思いがけない助っ人
生徒玄関を出ようとした時に、後ろから何度も呼ばれた。さすがに無視をするわけにもいかず、舌打ちしながら劉生はふり向いた。
この子、この間一緒に問題を解いた子?俺に何の用?まさか、また解けない問題があるって言い出すんじゃないだろうな。
今日は、まじで時間がない。瑠夏を待たすわけにはいかないから、解けない問題は他の誰かか先生に聞くように言おう。
「あの、」
「石田君、話があるの。」
真っ赤になって、きゅっと唇をかみしめながら自分の見上げる女の子にことばを遮られた。
「なに?」
肩を震わせ、今にも泣きそうな子に、急ぐからとも言えず劉生は、次のことばを待った。
「こ、ここじゃ、言いにくいから、ひっ、人目のつかないとこで話したい。」
劉生は、あからさまに嫌な顔をした。
冗談だろ。時間がない時に限って。
「どうしてもっ、どうしても、聞いて欲しい、から、お願いっ。」
劉生のコートの袖を掴み、余裕のない表情で懇願するその子を邪険にはできなかった。
劉生は、小さく嘆息すると、慣れない携帯で瑠夏に連絡を取った。
「ごめん、少し遅れる。ちゃんと車の中で待ってて。」
『・・・・・なんかあったの?』
「いや、ちょっと、野暮用。すぐ行くから。」
それだけ言うと、携帯を切った。
瑠夏が、生徒玄関の外からこちらを見ていたことには、全く気がつかなかった。
「・・・・・教室に戻るんでいいか?」
ぶっきらぼうにそう言うと、劉生は答えを待たずに今来た道を戻った。彼女も後からついてくる。
まったく、何の用があるんだ?正直、迷惑なんだけど。
誰もいない教室の明かりをつけて、劉生は彼女を向きあった。
「で、話って?」
早く終わらせたい一心で、つっけんどんに訊いた。
「あの、えっと、まずは、お礼を・・・」
「お礼?君にお礼を言われることなにもないけど?」
怪訝な声で訊き返した。
「あるよっ。ふたつ。」
劉生は無言で促した。
「ひとつめは、この間、問題を一緒に解いてくれたことで、もうひとつは、ずっと前、ガラの悪い人たちに絡まれていたのを助けてくれたこと。」
ひとつめは、わかるとして、もうひとつは、とんと覚えが、ない。
それに、そんなくだらないことで時間を使うつもりはない。
「どっちも、別にたいしたことしてないし。礼を言われることじゃない。気にしなくていいから。」
それだけ言うと、教室を出ようとした。
「待って、それだけじゃ、ない。」
必死に呼びとめる声も、今の劉生にはうざかった。
「まだなんか、あんの?」
自然にことばが険呑とする。
「あ、あの、ね。・・・・・。その、わたし・・・・・。」
「石田君、緊急事態。すぐに来て。」
いきなりドアが開いて、別の子が入ってきた。間髪いれずに劉生の手首を掴むと、教室から連れ出した。
高遠、さん?
自分の手首を掴んだ子を見て劉生は目を丸くした。
抵抗する間もなく、悠に手首を引かれるまま、教室から出た。
「ちょっと、待って。」
悠はそう言うと、教室の中に顔だけ入れた。
「ごめんね。石田君、すぐ連れて来いって、鬼の形相で頼まれたんだ。じゃね。」
悠は、教室の中にいる子にそう言うと、唖然としている劉生の手首を再び掴んで正門へと向かった。
劉生は、あまりにも唐突な出来事に思考回路をフリーズさせていた。
さっきの子の話もよくわからないけど、高遠さんの言ってることは、もっとわからない。いったい、今日はどうしちゃったんだ。瑠夏のもとに行くのをなんでこんなに邪魔されるんだ?
劉生は、次第に腹が立ってきた。
掴まれた手首を引き抜いて自由にすると、悠に文句を言った。
「高遠さん、俺をどこに連れていく気だ?はっきり言って迷惑なんだけど。」
玄関を出たところで止まって悠を睨んだ。
「あのね、めいーわくしてるのは、こっち!なにを悠長に教室に引き返しちゃってんの?」
「高遠さんには関係ないだろ。」
「ところがどっこい、お~あり!石田君があの子と教室に引き返すのを見て、瑠夏がショックを受けちゃったんだからねっ。なによ、野暮用って?」
「えっ?」
どうして、高遠さんの口から瑠夏の名前が出るんだ?
