落ち葉のシャワーの中で
劉生と瑠夏が初めて出会います。劉生は、瑠夏にほぼ一目ぼれなのですが、自覚はまだありません。だけど、初対面の時から瑠夏に対しては優しく接しているので、この後そんな劉生に瑠夏は次第に心を開いていきます。
彼女を見つけた日から、劉生は、興生の見舞いに病院を訪れるたびに病室の窓から中庭を眺めるようになった。だが、見つけた日の翌日から1週間、彼女の姿を見つける事はできなかった。
もう一度会いたいのに、もう、あの子には会えないのだろうか。
劉生がため息をつきながら窓の外を見ているのを泰生は不思議に思った。
「劉生、毎日、何を見ているんだ?」
好奇心に負けて、とうとう興生は劉生に問いただした。今日、静香はまだ来ていなかった。静香がいたら、劉生は絶対にしゃべってはくれないだろう。劉生とふたりきりだから興生は聞いたのだ。
「べつに、ただ窓の外を眺めているだけだけど。」
劉生の嘘に興生はふっと笑った。
「劉生、嘘をつくならもっとましな嘘をつかんとな。そんなすぐばれる嘘をついても私は納得せんよ。この1週間、毎日、ここへ来ると私への挨拶もそこそこに窓辺に立って、今と同じように中庭の方を探るように見ている。それも30分以上だぞ。気づかない方がおかしいわ。」
興生のことばに劉生は耳まで真っ赤になった。
自分はそんなにすぐばれるほど、熱心に中庭を見ていたのだろうか。それも30分以上だって?
ことばに詰まって赤くなる孫の姿に興生は、探しているのは女の子か?と、ピンときたが、それを目の前の大男に伝えたら、この男は、ほとぼりが冷めるまでは見舞いに来るのをやめてしまうだろうと思い、黙っていた。
劉生は、興生から指摘を受けたことで居心地が悪くなった。興生は何も言わなかったが、無言である事が自分に答えることを要求している気がした。
これ以上ここにいたら、もっとじいさんに問い詰められてしまう。そんなことになったらたまらない。今日はもう、帰るか。
劉生が窓を離れようとした時、眼下に紺色のダッフルコートが映った。
えっ
劉生は、窓から離れようとしていた体を元に戻して、食い入るように外を見た。
紺色のダッフルコート。目深にかぶったニット帽。間違いない、あの子だ。
1週間ずっと探していた彼女が、前と同じケヤキの木の下に立っていた。劉生は、やっと見つけた嬉しさを隠しきれず、思わず笑みを漏らした。
「やっと見つけた。そのまま、そこにいろよ。」
心の中で呟いたはずのことばは、知らず知らずのうちに声になっていたらしい。劉生のことばを興生は耳ざとく聞いていた。
「じいさん、今日は、もう帰る。また明日来る。」
はやる心を抑えて劉生はそう言うと、慌てて病室を飛び出した。
興生は、にやっと笑うとベッドから降り、窓辺に立った。
どうやら天は、劉生と私に味方をしてくれたらしい。劉生は探していた子を見つけ、そして私はその子をこの目で見ることができるのだ。いや、愉快だ。どれ、劉生の待ち人はどんな子かな?
興生は目をこらして窓の外を見た。
中庭には人影がなかった。秋の深まる夕暮れ時、肌寒くなったそこに人影がないのは当然のことのように思えた。風にケヤキやイチョウの木々が揺らされ、落ち葉が舞っていた。
なんだ、いないではないか。
興生はがっかりした。窓の外には劉生の待ち人が見られると思っていたのに期待を裏切られたのだ。
私の思い違いだったのか?
興生が短く息を吐いてベッドに戻ろうとした時、中庭の奥のケヤキの影から少女が出てきたのを目の端に捉えた。その子は、どうやら木の幹の裏側にいて見えなかったらしい。
あの子か?
興生は先ほど立っていた場所に戻ると、少女の姿を追った。遠くてよく見えないが、少女は、ニットの帽子を深くかぶってマスクをしていた。紺色で厚手のダッフルコートを着ていたが、少女が華奢な体格である事は遠目にもわかった。
劉生とは対照的に、華奢な少女だ。劉生が抱きしめれば折れてしまいそうだが、あいつはその加減できるのかいな?
