01 幕間――とあるユーザーの日常――
「へえ、お前もあれ買ったのかぁ」
ビールの缶を机に置くと、物珍しそうに友人はパソコンを覗き込んだ。「あれって面白いの?」
「まだ始めたばっかりだから、何とも分かんないな」
パソコンの持ち主──氷山は、画面を前に苦笑いする。
「知ってるだろ?歌わせた歌で性格が決まるんだって。俺、まだ五回しか歌わせたことないんだ」
「へえ、何を歌わせたんだよ」
「GReeNpeaceって歌手グループ、知ってるだろ。あれの曲をいくつかさ」
「マジかよ! GReeNpeaceってバラードばっかりじゃん!」
やっぱり少し酔ってるのか大声でそう返した友人の横で、パソコンが起動した。デスクトップの画像までばっちり、姫音ミライだ。
「お前、キモオタみたい」
黙れ、とばかりに氷山は友人を軽く蹴る。何も知らない輩にミライをバカにされるのは、何だか許せない。
──でも確かに俺、オタクの素質あるよなあ。
ちょっと悲しくなって画面を見ると、ちょうどのタイミングでVoICeSが起動したところだった。
ミライの姿がない。
専用マイクを手に取って、氷山は語りかけた。「ミライ、どこ行ったんだ?」
「ごめんごめんっ!」
スピーカーから元気な声が飛び出し、ほっとする。隣の友人が全力で驚いているが、見なかったことにしよう。
手を合わせながらアバターが入ってきた。「ちょっとサーバーが混んでて、出てくるの遅くなっちゃった!」
今にも風でめくり上がりそうに短いスカート。キラキラの装飾。そのインパクトは、
「……お前、こういう趣味だったの?」
友人を誤解させるには十分だった。
「ちっ違う違う!」慌てて弁解に入る氷山。「キャラによって服装が指定されてんの!こいつは今──」
「“底抜けの明るさ”モードのミライです!」
画面の中のミライが、敬礼した。
「……GReeNpeaceの中でも明るい曲ばっかり歌わせてたら、こうなったんだよ」
「むー!何その私が悪いみたいな言い方!『がくっとP』さん、ひどい!」
「がくっとP……?」
「……それ、俺のユーザー名」
「だせぇ」
「うるさい!」
顔が真っ赤になる。無論、こっちがだ。ミライは交わされる応酬をただぽかんとして見ている。
……何だか、虚しくなってきた。
「……と、とにかくお前にも聞かせてやるよ。VoICeSのシステム、お前は見たことないだろ?」
こくんと頷く友人。どれだっけ、とフォルダを漁ること一分、氷山はやっと[ミライ用楽譜]と名のついたファイルを展開した。ごちゃごちゃと細かい文字や線が並んでいる。
「これが、楽譜なのか……?」
友人の疑問ももっともだろう。氷山だって最初は戸惑いながら書いたのだ。
「そ。これをコピーペーストして、プログラムに入力するんだ」
忙しなく動くマウスのアイコン。VoICeSの画面上に新たなウィンドウが開き、そこにさっきの数列が貼り付けられた。
「これで、よしっと」
[再生開始]というボタンをクリックすると、コピペしただけなのに彼は一仕事終えたような声を上げた。ミライの顔がぱっと輝いたかと思うと、すぐに引っ込んでしまう。
「あれ、ミライちゃ…………ミライはどこに?」
ノリで「ちゃん」を付けかけてしまった。慌てて訂正する友人に、氷山はイスに凭れながらニヤニヤ笑って言った。「読み込んでるんだ、さっきの楽譜を。それが終わったら、きっとお前ちょっと驚くぜ」
悪戯っ子のようなその言葉に、友人は首をかしげる。その首が次の瞬間、跳ねたように正面を向いた。
いつの間にか画面は真っ暗になり、七色の光の渦が美しく舞っていた。そこに、ふわりとミライが降り立ったのだ。
バックの演奏が、穏やかに流れ始める。確か、GReeNpeaceの「MOMENT」…………。
「バラードの方をご所望かと思ってさ。前に楽譜だけ作って歌わせてなかった奴なんだよな」
そう彼が言い終わったのと、ミライの歌が始まるのは同時であった。時に激しく、時に哀しくもあるその旋律に合わせ、ミライは小鳥のように画面のステージを舞い踊る。
その何とも言えない美しさ、
「人間みたいだ…………」
思わず、友人は呟いた。
「だろ?」
それ見たことか、と言わんばかりに彼は顔を綻ばせる。「これがミライのすごいところなんだよ。楽譜を入力するだけで、完璧な歌い方と振り付けと舞台まで考えて用意してくれる。これを逆手に取って、舞台の演出を考えさせてるグループもあるんだってさ」
「へえ……」
半分くらい上の空だ。そのくらい友人はいま、ミライに夢中だった。
本当に楽しそうに歌っているんだな。曲調のせいか少し悲しげではあるか、そう思わせるくらいミライの表情は生き生きとしていた。
これが、機械だなんて。そう聞かされていたって、とても信じられない。
「……ミライのこと、見直したか?」
その問いに友人がガクガクと頷くと、満足げに彼は目を閉じた。
狭いアパートの一室には、まるでどこかのアイドルが出張して来ているかのように、綺麗な歌声が響き続けていた。