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Dear  作者: 雨神
躊躇いの伸ばし手
31/62

4-7


 本来なら、蓮は間違いなく放っていたはずなのだ。


 優と律以外はどうでも良いのだと、それ以外には必要はないのだと。何百年もたたずむ岩のように強固に、頑固に。固く固くそう思っていきてきたはずだった。


 なのに、なぜ今自分はれんと名乗る女性のもとへ毎日足を運び、笑顔でいれるのか、口を開くのか、自分自身でわからないことばかりだ。


 何度も何度も眠れぬ夜に考えた。布団の中にぐるぐるに丸まり潜り込んで、必死に考えた。


 狭い家の中に安心して聞こえる家族の寝息や、子守唄のような振り子が時間を確実に刻んでいっても、蓮の中に疑問に対する答えが生まれることはなかった。


 だから、問うことだけは忘れない。疑問に思っていることだけは決して決して忘れないように。


 今この時だって、蓮は自分に問うている。


 蓮、蓮?

 どうして?

 どうして蓮はこのひとの傍に居ようとするの?

 どうして?

 どうして毎日ここへ通っているの?

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 

「……蓮ちゃん?気分でも悪い?」


「……え?」


 はっ、と問いかけの世界に浸っていた蓮はその声に引かれて慌てて現実に帰ってきた。


 心配そうな声音の主の背中を見ると、蓮が拭いたのだろう部分がうっすらと赤くなっていた。


 しまった、と間髪いれずに当たり前のようにその感情が蓮の中に湧く。


 わっ……!と慌てて手を離し、蓮はれんの細い細い肩を掴んだ。しまった、これも痛いかもしれない。


「ごっ……!ごめんね、れんおねえさんっ!痛かったよね?痛いねっ!ごめんねっ」


「……ふふっ、そんなに謝らなくて良いのに。……それよりも」


 それよりも、と赤くなってしまった背中以上の問題が今この場に存在しようか。


 それよりもなんてない。


 蓮がそう口にしようとした時、上半身を捻って蓮を心配そうに見る、黒い右目と視線が絡んだ。


 白い肌に伝うれんの若草色の髪が蔓のようで、桜色の唇はまるで花のようで。


 こんなに綺麗なものが世に存在するのかと、蓮はしばしれんに見惚れた。


 律は律で綺麗だと思っているが、律とれんとでは綺麗な部類が違うような気がして……でも、


 どこかが似ているような気がした。


「……蓮ちゃん」


 そうっ……とれんの手が蓮の頬を撫でる。


 まるで生まれたばかりの雛を愛でて、慈しむかのように。


 雨に濡れた花弁を破かないような優しく繊細な指の温もり。


 また、だ。


 わからないのだけど……どうしても答えはでないのだけど……れんが言葉を紡ぐ時、蓮は自身に問いかけ続けている問いが姿を消してしまうことを認識していた。


 何故だろう?

 どうしてだろう?


 探せど探せど答えは隠れて出てきてはくれない。


「…………蓮ちゃん、疲れてない?大丈夫?……もしも、誰かに言われて来ているなら来なくても」


 大丈夫なのよ?とれんがふんわりと微笑んだ。


 ずくん、と胸に鈍痛が沈む。


 ほんの一週間程度だが、蓮は既に何度かれんにこの言葉を言われている。


 来なくても良い。


 それを言われる度に何故だか……何故か堪らなく泣き出しそうになってしまう。


 まるで欲しいものを買って貰えない子どものように。


 蓮は無意識にぶんぶんっ、と首を横に振り、意識せずに口が否定を言葉にしていた。


「ち……、違う……違う、……違う……!」


 違うんだよ、と泣き出してしまいそうな己を必死に抑え込もうと下を向き、唇を噛み締める。違う、違う。


 誰かに言われたわけではない。言われていやいやするのはおつかいくらいだ。


 蓮はぎゅうっ……と黒いワンピースの裾を握りしめた。他に雪崩を起こしそうなこの感情を塞き止める場所がない。


 明らかにこれは蓮の意思だ。誰かに言われてやっていることでもなければ無理を強いられているわけでもない。ましてや気紛れから来る責任感からでもなんでもない。


 じゃあ何故なんだと、答えを見せろと言われても掲げられる答えはまだ隠れたままだから見せられない。


 だけど、来てしまう。どうしても来てしまう。


 足を運んでしまうのだ。気がつけば律や優と同じくらい、れんのことを考えてしまっている自分がいる。それまでは律がいつ気紛れを起こして悪魔を『散らした』翌日以外のお使いに出されるかに鬱々としたり、優の具合が悪魔によって脅かされてしまうのかと心配を重ねたりしていたのに。


 夜、お風呂上がりにはまた明日逢えるかなと考えるようになった。


 朝、目覚めたら今日も元気だろうか?と想うようになった。


 昼を過ぎれば出かける時間、おやつが出来る時間を待ちわびるようになった。


 おやつが出来たらいそいそと籠に色んなものを詰める楽しみが出来た。


 準備が出来ると逢える楽しみに胸を膨らませて走るようになった。


 全部ぜんぶに理由がない。理由がわからない。


 けれど、逢いたくて。


 来たい気持ちはあっても来たくはない気持ちは、少なくとも今の蓮には存在しなかった。


 違う、違うをただひたすらに雫し続ける自分の視界が滲む。手すらぼやけて歪んで見える。


 ああ、涙が溜まっているのだと、見られたくないと想った。


 けれどそれ以上に、否定したかった。


 理解して欲しかった。


 スカート越しにもじわりと傷みが刻まれる程に強く握りしめた膝。


 本日も曇天な空の下で、更に蓮の上には影が出来た。


「……ごめんね、蓮ちゃん」


 ごめんね、と謝る優しい影。


 蓮の頭を抱き締める、白い腕。


 そこにある暖かみのちいさな世界が、蓮の瞳から簡単に涙を溢れさせる。





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