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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
番外編
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深夜の攻防 後編

「…………どういう意味か説明してくれるかな……」


 頭が痛そうにこめかみを押さえるレイへ、琴は観念して一から説明した。


 バイトが休みの紗奈に誘われ、彼女の家でDVDを見ることになったこと。しかし紗奈が借りてきたDVDは、琴が大の苦手なホラーだったこと。


 そのせいでレイがいない家に一人でいるのを想像するとオバケが出そうで怖くなり、朔夜の家に助けを求めて駆けこんだこと。しかし紗奈と見たDVDでは幽霊が風呂場にまで現れたのを思い出し、一人で風呂に入れなくなったことを、琴は一息に白状した。


「だけど、さすがに浴室の中までは一緒に入れないから、サクちゃんに扉越しに話しかけてもらって怖さを和らげようと思ったの……!」


 最後の方は捨て鉢になって琴は叫んだ。情けなさから、大きなたれ目にはうっすらと涙が滲んでいる。

 マシンガンのような勢いで言い切ったため肩を上下させていると、肩口にレイの頭がポスッと埋まった。


 ややあって、レイの深く細いため息が首元をくすぐる。


「……はぁ」


「れ、レイくん? あの、誤解させてごめんね。呆れちゃったよね、えっと」


「妬いた」


「え……」


 目をむく琴へ、顔を上げたレイは拗ねた表情をする。状況が状況だというのに、見慣れない表情が新鮮で琴の心臓は跳ねた。


 レイは琴の背中に腕を回し、ぎゅうっと抱きしめて言った。


「嫉妬した。すごく。離れていこうとするなら、泣かせてでも、無理やりでも引きとめようと思った」


「ええ……? そんな」


「引いた? 琴のことが好きなのに、大切にしたいのに、琴を想う僕の気持ちは自分勝手でワガママだ。自分の隣では幸せにできないと思って別れを切り出した時でさえ、白状するなら、君を不幸にしても隣にいてほしいって気持ちがどこかにあった」


「レイくん……」


「……だから、離れないで」


 剥き出しの独占欲に触れ、琴は瞳を揺らした。ああ、怒っているように見えたレイの表情は、焦燥の表れだったのかもしれない。レイにこんなに想われているなんて、夢にも思わなかった。


 なんて重たい鎖なんだろう。でも、その束縛が心地よいとさえ思った。


(だってきっと、レイくんは結局は、私のためを思って自制するから)


 琴はそっとレイの広い背中へ腕を回した。ピクリ、とレイの身体が揺れる。スーツが冷えている割にはレイの体温は高かった。きっと朔夜からメールで連絡を受けてから車を飛ばし、急いでマンションを上がってきたに違いない。


 そう思うと、レイが愛しくてたまらなくなった。


「離れないよ。不安にさせてごめんね、レイくん」


「……いや、僕も早とちりしてごめん」


 しばらく玄関で抱き合って、互いの体温や匂いを満喫してからそっと離れた。鍵と鍵穴のようにかちりと嵌まっていた身体が引き離されるようで少し名残惜しく思いながら顔を上げると、すっかりいつもの様子に戻ったレイに微笑みかけられた。


 そう、いつも通りの――――……いや、レイはいつもより意地悪い笑みを浮かべている。


 捕食される小動物の本能に近い何かが、危険を知らせている。琴は慌ててレイから距離を置こうとしたが、その前にガッチリとレイの手が琴の腰に回り、小さい子よろしく、ふわっと抱きあげられた。


「ひゃっ? レイく……」


「でも、やっぱり伽嶋と扉越しでも一緒に風呂に入るのは許せないな」


「え、あの……ごめんなさ……」


 許せないと言いつつも、レイの整った口元はニヤニヤと弧を描いている。琴をからかっているのは、容易に想像がついた。


「ごめんなさい。サクちゃんにはもうバカなこと頼みません……」


「そうだね、頼るなら僕を一番に頼ってほしいな」


「でも、レイくんお仕事だから……」


 抱きあげられたことで視界が高くなった琴は、気遣わしげにレイを見下ろす。肌荒れ一つないレイの顔は、それでもどこか疲れているように見えた。うっすらと出来た隈を指でなぞれば、くすぐったそうにレイが目を伏せたため、指先が長いまつ毛に触れた。


