想うのは、おまえだけ
携帯電話ってのが、こんなに便利なものだなんて知らなかった。誰かに気兼ねすることなく、自分の好きな場所で、好きな時に、話したい相手と繋がることができるんだ。それも、顔を見ながら話せるなんて。
もっと早くから持っていればよかった。
買ったばかりの携帯で、その日の夜、瑠夏とおしゃべりを楽しんだ後に劉生は心からそう思った。
だが、今、使えるようになった携帯は、劉生にとって力強い味方だった。
これがあれば、離れていても瑠夏と繋がれる。
今の俺にはありがたい。
明日から正月明けの2日まで、劉生は興生のお供で田舎に行くことになっている。
毎年、石田家の誰かがお供をして行っていたこの年中行事は、他の誰も都合がつかないということで、劉生に白羽の矢が立った。
劉生が行くことは、すでに1か月以上も前から決まったこと。
病院でも、折に触れ田舎のことは話題に上り、興生がどれだけ首を長くして待っていたか、劉生はよくわかっていた。
このために一時退院を許可された興生が張り切っているから、今さら自分は行けないとは言えない。
じいさんには、これまでにでっかい借りがあるからな。今回ばかりは、こっちが優先。
やっと瑠夏が田舎から戻ってきたのに、今度は自分が田舎に行く羽目になるなんて、と、苛立つ気持ちがちょっとはあったんだけど、それをじいさんに見せる気はない。
「明日、朝、7時出発だからな。今日は、早く眠っておけよ。」
劉生の部屋を覗いて興生が言った。
「わかってるって。行きは樹希が送ってくれるんだろ。」
手に持っていた携帯を充電するための準備しながら返事した。
「その携帯に、私の番号、入れてあるか?」
「ああ、かあさんに、必要だからって、家族全員の番号を無理やり入れさせられた。」
「そうか。いやしかし、劉生が携帯を持つなんてな。」
含みのある笑いをする興生をスル―することに決め、劉生はクローゼットを開けた。
「じいさんも早く寝たほうがいいよ。俺は、これから準備をするから。」
挑発に乗らない劉生を見て、興生もそれ以上何もいわなかった。
ぱたん、とドアの閉まる音が聞こえた。
劉生は、服を取り出す手を止め、ほうっと息をはくと、ベッドに仰向けになった。
瑠夏は、今、なにをしてるのだろう?
携帯を切った時は、これから風呂に入って、ゆっくり体を休めると言っていた。
今日は、30分とはいえ、人ごみの中にいた。
瑠夏の体には、たとえ30分でも、かなり負担になったに違いない。
瑠夏の疲労が濃くなるのは嫌だった。
帰り際、少し青い顔をした瑠夏の顔を見て、俺のわがままにつき合わせてしまったと、少し、後悔した。
それでも
あの30分間は、心が弾む時間だった。
俺のために、使い勝手のいい機種を選ぼうと、いっしょうけんめいだった。
白く細い手が、携帯を巧みに操っていた。
長いまつ毛に縁取られた瞳が、一心に、俺の携帯を選んでいた。
俺が、ひととおり使い方を覚えたのがわかると、満面に笑みを浮かべて、よかったねと、言ってくれた。
「これで、いつでも劉生と話せる。」
そう言ってはにかんだ瑠夏の顔が、鮮やかに蘇る。
向こうについたら、たくさん写メを撮って、瑠夏に見せよう。何にもないただの田舎だけど、澄んだ空気と深い緑が鮮やかな山間の風景は、けっこういいロケーションだ。
あれだけ澄んだ空気だと、瑠夏もマスクなしでいられるんじゃないだろうか。少しでも制限のなど考えずゆったりと過ごせたら、瑠夏の気持ちもほぐれるのに。
想うのは、いつも瑠夏のことばかり。
頭に浮かぶのは、ただひとりだけ。
それでも足りない。
想うだけじゃ、頭に浮かべるだけでは、もう、満足できない自分がいる。
傍にいてほしい。
瑠夏の匂いに包まれていたい。
瑠夏の息づかいを感じたい。
ずっと、抱きしめていたい。
俺の大切な、誰よりも大切な瑠夏。
だから、
ひとりで耐えて欲しくない。
瑠夏の苦しみや不安を俺に分けて欲しい。
いや、分けるんじゃない。ぜんぶ、俺が引き受けたい。
守ってやりたいのに、俺に出来ることがあまりにも少なくて、腹立たしくなる。
瑠夏が、諦めていた俺との未来に希望を持ってくれるなら、俺は、俺にできるすべてのことをしよう。
瑠夏のために。