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くいっ、と律のスーツの袖を引くが、蓮の訴えは虚しく微笑に散った。
駄目。とたった一言だけ、十七才の少年にしてはまだ若干高い声が首を横に振る。
引かれた袖から蓮の手を剥がそうとしないのは兄心ゆえか。
悔しいが、この意地悪な兄に甘やかされていることを蓮はきちんと自覚している。
律と言う兄が本当に蓮を傷つけたことはない。
わやりわやりと声を張り上げる売り子、ねだる子どもや、それをたしなめる母。
そこそこに騒がしい通りを我関せずに律は横切ろうとする。
「買わないよ?蜜柑だって柘榴だって買わないよ」
よりによって蓮の好きなものをことごとく却下していく律。
その左側、律の左腕を引っ張りながら歩く蓮は意地悪で楽しそうに遊ぶ、それはそれは良い笑顔の律を見上げて不快が倍増する。
そんなに妹をいじめて楽しいのか。と聞いたところで無駄なこと。
女性と間違えそうになるほどにきれいで中性的な顔に腹立たしいくらいの笑顔を羽ばたかせるに違いない。
蝶のように、誰をも惹かせる笑顔を。
律の笑顔は妹である蓮ですら時折魅入ってしまうが……蓮はブラコンではない。念のため。
ふわりと香る柑橘類の匂い。あの橙色の球体を蓮はこよなく愛していると知ってのこの所業。
律をいつかけんかで負かすのが蓮の密かな願望である。
律の首にゆるっゆるに巻いている黒いネクタイに標的を変えた蓮は背伸びをし、手を伸ばした。
「お蜜柑っ。食べたいっ!」
「うわぁっ!」
ぐいぃーっ、と力惜しまずにネクタイを思いっきり引っ張って、ついでに全力の訴えも添えてみた。
完全に油断していたのだろう。律はがくんと首から前のめりに倒れかける。
が、しかし林檎は死守していた。保護者至上主義と名高い律。流石の行動だった。
律でもやはり痛覚は存在しているらしい。体勢を立て直すと左手で首を押さえながら太陽に透ける蝶のような羽ばたき色の瞳に痛みを織って、蓮を睨み付けた。