「それでも、僕を一番に頼って。琴に頼られたいんだ」


「……ありがとう。お仕事沢山あったのに急いで片付けてきてくれたんでしょう? 嬉しいよ」


 レイの優しさに琴が目元を和らげれば、レイに微笑み返される。


「琴のためならなんだって。さて」


「うん?」


 切り出したレイに、琴は首を傾げる。レイは琴を抱き上げたまま、風呂場へと足を向けた。


「レイくん?」


「お風呂、まだなんだろう? 僕でよければ琴が入っている間、怖くないように洗面所で待っていてあげるよ。ああ、何なら一緒に入る? うちのバスタブの広さなら二人で入っても平気だよ」


「!?」


「でも、さすがに手を出さない自信がないな」


「け、結構です! 扉越しにいてくれればそれで……!」


 琴が熟れたトマトのように真っ赤になって言うと、レイはクスクスおかしそうに笑う。その度に彼の身体が揺れ、振動が伝わって琴はさらに気恥ずかしくなった。





「レイくん、れーくん、いる?」


「いるよ。大丈夫。お化けは出ないだろう?」


 服を脱いで浴室に入ってから、琴はレイを呼んだ。すると、浴室と洗面所を区切るドアのすりガラス越しにレイのシルエットが揺れる。そのことに安心しつつ、琴はバスタブいっぱいに張った湯に浸かった。


「ちゃんと浸かるんだよ」


「うん」


 チャプンと鳴った湯の音で琴の動きが分かったのだろう。ドアに背を向けたレイから声がかかり、琴は頷く。頷いてから、鼻の上まで湯に浸かり身悶えた。


(……なんか、これ、エッチじゃない!?)


 と。


 自分は一糸まとわぬ状態で、薄いドア一枚隔てた向こうにはレイがいる。その事実が、琴を照れさせた。


 もし何かのハプニングでこのドアが開けば裸を見られてしまうし、もしかしたら、いつか本当に一緒にバスタブに浸かることだってあるかも……。


 以前目にした、鍛えぬかれ均整の取れた彫刻のようなレイの上半身を思い出す。着やせするわりには厚い胸板だった。肩も広かった。今はキス止まりだが、この先、本当にお風呂に一緒に入ることになったら自分は……。


(こんなのお化けを怖がっている暇なんてない……!)


 レイのお陰で、お風呂での恐怖は吹っ飛んだ。


「琴? のぼせてない?」


「だ、大丈夫……!」


 無言になった琴へ、レイは声をかけてくる。普段一人でいる空間から恋人の声が聞こえることに、琴は赤面した。


 結局いつもより早くお風呂から上がった琴は、入れ替わりでレイが風呂に入っている間もまざまざと一緒にお風呂に入る未来を想像してしまった。


 そのあとでレイに髪を乾かされたのだが、お風呂での妄想を引きずってしまい、終始彼の顔は見られなかった。


「琴、耳……」


「ひあっ!?」


 ソファに座ったレイの、開いた足の間に身体を滑り込ませるようにして座っていた琴は、背後からレイに耳を撫でられ、変な声を上げた。


「な、なななななに?」


「いや、赤くなってたから。もしかしてドライヤー熱かった?」


 ドライヤーのスイッチを切って心配そうに尋ねるレイへ、琴は首を横に振る。一緒にお風呂に入る未来を妄想していたせいで赤くなってしまったなんて口が裂けても言えないと琴は思った。


(エッチな子だと思われたらやだ……! もう今日は頭を冷やして早く寝よう……!)