それより、俺とあの子が話してるとこ、瑠夏が見てたって?まさか、瑠夏は、車で待ってるはずじゃ・・・
「る、瑠夏は?今は車にいるの?」
劉生は、慌ててあたりを見回した。
「とにかく落ち着かせて車に乗せた。でも、待ってはいないかもね。もしそうでも、自業自得だからね、石田君。」
「俺とあの子のこと見てたって、誤解だっ。なにもないのに、なんで、瑠夏がショック受けるんだ。」
「そんなこと、私にきかれてもわかるわけない。とにかく早く瑠夏のとこに行って。」
悠に促されて、劉生は正門へと急いだ。
瑠夏、違う。俺は、あの子とはなんでもない。
全速力で走って校門を出ると、路肩に白いセダンが停まっていた。
すぐに後部席に目をやった。
俯いて座っている瑠夏を見て、劉生はほっとした。
「瑠夏っ。」
劉生は、車窓をたたいた。
はっと、瑠夏が顔をあげた。劉生を見て苦しそうに顔を歪める。
劉生は、ドアを開け後部座席に乗り込んだ。
瑠夏の頬が赤いのを見て顔をしかめる。
「瑠夏、また外で待ってたんだ。体に悪いからだめだって言ったのに。」
「・・・・・・言いたいことは、それだけ?」
頬を包み込んでいた劉生の手を払いのけた。
「それだけって、あっ、誤解だからな。野暮用ってのは、ほんとにしょうもない用のことで、瑠夏が気にするようなことじゃ、ない。」
「私が待ってるのに、あの子の用を優先させた。」
納得できなと瑠夏は首を振った。
「あ、あの子が、切羽詰まった顔をしてお願いするから、しかたなく・・・」
「切羽詰まってたから、告白されてもいいって思ったわけ?」
「こっ、告白っ?ちがっ、そんなんじゃ、なかったよ。」
俺が告白なんかされるわけないのに、瑠夏はなにを言い出すんだ。
「うそっ、あの子、ぜったいに劉生のこと好きだもん。」
「んなわけ、ないって。瑠夏の思い過ごしだよ。」
瑠夏がやきもちを焼いてくれてるのがわかって、劉生は嬉しかった。だけど、今は、瑠夏の気持ちをおさめるほうが先。
せっかくの、ふたりだけの買い物に、これ以上ちゃちゃは入れたくない。
「劉生は、」
一向に終わりそうもないふたりの押し問答に、助手席に乗り込んできた悠が割り込んできた。
「あ~、瑠夏、お取り込み中、悪いんだけど、劉生、告られてなんかないから。」
なにせ、寸前で私が止めた。とは、言わなかった。
それを言ったら、瑠夏はおさまらないだろう。自分を待たせて劉生があの子と一緒に行ったことがよほどショックだったようだから。
こんな、朴念仁で不器用なやつに、そんな計算できるわけないって。それに、彼女が思うほど、彼氏はもてないって、世間ではよく言うのにね。
「ほんと・・・?」
「ほんと。私が保証する。ふたりが教室に入ってから、私が連れ出すまでの間、ずっと聞き耳立ててたから。それに、石田君に近づかれたら、恐怖のあまり気絶する子はいても、告るなんて奇特な子はいないって。」
「瑠夏、ほんとだよ。あの子には、ただ、わからなかった問題を解いたことと、ガラの悪いやつらに絡まれてたのを助けたことのお礼を言われただけだから。って、高遠さんっ、それって、言い過ぎだろ。」
悠のことばに劉生は真剣に反論した。
「や、だって、私だってね、この間、突然、石田君に声をかけられた時は、もう、怖くて、驚いて、度肝抜かれちゃって、足はがくがく、心臓はバクバクで、言葉ひとつまともに言えなかった。」
「・・・・・この間も、今みたいに意味不明の弾丸トークしてたと思うけど?おかげで、しおりひとつ作るのにどんだけ時間かかったんだか。」
「弾丸トークって、失礼なっ。私はコメディアンじゃないし、黒○徹○さんでもないんだからっ。」
ぷっ
ふたりの顔を見比べながら話を聞いていた瑠夏は、とうとう吹き出した。なんだか、無駄に不安になっていたんだなって、実感した。
瑠夏は、やっと安心したように息をはいた。
「まあ、瑠夏、これからも学校では、悪い虫がつかないように私が見はっといてあげるから。」
悠がどんと胸をたたいた。
「うん、お願い。」
笑いながら瑠夏が頷く。
「だけどさ、瑠夏と石田君って、やっぱり、面白過ぎる組み合わせだよ。目の前で見ててもまだ信じられない。」
「悠に劉生のいいとこわかってもらわなくってもいいし。」
口をとがらせる瑠夏に悠は、はあっと大きく息をはいた。
「いや、好みじゃないから、石田君。」
「ふふん、悠の好みは、渋沢君だもんね。」
「る、瑠夏っ!」
劉生は、茫然とふたりのやり取りを見ていた。
瑠夏と高遠さん、仲が良かったんだ?どこに接点が?
ぽかんと口を開けている劉生に、瑠夏がこほんと咳払いをした。
「劉生、病院で親友になった悠。劉生と同級なんだってね。」
「というわけなので、よろしくね、石田君。」
ペロッと舌を出して親指を立てる悠。
「はあ。」
俺と瑠夏より、ふたりが親友だってことのほうがよっぽどびっくりなんだけど。
「また、今日みたいなことがあったら、助けてあげるから。その代わり、私も助けてもらう。数学と化学、もう神頼みしなきゃいけないくらい、やばいから、石田君、神になって。」
神って、両手を合わせて拝まれても・・・・・
「ギブ&テイクの助っ人、ね。ありがたく。」
ほんとにギブ&テイクになるか?俺のほうが分が悪い気がするけど・・・
苦笑する劉生に悠はにかっと笑った。
「やっと、トラブルが解決したみたいね。もう、携帯ショップに行ってもいいかしら?」
それまで黙って3人のやり取りを聞いていた啓子が口を開いた。
「あ、はい。」、「う、うん。」、「ど、どうぞ」
三人三様の返事をすると、車は静かに走り出した。
「私は、最寄りの駅で降ろしてもらう。ふたりの邪魔なんかしないから安心して。」
後部座席の劉生に、前を見たまま悠は手を振った。
「あ、ああ。」
気まずい気持ちで、もごもごと返事をした。
瑠夏と悠がこんなに親しいなんて驚きだけど、同性の友だちがいるのは、瑠夏にとってはいいことだよな。女の子同士での話ってもの必要なことあるんだろうから。
それに、悠にはこれからほんとに助けられることになる。
瑠夏との切れそうになる絆を繋ぎ止めるために、悠はほんとに頑張ってくれたんだ。
でも、それは、ずっと後になって、気づくこと。