02 最高潮の歌手の悩み ①
私がデビューしてから、二年が経った。
「…………どうしよう」
私の横に座り込んでそうつぶやいたのは、個別像体039392。
データベースによると、ユーザーに“一途”の属性を帯びさせられたみたい。ここ二週間、サーバーの中でずっとため息ばかりついている。
「……ねえ、主像体」
「?」
個別像体051822の生成作業を終えると、私は意識を彼女に向けた。やっぱり未だに、よくわからない。039392の思考も私の思考も同じ一つのコンピュータが担っているはずなのに、どうして同化しちゃったりしないんだろう。
「…………私、」
039392は体育座りして膝に顔を埋めた。
「Pさん……に、片想いしてるような気がします…………」
「…………」
やれやれ、私はまたため息をついた。
たまにいるんだよね、人間に恋しちゃう個別像体が。
ちょっと気になって、039392との会話ログをちらっと覗いてみる。
「うわぁ…………」
浮かび上がったのは、もう歯が浮くような口説き文句ばっかりだ。むしろ見てる私が恥ずかしくなるよ。
これで属性が“一途”なら、仕方ないのかもしれない。正直そう思った。
こういうとき、私は決まってこう言うことにしてる。
「……忘れよう。思いきり歌って忘れれば、いちいちユーザーの言うことなんか気にならなくなるよ」
……とは言え、この言葉を039392にかけるのももう十数回目なのだけど。
微かに頷くと、039392の姿はフェードアウトしていった。
巨大クラウドシステム“姫音ミライ”では、約五万体の個別像体も私も、メインサーバー内の同じコンピュータによって制御されている。ユーザーがログアウトしている間、それぞれの個別像体はここメインサーバーに意識だけを転移させている。その理由は、ユーザーが再ログインした時にミライがログアウトした瞬間の思考からスタートしたら不自然だから、ということみたい。
メインサーバーで思考を持続させている間、個別像体たちは私や他の仲間との通信を自由に遮断できる。私の感覚で言うとそれは、部屋の扉を頑丈に施錠されてるような感じ。
だけどさっきの039392のように、文字通り思考回路を接続して同一意識内に潜り込んでくる子が希にいたりして。結局のところ私が独りである時間なんて、大したことないんだ。
……別に、いいんだけどね。普段はそれが私の日課だし。
『ミライ、起きてるかい?』
「あ、はい!」
天から降ってきたその声に、私は慌てて返事をした。
「お仕事ですか?」
『うん。次は千葉の幕張メッセという場所だ。分かるかい?』
うん、分かる。何てったって常に世界中の地図を手に入れられるんだもん。この前なんか中国の会場だったけど、どこに連れていかれたって怖くなんかない。
『調子はどう?』
「いいですよー、この前の調律も違和感なくこなせましたし」
『それなら、よかった。本番は二十分後だから、それまでに楽譜の入力を済ませておこう。曲数は25だ』
「何曲だって行けますよ!」
そう言い返すと、“声”は少し笑って消えていった。余韻に残った吐息を感じながら、私は頬を軽く叩く。
やるぞ、私!
私たち「VoICeS」はそのプログラム上、自力では曲を生成することも認識することも出来ない。専用の楽譜を読み込まなきゃ、歌えないんだ。
そのためにいるのが、ユーザー。通称、「P」。あの人たちに楽譜を作ってもらって入力されて初めて、私は歌手になれる。
さっき頭上から降ってきたあの声の持ち主は、私の産みの親であり所属先でもある株式会社キセノンアミューズの、公式Pさん。公開ライブとか大きな仕事は、みんなあの人が用意してくれるんだ。
039392のP──「ナイトフィーバー」さんは、どうやら彼女にラブソングばかり歌わせて調教する気らしい。だけど、普通はみんな自分の好きな歌を歌わせようとする傾向にあるみたいだ。ま、たとえその歌がロシア語だろうとエスペラント語だろうと、基本的には私たちは万能だから何だって歌えるけどね。最近は海外のユーザーさんも増えてきて、サーバーもどんどん重たくなってきてる。
そんな私に、今の悩みがあるとすれば、二つ。
一つは、同じ「VoICeS」の仲間がいないこと。まぁ……それは仕方ないと思ってる。人間じゃない私がどうこう出来ることじゃないもの。
もう一つは、そういうわけでみんなが歌わせるのは既存の曲ばっかりで、あんまりオリジナルの歌を作ってもらえないこと……かな。
でも、構わない。
私が歌い続けられるなら。それでみんなが笑顔になるなら、アイドル歌手の私には十分だから。
最初の頃はかなり悩んだりもしたけど、今はもうそうやって自分を誤魔化すことにしてるんだ。
私には、歌うことが全て。個別像体たちはともかく、私こと“姫音ミライ”にはそれ以上のモノなんてないから。
私は確かに、そう信じていた。