興生の顔は自然とほころんだ。彼女どころか、同性の友人がいる様子さえ見えなかった劉生が、異性に興味を持つなんて予想外の事だった。
私は、劉生に友だちができればと思っていたが、彼女でも大歓迎だ。
興生が病室で孫の未来を勝手に妄想していた時、劉生は、階段を4,5段越しに飛び降りるように下り、非常階段を抜けて中庭に面したはき出し口に向かっていた。劉生が中庭への出入り口に着いた時、時間は5分と過ぎていなかった。
はやる心を抑えながらはき出し口から中庭にでると、奥のケヤキの方へと進んだ。
ざあっと葉が舞う音がして中庭中に落ち葉が降り注いでいた。背の高いケヤキやイチョウの葉が後から後から舞い降りてくる。
劉生は、落ち葉のカーテンをかきわけて歩みをすすめた。ふと、劉生の足が止まった。劉生の視線の先でダッフルコートの彼女が上を見上げて両手を前へ突き出した。ゆっくりと目を閉じる彼女の顔や掌に落ち葉が舞い落ちてきた。何度も頬をかすめて落ちる落ち葉の感触を楽しむように、彼女は立っていた。
まるで落ち葉のシャワーを浴びているみたいだな。
劉生は、束の間、目を細めて彼女の様子を見ていた。
彼女がゆっくりと目を開き、名残惜しそうに手を下した。マスクで覆われていて細かな表情はわからなかったが、笑った、と劉生は思った。ほんの少しだけ目じりが上がった横顔が息をのむほどきれいだった。
もっと近くで見たい。
無意識に足が動く。
かさっ
枯れ葉を踏む音に、はじかれたように彼女がこちらを見た。見られる心づもりのないまま見つめられて、劉生は慌てた。顔がひとりでに赤くなる。見つめられているのに耐えられず顔を背けた。
彼女には、会えた。今日はそれで良しとしよう。もう、戻った方がいい。
劉生はそう思い、踵を返そうとした。
「待って。」
やさしい声に呼び止められ、体が動きを止める。思いがけず呼び止められたことで胸が早鐘を打つ。ふつふつと湧き上がってくる嬉しさに、自然と顔が緩む。だが、依然として彼女を見る余裕は、ない。
ふり向いてはくれなかったが、歩みを止めて全身でこちらを窺っている彼に、彼女はゆっくりと近づいた。
かさっ、かさっ
自分に近づいてくる落ち葉の音に、劉生の胸は高鳴った。手を伸ばせば届く距離まで彼女は近づいてきた。
「ねえ、あなたって、ヤンキー?」
はあ?
突然、突拍子もない質問を受けて劉生は思わず彼女を見かえした。怯えではなく、好奇心に満ちたその瞳に劉生は戸惑った。ことばが出ない。
黙っている劉生に、彼女はもう一度同じ問いをした。
「ねえ、あなたって、ヤンキーなの?」
「違う、俺はヤンキーなんかじゃ、ない。」
劉生が苦笑しつつ否定すると、彼女は眉をあげて驚きを表した。
「うそ、だって、あなたは目つき悪いし、眉薄いし、体でかいし、声も怖いし、やっぱりヤンキーでしょ。」
なんだ、その断言は。
彼女のことばに呆れはしたが、あまりにもあっけらかんと決めつける彼女のもの言いは、いつも他の人間から受けるものとは違っていた。そこに悪意は感じられなかったので、劉生は自然に柔らかな表情になっていた。
彼女は、その表情を見て、
「違うの?」
と聞いた。
「違う。」
自分でも驚くくらい素直にことばが出た。
「そうなの?でも、その顔じゃ、よく間違えられるでしょ。」
いたずらっぽく聞く彼女に、劉生も軽く返した。
「そうだな、よく間違えられるよ。でも、はっきり本人向かってヤンキーかって聞いてきたのは、君が初めてだけどね。」
「だって、こんなにヤンキーの代名詞みたいに凄味のある顔の人、初めて会ったから。」
彼女が微笑んで劉生を見た。劉生は、苦笑いをすると、
