再発
この話は、瑠夏が入院することになったいきさつを書きました。シリアスな話になっています。
「・・・・・・・・・・骨髄穿刺の結果、白血病細胞の増加が認められました。・・・・・再発です。」
抑揚のない声で、主治医の服部先生が言った。先生が感情を出さないように話す時は、あまりいい結果でない事はわかっていた。だから、先生がこれまでの検査結果を説明し始めた時から、ああ、そうなのかと頭の中ではわかっていた。だが、わかる事と受け入れられる事は、別なのだ。瑠夏は、先生が告げた事実は、到底、受け入れられるものではなかった。
瑠夏は拳の腱が白くなるくらい強く握りしめた。後ろで、母親の啓子が、はっと息のむのがわかった。瑠夏は、後ろを振り向けなかった。啓子の顔を見れば自分の心が折れてしまう。
それほど告知された内容は、瑠夏を打ちのめすものだったのだ。
白血病細胞の増加・・・・・再発・・・・・
瑠夏は頭が真っ白になった。
小学校6年の時に急性リンパ性白血病を発病した。
初めは風邪だと思ったのだ。咳や鼻水が止まらず、微熱がなかなか下がらなかった。症状が出て1週間して近所の小児科で診てもらったら、やっぱり風邪だと言われた。薬をもらって飲み、学校も休んで安静にしていたら少し良くなったので、やっぱり風邪だったのだと思った。もともと多少の具合の悪さや発熱ぐらいでは登校していたので、4日後からは学校に行った。
しかし、登校は長続きしなかった。ふたたび風邪の症状がぶり返した。今度は薬を飲んでも症状は改善しなかった。体の倦怠感もひどくなり、口内炎がひどくて食事もままならなかった。
しばらく家で安静にしていても一向に良くなる気配がないので、総合病院で診てもらう事にした。
その頃から、体に異変が起きた。どこにもぶつけないのにうっ血した跡が手や足に見られるようになった。そして、なぜか鼻血が出やすくなった。鼻のかみ過ぎだと思い、鼻水が出てもあまり強くかまないように気をつけたが、ちょっとした拍子に鼻血が出てきた。
総合病院の小児科で、これまでの風邪の症状や体の異変を告げると、血液検査を受けるように言われた。
「大丈夫かしら。瑠夏、肺炎になったかもしれない。入院することになると、お母さん、仕事のシフト調整しなくちゃいけないわね。」
「え~。入院するの?」
検査の結果を待つ間、啓子がそう言うのを聞いて、瑠夏は、抗議の声をあげた。
「もしかしたら、よ。もしもの時の事も考えないといけないでしょ。」
大きなため息をついて、啓子は検査室の方に目を向けた。
「もうそろそろ結果がわかる頃かしら。」
啓子がそう言った時、
「本橋さん」
と、検査室の受け付けに呼ばれた。啓子は、はい、と返事をして受付に行き、検査結果を受け取ると小児科の窓口へと向かった。瑠夏は啓子の後について言った。
小児科の前でまたしばらく待って、名前を呼ばれた。診察室に入ると、担当の先生がずり落ちた眼鏡を指であげながら、緊張した面持ちで話しだした。
「血液検査の結果、白血球の増加が見られました。その数値が3万を超えています。血液検査だけでは詳しい事はわからないので、血液内科でもっと詳しい検査を受けてもらいます。今、紹介状を書きますので、そのまま血液内科の受け付けに出して下さい。」
「・・・・・どういうことですか?」
啓子は、異様に早くなる鼓動を意識しながら医師に聞き返した。
「・・・・・・まだ確定ではありませんが、瑠夏さんは白血病の疑いがあります。」
「はっ・・・けつ・・・びょう・・・?」
