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走馬灯

作者: 権左衛門


世界は理不尽だ。 

親は生まれてくる子供を選べないし、生まれてくる子供は親を選べない。

子供がぐれようが、親が虐待しようが、それは生んだときから生まれたときから決まってたことだから、理不尽の一言で終わらせるしかない。


 


私の両親は私が5歳のときに離婚した。金がない癖に母親は私を含めて3人の子供を引き取り、実家に戻った。だけど、その実家も借金まみれで、私が小学生のときに取り立てにくるほど金がない。そんな環境で私は育った。




離婚した直後から

「もしもし、はなやけどお父さんお金貸して」

とお父さんに。


「もしもし、お金貸してください」

と会ったこともない伯母に言わされ続けてきた。



小学生のときには十分に風呂にも入れず、洗濯もあまりしてもらえず、ランドセルなんてお古のぼろぼろを使っていた。


当たり前に先生たちも小汚い私には近づかない。

ひもじいから爪を噛み、唇の皮をむき、飢えを耐えしのぐ。

給食費を払ってるかわからない給食を人一倍食べて、栄養を保つ。

それでしか生きていけない。


人間関係は下手くそ、友達なんてできない内気さ、それは中学生になっても治らず、とうとう学校には行かなくなった。




のちのち無職の母親は言う。

「不登校のお前が心配で働けなかったんだよ」と。

そんな嘘の理由にされる不登校。


ふざけんじゃねーよ、の一言は言えないままで。







高校ではなんとか立ち直り、登校するも

「母親、なんの仕事してるの?」


「興味ないんで知りません」


『無職なんで』とか言えないからそう言うしかない。私の頭ではそれしか考えられなかった。


父親と離婚してから、初めは働いていた母親は最初のうちに働いていた田舎のスナックの客に金をせびるようになり、だんだん働かなくなっていた。

辞めてからも彼女でも妻でもない癖に、毎日ストーカーのように連絡をとり金をもらい、そんな『女』になる母親が心底気持ち悪いし、先生たちに『父親でも母の彼氏でもない人に養ってもらってます』なんて言えない。

その質問をされるたびに辛くて、母親に当たればそんな質問をする先生が悪いと言う。

他の子は答えられるのに。他の子に答えられる質問をする先生が悪いと母は言う。

そんな母を恥ずかしいと私は思った。




高校もなんとか卒業したが、したかった進学は当たり前に金がなくできなかった。父親を頼る勇気なんてない。母にはぼろくそ言われ、奨学金で頑張っていくと言っても反対された。


大人しく先生に勧められたところに就職すれば「なんで進学しなかったの?」と上司からも同期からも聞かれた。


「親に反対されたから」


「親に反抗してまで行こうと思わなかった?」


お前になにがわかるだよ!と叫びだしたい質問だった。そこまでして進学する勇気がなかったこともあるが、そんな質問ができるのは恵まれた奴だけだ。

親に反抗してまで進学したってやつは結局は応援してもらったんでしょ?


汚い私にはそれができなかった。いつもいらいらして恵まれていないという自分を嘆いて。




ああ、なんてくそつまらない人生だったんだろう。


今までの人生を脳内で反芻しながら、上に吹いている風を感じていた。


さようなら、理不尽な世界。次生まれて来るときは裕福な家庭がいいと願うことを許してください。


さようなら。



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