「初対面の奴にそんな失礼な事を言って、もし、俺が本当にヤンキーだったら、今頃君は因縁つけられているんだぞ。自分が大変な目に合うとは思わないのか?」
と聞いた。
「さっきは、思わなかった。だって、あなた、一見すると怖いけど、黒いオーラは出ていなかったもの。だから、そう聞いても大丈夫だって思っていた。」
「そんなこと言われたのは、初めてだ。」
劉生が言うと、彼女は、少しためらった後、口を開いた。
「もしかして・・・嫌な思い、いっぱい、した?」
自分を気遣う彼女に劉生は胸が熱くなった。これまでは嫌悪や恐怖の感情をぶつけられる事はあっても、気遣われた事はなかった。
彼女の気持ちが素直に嬉しい。
劉生は無意識にそう思うと、自然に軽い口調で話していた。
「そうだな、嫌な思いをした事がないって言ったら大嘘つきだって言われるくらいのことは、あった。何もしていないのに泣かれたり悲鳴をあげられたりすることもあったけど、人通りの多い道を歩いていると、みんなが避けてくれるから歩きやすいってメリットもあるかな。」
「へえ、そうなの?それじゃあ、混雑しているところに行く時にはついてきてもらおうかな。私、人ごみって苦手だから。」
「ああ、いいよ。必要な時には、いつでも言って。」
劉生がそう言うと、彼女は声をあげて笑った。
「なに、俺、何かおかしい事、言った?」
劉生が戸惑っていると、彼女は目じりの涙を拭きながら、
「だって、私たち、お互いの名前も知らないよ?もちろん連絡先も。それなのに、必要な時にいつでも呼んでって言われてもどうしたらいいかわからないのにって思ったら、おかしくなって。」
大きな瞳が見えなくなるくらい破顔した彼女に、劉生もつられて笑った。
「じゃあ、お互いに自己紹介すればいい。そうすれば名前も連絡先も聞くことができるだろ。俺は、全然構わないよ。それじゃ、まず俺からな。俺は、石田劉生。高2。ここへは入院している祖父の見舞いに来ているんだ。じいさんはしばらく入院していると思う。俺は、じいさんが寂しがるといけないから毎日見舞いに来ているんだ。じいさんは、6階の西病棟の特別室に入院しているからすぐわかるよ。君は?俺に自己紹介してくれる?」
「これって、新手のナンパじゃ、ないよね?」
ナンパだと思われて劉生は驚いた。
「ちっ、違うっ。俺はナンパなんかしたこと、ない。」
劉生が慌てて否定するのを見て、瑠夏はぷっと吹き出した。
「わかった、わかった。ナンパじゃないって、信じるよ。私は、本橋瑠夏。2か月前から5階西病棟の内科に入院している。よろしくね。」
瑠夏が抵抗なく自己紹介してくれたのに、劉生はほっとした。
「ああ、よろしく、本橋さん。」
劉生が右手を差し出すと、瑠夏は驚いたが、笑って自分の右手を出して握手した。
「瑠夏でいいよ。名字で呼ばれるとむずがゆくなっちゃう。それに、何だかよくわからない感じだけど、あなたは信用できそうって、本能がそう囁くから、お互い名前で呼び合おうよ。私は、あなたのこと劉生って呼ぶね。いい?」
「うん、それでいい。」
こんなに自然に誰かと話ができるなんて、どれくらいぶりだろうかと、劉生は思った。瑠夏との会話は楽しくていつまでも話し続けられる気がした。
しかし、劉生の高揚感とは裏腹に、瑠夏の表情は次第に冴えくなっていった。顔色が悪くなってきている。瑠夏は何も言わないが、体が小刻みに震えだしている事に劉生は気づいた。
「寒い?中に戻ろうか?」
劉生が聞くと、瑠夏は頷いた。瑠夏がうなずくのに合わせて、ふたりではき出し口に向かう。が、何歩もいかないうちに、瑠夏の体がぐらりと揺れてバランスを失った。
「危ないっ」
瑠夏は、落ち葉の上にダイブすると思っていたのに、がっしりとした腕に抱きとめられていた。