。結果女性は軽い捻挫と擦り傷で済み、犯人は無事捕まった。しかし派手な大捕り物の一部始終はネットに上げられ、SNSによって瞬く間に拡散されてしまった。
――――そしてこの事件が、よもやあんなことに繋がるとは、この時の琴は想像もしていなかった。