03 それは唐突に
西の空に太陽が沈みきろうとしている頃、染桜町の上空を一羽の鳥が飛んでいる
何かを探すようにシタを見下ろしながら飛んでいると、反転急降下
長い尾をなびかせて人々が行き交う街中へ降りていく
人々の間を擦り抜けるように飛ぶその鳥を、人々は気にするそぶりを見せない
まるでその鳥が見えていないかのように
そのままビルとビルの間の路地に着地した
その路地の奥から姿を見せたのは、一匹の黒猫
彼らは向かい合い何か言葉を交わしているようにも見えた
「グッモーニーン!」
その声で目を覚ました一騎が、最初に目にしたものは目前に迫った足の裏だった
「ギャァァァァ!」
「この野郎……息子の寝首をかこうとはいい度胸だなぁ……!」
一騎はひらりとかわし、逆に相手を押さえ付けた
一騎の父親、慎は顔を床に押しつけられもがいている
「や、なるな一騎……もう教えることはなにも……」
慎は開業医の町医者。母親のいないこの家で男手一つで一騎と美紗を育ててきた
朝のこんなやりとりも日常茶飯事のことだ
「一兄ぃ!父さーん!朝ご飯できたよー!」
一階から二人を呼ぶ美紗の声が聞こえてきた
ようやく慎の顔から手を放し、階段を降りていく
(そういや最近虎太郎どこ行ったんだ?)
「一騎!今日こそはゲーセンに行くぞ!お前を倒すために編み出した必殺コンボを……」
「パス」
一騎は自信満々で宣言する恭介を、あっさりとふった
「北川さん……最近永澤さんが付き合い悪いと思いません?」
「よしよし、今日は僕が付き合ってあげるから」
泣き付く恭介を啓吾は肩を叩いて慰める
「お前なんかウンコ踏んで“あの人臭くない?”とか言われちまえ!」
振り返って涙ながらに叫ぶ恭介に
「アホか」
と言い放ち学校を後にした
「ただいまぁ」
「遅ーい!」
玄関を開けた途端、慎の蹴りが一騎を襲った
「今何時だと思ってんだ!我が家の夕食は毎晩7時と決まっとろーが!」
倒れた一騎の横で慎は腰に手を当て仁王立ちで言った
一騎はゆっくりと立ち上がる
「いってぇなぁ!何しやがんだ!」
「うるさい!家族の団欒を乱すものには血の制裁を下すのみ!」
「今時健全な高校生を毎晩7時に帰宅させる家がどこにあんだよ!」
廊下から聞こえてくる騒音を気にもかけることなく、美紗は黙々と食事を続けていた
「はぁー……」
ようやく静かな自室に入った一騎はカバンを置くとベッドに仰向けに倒れこんだ
「ったく、あの親父はどーしていつも……」
その時部屋のドアが静かに開いて虎太郎が入ってきた
「虎太郎、最近お前どこ行ってたんだ?」
一騎は虎太郎に話し掛ける
「なに、少しばかり野暮用でな」
「へぇー、野暮用ね……うん!?」
ベッドから飛び跳ねるように起き上がり、床にちょこんと座る虎太郎を見た
「お前……今……しゃべっ……た?」
だが虎太郎は答えることなく座っている
「だよなぁ。猫がしゃべるわけが……」
一騎は虎太郎の首根っこをつかまえてヒョイと持ち上げた
「離さんか。たわけ」
ガリガリと嫌な音を立て一騎の顔を引っ掻いた
「ギャァァァァ!やっぱしゃべっ……ギャァァァァ!」
「これしきで狼狽えるな小僧」
そう言って虎太郎は倒れこんでいる一騎の腹に乗った
「猫がしゃべることが“これしき”かぁ!ってか乗るんじゃねぇよ!」
「ようやく落ち着いたか」
「はぁ、はぁ、おれは夢でも見てんのか?」
「証明するか?」
虎太郎は鋭く尖った爪をちらつかせる
「いえ、結構です」
呼吸を整えて虎太郎に目をやる。どこからどう見てもただの猫だ
だが確実に人間の言葉を話した。顔の傷の痛みも現実のものだ
「信じられぬ、といった顔だな」
「当たり前だ。しゃべる猫なんか初めてだ。虎太郎、お前何者だ?」
「この猫は正真正銘ただの猫だ」
「この猫……?」
「……付いてくるがよい」
虎太郎はドアノブに飛び付き開けると、部屋を出ていった
一騎も今の出来事にかなりの違和感を感じながらも、虎太郎の後を付いていった
一騎の運命の夜が始まった