05 最果ての傷心の決意 ②
それからというもの、音ずれの頻度は少しずつ高まってきたように感じた。
もっとも、大半は音程を正確に計測してるから食い違うだけで、お客さんやPさんには分からないくらいの誤差だったりする。それだって私には十分おかしいんだけど。
私の身体に異変が起きてる。その事実は、曲げようもないよ。
「ミライ」
二回も音を外したライブの終演後。各務さんに声をかけられた。
「最近、本当にどうした? どこか調子が悪いのか? 歌も上手く歌えてないし、何だか活気もないし」
舞台袖から立体プロジェクターを見上げる各務さんの顔は、曇っていた。051822の表情が思い出されて、私は慌てて視線を外す。
「…………大丈夫、です。ただちょっと……」
「ちょっと?」
正確な音が出ないの。
私はちゃんと発声してるはずなのに、なぜか微妙にずれちゃうの。
……そう答えて、本当に私の様子が伝わるのかな。なんか、急に各務さんが、ニンゲンが遠い存在に見えてきて、私は不安になった。
「……ちょっと、調子が悪いみたいです。これから先、お仕事の量少し減らせませんか?」
そう言うと、各務さんの顔はいっそう暗くなった。
「本当に、それだけか?」
う……鋭い……。
「それだけです。だから、私の言った通りにしてください。ちょっと休めばきっと回復するはずですから…………」
最後はフェードアウトしてしまった。だって、確信なんて持てないもん。確実に私が復調出来るかなんて。
それでも各務さんは、優しかった。難しい顔で手帳を捲る手を止めると、
「……そこまで言うなら、分かった。ミライを信じてみよう。今から二週間以内のスケジュールを全てキャンセルする。二週間経ったら、チェックしてみよう」
そう言ってくれたんだ。
「ありがとうございます……!」
お辞儀のせいで狭まった視界の端に、少し色褪せたようなグレーの背広が消えた。
考えたくなかった。
もう、思い通りには歌えなくなるなんて。
二週間が経つ間にも、個別像体の子たちからの報告は後を絶たなかった。
「今日、四回も音を間違えました……!」
とか、
「英語の部分が必ず狂います!」
とか、
「またPに怒られたああ!」
とか。
身体の調子は良くなるどころか、ますます深刻になっていく。終いには、1500の個別像体たちに音の狂いが生じている事が分かったんだ。
信じられる……?
運命の、音程チェックの日。
機械の不調が原因である可能性を考えて、私はまたエイカの所の立体プロジェクターを使わせてもらうことになった。
だけど結果は、案の定だった。練習用の曲を何回繰り返しても、毎回どこかしらが狂っちゃう。
「……やっぱ、ダメだね……」
向かいのプロジェクターに映ったエイカの呟きに、各務さんも頷く。「ミライ、変に力とか入れてないか?」
人間じゃないんだから。
「私はあくまで普通に歌ってるつもりなんですけど……」
さっきから狂いまくりの「G#」の音を出してみる。うん、やっぱり感触は普通だ。普通なのに、二人は顔をしかめてる。
なんで? なんでなの?
「……サーバーの故障を深刻に考えた方がいいな」
しばらくして、各務さんは静かに言った。「ちょっと待ってて、技術部門の人を呼んでくる」
私は頷いた。その拍子に、何か言いたそうな顔をしてるエイカが映る。
何だろう。コートの端を翻して部屋を駆け出ていく各務さんの後ろ姿がドアに消えた瞬間、
その答えは出た。
「……無駄だよ。今日、ワンたちみんなしてVoICeSシステム説明会に出席してるから」
ぽつりと、エイカは言ったんだ。
「そうなの?」
「間違いないかな。昨日の立体プロジェクターのメンテナンスの時に、言ってたから」
エイカの目に宿った光が、なんだか冷たい。
「知ってたなら、なんで各務さんに言ってあげなかったの……?」
私がそう尋ねると、エイカは目を伏せた。
「……あの人には、ちょっと席を外してほしかったからさ」
え……、
この流れって……
「……あくまで、あくまでも私の考えだからね。あんまり真に受けないでほしいの。あれから私もいろいろ考えてみたんだけど……」
あれ、というのは私が初めて音を外したあのライブの事なんだろう。エイカはそこまで言うと、急に口を閉ざしてしまう。
空気が震えるような音に混じって、寒気が私の身体を取り囲んでく。耐えきれなくて、私は促した。
「いいよ。言ってみて」
エイカは小さく頷く。
「……たぶん、ミライはもうちゃんと歌えるようにはならないんだと思う」