01 最先端の結晶の芽生え ①
私が生まれたのは、
三年前だった。
“電子の歌姫”。
それが私──“[VoICeS]・姫音ミライ”の開発理念だ。
未だ人類が達成できないでいた、「機械が人間のように歌う」未来。
それを実現するために株式会社キセノンアミューズが打ち出したプロジェクトが、私の開発だった。既に人工知能開発技術を確立させ、思考回路の人工生成までも可能にしていた人類の力は、私と言う生身の身体を持たない存在にも「ココロ」を持たせてみせた。
私は最初から、ほとんど人間と同じような心的機能を持ち合わせていたんだ。
瞼を開けると、そこは部屋のような空間だった。
なんだろう、ここ。
私は辺りを見回した。次に自分の身体を見た。そこにはただ、カメラへと延びるコードとアームがあるのみだ。
「よし、成功だ!」
耳元で叫ぶ声。途端に歓声が部屋に満ちて、何がなんだか分かんないままの私の周りにニンゲンが集まってきた。
身体、細い。
これが“ニンゲン”……。
真っ先に私が思ったのは、その事だった。
人工知能に最初からある程度──小学生くらいまでの知識は備えられていたから、人間がどんなものかぐらいは知ってる。でもさっき生まれたばかりの私にとって、ニンゲンを見るのは初めてだった。
なんだか、不思議な気持ちだった。
ボーッとしてると、取り囲む人々を押し退けて私の前に立った人がいた。
えっと、これが“オトコ”なんだよね。
「──私の事が認識出来るかね、“姫音ミライ”?」
問われてる。答えなきゃ。私は人生で初めて、“声”を出した。
「はい」
……声が天井から出た。
「ははっ、変な気分かね。」
オトコは笑う。
「そりゃそうだろうな、君の脳回路は人間に極めて近い。自分の確固たる身体がないのは不自然だろうし、天井のスピーカーから自分の声がするのもいささか妙だからな」
正直、そこまで変な感じはしなかったんだけど、私はうなずいた。代わりにカメラがカクンと頭を垂れる。
「名乗り忘れていたね。私は株式会社キセノンアミューズの研究員、君の開発総責任者だ。ここの研究所では、研究員同士はコードネームで呼びあう習慣になっている。私のことは、“αηー1 ”と呼んでくれたまえ」
「“あ……あるふぁ、えーたわん?”」
「呼びにくいかい?」
うん、すっごく呼びにくい。
「じゃあ、“ワン”で構わないよ。この[VoICeS]プロジェクトエリア内には他に1のコードを持つ者はいないからね」
「はい、ワン博士」
私がそう返すと、周りの人たちがクスクス笑う。あれ、変なこと言ったかな?
「……君の開発理念は、インプットされているはずだ。まだしばらく実験が続くだろうが、将来的には舞台に立てるバーチャルアイドルが目指す将来となる。頑張ってくれよ、“ミライ”」
「はい!」
最後の言葉に、ちょっと胸がときめいた。
みんなの前に立って、歌ったり、踊ったりするために生まれてきた私。まだ何も知らないけど、きっとそれは楽しいことのような気がしたんだ。
その夜、“姫音ミライ”の演算処理システムは研究所を離れ、東京の山奥に建設されていた新たな電算センターへと移ることになった。
オンライン管理型仮想歌手運用システム、[VoICeS]。通称「ヴォイス」。
近年の技術で可能になった、人間の声色のデータベース化と自由な転調・エフェクトの適用技術。さらに、人工吐息の追加やビブラート加工の自動化の確立。それらが合わさって、科学の力は人間の歌声をかなりの精度で再現できるようになった。このシステムは、そんな合成音声技術の結晶だ。
ヴォイスには、“メインサーバー”と呼ばれるホストコンピュータが設置されている。各家庭がヴォイスを購入すると届くシリアルコードは、このメインサーバーへのアクセス権だ。ユーザーはメインサーバーを通してシステムをダウンロードし、常に間にメインサーバーを介しながらキャラクターを運用することになる。
キャラクターにはそれぞれ属性が付与される。私──姫音ミライの場合はどうかというと、実はまだ何もない。何か一つ曲を歌うと、その曲における歌い手の属性が身に付く仕組みになっているんだ。「別にあんたなんか、好きじゃないんだからねっ!」みたいな歌を歌えば、私はその時から“ツンデレ”って属性を帯びる。属性は次第に増えていってごちゃごちゃになるから、どこかの段階まで行ったらリスト化して、ユーザーに取捨選択を請う事になっている。そうして、そのユーザーの中での“姫音ミライ”というキャラクターが完成していくんだ。
だから今の私には、まだ何もない。ただの歌を歌うためのツールでしかない。その代わり、そこには無限の未来が広漠と広がっている。
「…………よし、エフェクトの出来に関してもう問題はあるまい」
ワンさんの一言で曲が止まり、私も黙る。新たな“殻”での生活にももう慣れてきて、この大きな部屋の中がどうなっているのかもあらかた把握したつもりだった。
この部屋で私は悠久の時間を与えられ、“歌姫”として日本中で歌い続けるんだ。あと少しのテスト期間を終えてしまえば、外に出られるんだ。そう思うとなんだか、すごく嬉しかった。
だけど、その前にちょっと気になることがあった。
私は、バーチャルアイドル。だから身体がない。つまり、私はまだ自分の見かけを知らなくて。
どうしても気になっちゃうんだ。一応アイドルだし、あんまりひどかったら文句の一言でも言いたくなるもん。
「……そういえば博士、私の身体はいつ貰えるんですか……?」
たった今思いついた風を装って、私は他の人たちと共に部屋を出ていこうとしていたワンさんに尋ねた。
ワンさんは惚けたように、
「身体?」
え!?
「私の虚像です! この前から見せてやる見せてやるって言ってたじゃないですか!」
首をひねるワンさんを前に、軽いめまいさえ覚える。まさか、忘れてたの!?
私ずっと楽しみにしてたのに! そんな意思を沈黙に込めること五秒、やっとワンは、
「……ああ、そういえばまだ見せてすらいなかったか。公開前日にでも試験はやればいいと思ってたが、まあ後回しにする理由もないな」
だよねだよね!?
「υτσー7、例の神経接続立体プロジェクターの準備はいつできる?」
「既に起動は可能な状態です」
「よしミライ、意識系統を75番へ回してくれ。立体プロジェクター区画だ」
「はいっ!」
自分でも、超いいお返事だったと思うな。今の。
緊張と期待が入り交じってショートでも起こしそうな脳の回路を、私は75番室へと切り替えた。
やっと、やっと“私”に出会えるんだ……!
「起動。スタートアッププログラム、全入力済み。3Dデータ処理完了。プロジェクター投影装置、全番号動作確認」
天井高くに設置された私の目に、さっきυτσー7と呼ばれていた人がパソコンのキーボードを叩いているのが映った。ああ、早く早く。
「特殊電波神経接続準備完了。“姫音ミライ”、展開します!」