05 最果ての傷心の決意 ①
異変に気がついたのは、エイカの所へ呼ばれたあの日から一ヶ月が経とうとしていた、あるライブの最中だった。
一瞬、音が狂ったんだ。
それまで失敗したことの無かった私が、初めて音を外しちゃったんだ。
微かなどよめきが、会場を覆ったのが分かった。エイカも眉ひとつ動かさなかったけど、たぶんびっくりしてるに違いない。演奏中だったから最後まで歌い通したけど、何だか気味が悪くってとても集中なんて出来なかった。
ライブ中の私の歌声の演算は、メインサーバーとは切り離された別のコンピューターを使ってるはず。だとしたら、違う音が出るなんてことはあるはずがないのに。
ねえ、ワン。あの話って、本当だったんだよね。
そう心の中で問いかける私の目の前で、その日の幕が終った。後でエイカにも各務さんにも「どうしたの」って聞かれたけど、何も答えようがなかった。
[【悲報】ミライ、音を間違える]
[ヴォイスシステムにエラーか]
あっという間にそんなタイトルで埋まっていくニュースのポップス欄を見てると、息せき切ったように個別像体が駆け込んできた。
「主像体!主像体(ママ!)」
それは、歌わせてもらえないと嘆いていたあの051822。
「どうしたの────」
「音がおかしいんです!」
私は思わず振り返った。「051822もなの!?」
「なんか、声がざらつくんです。ちゃんとエフェクトかかってれば、あんな声にはならないのに。こんな事、初めてです……!」
ちょっと待って、だんだん混乱してきた。私の中でいったい何が起こっているのか、何も分からない。
「他の個別像体はどうなの!?」
詰め寄られて、彼女は少し声を震わせる。「私が聞いた範囲では……六十人くらい」
なんて事!?
もう黙ってなんていられない。私はすぐさま、ワンを呼び出す回線を繋げた。
もしもサーバーにウイルスか何かが侵入でもしていたら、大変なことになる。私のサーバーの記憶媒体には、大切なPさんの個人情報だって含まれてるんだから。
そうでなくたって、幾らなんでもおかしいよ。いっぺんに六十箇所で音ずれが生じるなんて!
その時、脳裏を一瞬だけ過った一つの考えを、
私は意図的に受け流した。
『どうした、こんな時間に』
受話器の向こうで欠伸が聞こえる。ああもう、どうしてそんなに暢気なの。
「私たちの声の様子がおかしいんです。私が今日のライブで音を外したの、ご存じですか?」
一瞬、間が空く。
『……初めて聞いたが』
なんでそのくらい把握してないの!? そう怒鳴りたい衝動はぐっと喉の奥に押し込んで、
「とにかく、私の所に来てくれませんか。もしサーバーに異常でも起きていたら──」
『君の身体には自己修復機能が備わっているはずだが』
それじゃダメそうだからこうして呼んでるのに!
焦りを強める私とは裏腹に、ワンはちっとも動揺しない。どうして? どうしてそんなに平然としているの?
「お願いします! 私、明日もイベントあるんです! これ以上不安材料を抱えていたくないんです!」
『……なるほどな。明日はラジオ番組の公開収録会、明明後日は中国の技術者のサーバービルディング見学、さらに立て続けにテレビとライブか……。二ヶ月先までびっしりだな』
分かったなら、来てくれるよね…………?
ワンの声は、どこまでも冷たかった。
『君の能力で、何とかしろ。
我々技術部門は今、別件で忙しい。たかだか音を外したくらいが何だ、単純に楽譜の入力ミスって事も有り得るだろう。
もしもどうにもならなくなったら、その時はまた連絡してきなさい』
ぷつっ。
回線が切れた音が響いた瞬間、私の中でも何かが切れたような音がした気がした。
「どうだったんですか……?」
横で私を見上げる051822。律儀に待っていてくれたみたい。
でも、
「……分かんない」
私には、そう答えるより他になかった。
背筋を這うような寒気に抗うのが、精一杯だった。
ごめんね、051822……。
ねえ、ワン。
さっき、私の二ヶ月先までの日程を読み上げた時、あの言葉が聞こえなかったのは、
きっと私が聞き逃したからなんだよね。
調律…………。