 すっくと立ち上がり、琴はレイにお礼を言うと足早に自室に戻ろうとする。が、その手はレイに引っ張られ、踏ん張れなかった琴はそのままレイの膝の上にポスンと載ってしまった。すかさず、レイの腕が琴の腹に回ってホールドされてしまう。


「れ、レイくん? なに……」


「それで?」


 レイの甘い声が耳に直接流しこまれ、琴はレイの膝の上で硬直した。


「え、え?」


「琴が一人でお風呂に入れなくなった原因のホラー映画では、あと、どことどこにお化けが出たのかな?」


「あ、ああ……あとは……えっとね、ベッドの中とか……ちょっと待ってレイくん、あの」


 そこまで言って、琴はこの先の展開を想像しうろたえた。察しのよい琴へ、レイは満足そうな笑みを浮かべる。


「ベッドか。きっとこれからも僕が仕事で帰れない日は多いから、琴がベッドで一人寝るのを怖がらないようにしないとね」


「え、ちょっと、あの」


「とりあえず今日は一緒に寝ようか。たっぷり可愛がって甘やかして、お化けのことなんて思い出さなくしてあげる」


 イケメンというのはずるい。笑顔一つだけで相手から拒否権を奪ってしまえるのだから。琴はレイに軽々横抱きにされると、彼の寝室へと連れ込まれてしまった。


(もしかしてレイくん、私がサクちゃんを頼ったこと、けっこう根に持ってる?)


 壊れ物を扱うように優しくベッドに下ろされた琴は、そのままレイに覆いかぶさられる。ドギマギしている間に眼前へレイの整った顔が迫り、額に口付けられた。


 それから頬や唇を啄ばまれ、琴はまつ毛をふるりと震わせる。最後に、眠りを誘うように瞼に口付けられた。


「レイく……」


「……一人で留守番が怖い時は、僕と一緒に寝た時のこと思い出して」


 どろどろに甘く溶かされた空間で、レイにそう囁かれる。琴はもうレイで頭がいっぱいになりながら、溺れたようにあっぷあっぷと頷いた。


「大丈夫……もう怖くない……」


 多分これからはずっと、レイが徹夜で仕事の時も、彼のベッドに一人寝ているだけで、レイに甘やかされながら寝かしつけられた日のことを思い出すに違いない。


 なのに、レイはまだ飽き足らないのか、琴の首の後ろに腕を差し入れて腕枕を作ると、空いた方の手で琴のフワフワした栗毛を梳いたり、戯れに口付けたりしてくる。


 いってきますとおかえりのキスは欠かさずしているが、それ以外でこんなにも触れられるのは珍しくて、琴の思考回路は羞恥で焼き切れそうになった。


「も……レイくん、恥ずかしい……」


 紅潮した顔を俯け、琴は控えめにレイの広い胸板を押し返す。しかしその手はやんわりとレイに払われ、逆に指を絡め取られてしまった。


「僕はまだ足りない」


「そんな……」


「いや?」


「嫌じゃないけど……」


 琴は口ごもると、レイの胸元に顔を埋め、消え入りそうな声で言った。


「こんなにされると、いつもレイくんのこと考えちゃうからダメ……」


「…………」


 絶えず降っていたレイの口付けがピタリと止まる。それを不思議に思って琴が顔を上げようとすれば、身動き出来ないほどぎゅうっと固く抱きこまれた。


「むぐ……っ? レイく、苦し……」


「我慢して」


「んーっ」


「今ゆるみきった顔してるから、見ないで」


 何それ、見てみたい。ダメ。そんな押し問答が、広いシーツの海の中で繰り返される。


 しばらく琴は粘ったが、やがて風呂上がりの火照りもやみ、疲れてレイの腕の中で小さな寝息を立てた。その穏やかな呼吸に耳を澄ませてから、レイはベッド脇の照明を消した。


「おやすみ、琴」


 琴の丸い額に唇を落としたレイの声はひどく優しい。恐怖よりも安心が勝った琴は、レイの腕の中、お化けにうなされるどころかフワフワした綿菓子に包まれるような甘い夢を見た。


 そんな琴の寝顔を飽くことなくレイが見つめていたのを、琴は知らない。


 おまけに警視庁で残務処理をしていたレイを目撃した者たちにより、彼が早く帰るためにあまりにもハイスピードで仕事をこなすのでいくつか分身が見えたと、のちに警視庁内で語り継がれることになると琴は知らなかった。



第一章は七月以降に再掲載予定です。

現在は三章の構想が固まったのでぼちぼち書きだしているところですが、いつ掲載出来る事やら……(^^;)番外編は思いついたらちょこちょこ上げていきたいと思います。ここまでお付き合いくださりありがとうございました^^ではまた。

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