心臓が早鐘を打ち頭が殴られたようにがんがん響く。啓子は医師のことばをのみ込む事ができなかった。医師の口から話されることばが、ただの記号にしか聞こえない。
先生は、何といっているのだろう?ちゃんと私にわかることばで説明して。
啓子の目は焦点を合わせていなかった。まわりの景色も先生の顔もぼやけていた。
「本橋さん、大丈夫ですか?」
「お母さん・・・・」
医師の心配する声に重なって、心細そうな瑠夏の声が聞こえた。啓子の瞳は、瑠夏の声に反応して焦点を合わせた。思考回路が動き出すと、啓子は大きく深呼吸をして平静になろうとした。
「・・・・大丈夫です。わかりました。血液内科に行ってみます。」
啓子は小児科の診察室を出ると、早足で血液内科へと向かった。
瑠夏が白血病だなんて、何かの間違いよ。そんなこと、あるわけない。
だが、血液内科での検査の結果で、瑠夏は急性リンパ性白血病と診断された。
すぐに手続きが取られ、瑠夏も啓子もそして家族も気持ちの整理がつかないまま、入院して治療を受けることになった。
初めての発病だった瑠夏は、幹細胞移植ではなく、化学療法を受けることになった。治療の副作用で髪の毛が抜けたり、吐き気や痙攣がおこったりしたが、瑠夏は耐えた。この治療を頑張れば、また、元の生活ができると期待した。元の生活に戻りたいという強い願望が瑠夏を支えた。
家族もまた、あまりにも突然な告知に動揺していた。瑠夏と同じように支えが必要な状態だったが、懸命に治療に臨む瑠夏の態度は、啓子と家族の支えになった。啓子は、ともすれば折れそうになる自分に叱咤して、瑠夏の看病にあたった。当然のように仕事を辞めた。健気に治療に耐える娘の傍にいて励ましたいという思いしか、なかった。
病院と家庭の往復で心身ともに大変な啓子に、夫の誠二とふたりの姉、瑠維と瑠奈はできる限りの協力をした。誠二は、週末に庭の手入れと風呂場の掃除、そして家の中の掃除を担当し、瑠維は、大学に通いながら主に料理とその他の家事を担当した。高3の瑠奈は受験生だから家事はやらなくてもいいと言われたが、それを断り、洗濯を引き受けた。
それぞれが、それぞれの想いを抱え、支え合い、家族全員が、瑠夏が早く良くなる事を願っていた。
幸い治療の経過は良好で、瑠夏は、治療から1年後、完全寛解になって退院した。
退院の日、瑠夏は、服部先生から、まず、3年、それを超えたら5年間、完全寛解の状態が続けば、治癒の確率が高くなると言われた。瑠夏は、治癒を目指して外来にも足げく通った。嫌な検査も受け続けた。
3年が無事に過ぎた時には、家族でささやかなお祝いをした。まだ油断できるわけではなかったが、第1段階クリアできたと、みんなで喜んだ。
それから1年。
あと1年経てば5年が経過する。期待に胸が膨らんでカレンダーのバツ印にも勢いがあった頃、瑠夏は風邪を引いた。咳、鼻水が止まらず、微熱で体がだるい日が何日も続き、瑠夏の体力を奪っていく。同じような経験をした時を思い出して、胸がざわざわと騒ぎ出す。頭の片隅に嫌な二文字が浮かぶのを瑠夏は必死に打ち消した。
一向に良くならない体に業を煮やして、予約日ではないのに、しぶしぶ血液外来に来た。症状を告げた時、服部先生の顔が一瞬曇るのを瑠夏は見逃さなかった。頭の隅に追いやった二文字がしゃしゃり出てくる。
いやだ、そんなこと、絶対、ない。
心の声は、意図的に二文字を拒絶した。
認めたくなかった。いや、認めるわけにはいかなかった。そんなこと、あるはずがないと何度も心で念じた。
しかし、現実は非情である。
服部先生の口から絶対に聞きたくなかった二文字が呟かれる。
再・発・・・・・・
瑠夏の未来が音を立てて崩れようとしていた。