会いたいのに
クリスマスが目前に迫っているからと、服部先生は一時退院の許可をくれた。今度はクリスマスが終わるまで、1週間は家に帰れる。お母さんは喜んで、携帯でお父さんに知らせると、いそいそと退院の準備を始めた。
「よかったわね、瑠夏。クリスマスは治療のスケジュールが合わなければ病院だと思っていたから、思いがけないクリスマスプレゼントね。」
啓子の声が弾む。
「・・・・・お母さん、退院するの、もうしばらく待ってほしいんだけど。」
「え?」
啓子はトランクに衣類を詰める手を止めた。
「今は、どれくらい待つかわからないけど、できれば2日、ううん、もしかしたら3日待ってもらうかも。」
「瑠夏?」
てっきり一時退院を喜んでくれているとばかり思っていた瑠夏から、退院を待ってほしいといわれて啓子は困惑した。
瑠夏は、戸惑っている啓子にかまわず、備え付けのクローゼットからダッフルコートを取ると、マスクをして部屋を出て行こうとした。
「待って、瑠夏。どこへ行くの?」
「劉生のおじいさんとこ。」
「は?石田君の?どうし・・・・」
言いかけて啓子は口をつぐんだ。
この2週間、劉生の姿を見ていなかった。瑠夏の沈んだ顔を見て、ふたりの間に何かあったのだろうことはわかっていたが、啓子はあえて瑠夏に聞こうとはしなかった。
この子は、いつでも自分で決めて行動する。それが無茶、無謀なことではないことを教えてくれたのは、劉生だ。
だから、この子の好きにさせようと思うようになった。
この子の生きる力になるのなら、悩むことも迷うことも必要なこと。私は、それを見守るだけ。
「・・・・・劉生に会いたいの。もしかしたら、おじいさんのとこには来てるかもしれないから、行ってみる。で、会えなかったら、おじいさんに会いたいって伝言を頼むつもり。今日、会えなくても、明日また行ってみる。ぎりぎり待って、あさってまで頑張ってみたいの。」
「・・・・・わかった。でも瑠夏、行くの、ひとりで大丈夫?」
「うん。」
「そう、なら、いってらっしゃい。どうせ止めたって、目を盗んで行くのでしょう?でも、あまり長い時間は駄目よ。30分。それが限度。約束して。」
「わかった。・・・・・・・・お母さん。」
「ん、なに?」
「ありがとう。」
瑠夏ははにかむように笑うと、外へ出た。
瑠夏は、階段を上がって6階の西病棟へと向かった。病棟のドアを開けて、特別室を探した。
ふと、劉生のおじいさんが退院していたらと、不安が頭をもたげた。もし、退院していたら、もう劉生と会うすべは、ない。
瑠夏は募る不安を心の奥に押しやりながら、病棟の左側の方から探し始めた。
特別室はすぐに見つかった。すばやくネームプレートに目をやると、空白になっていた。
不安が的中したのだろうか?
瑠夏の足元が揺れた。ふらつく体を支えるためにドアに手をついた。
かたん、と音がした。
「劉生かっ!」
中から男の人の声がする。
人が、いる。しかも、劉生って言ったよね。・・・・・・この部屋でいいみたい。
瑠夏は、ごくりと唾を飲み込むと、ドアをノックした。
「ん?なんだ、劉生じゃないのか?・・・・・どうぞ、入って。」
瑠夏は、大きく深呼吸をしてドアを開けた。
「こんにちは・・・・。」
声が震えて小さくなる。
顔を覗かせた色白の細い女の子に、興生と泰生は目を丸くした。
紺のダッフルコートを着てマスクしている女の子に、興生は心当たりがあった。
「こんにちは。どうぞ、入って。」
優しく笑い、手招きをする興生に、瑠夏はほっとした。
「失礼します。」
招きに応じて部屋の中に入り、軽く会釈をした。
部屋の中には、テーブルと一人掛けのいすが2脚あって、男の人がふたり腰かけていた。
瑠夏は一目見て、ふたりが親子だとわかった。
ふたりとも劉生に似ている。白髪の多い方がおじいさんで、黒髪の方がお父さん?
ふたりは対照的だった。
おじいさん?の方は、柔らかな表情で優しそうだったが、お父さん?の方は、自分を見定めるような鋭く警戒した表情をしていた。
「劉生に会いに来たのかな?」
おじいさん?の方が尋ねた。
唐突に目的を言いあてられて、瑠夏はうろたえた。
な、なんでわかったんだろう?
「あ、は、はい・・・・あ、あの、なぜ、わかったんですか?」
詰まりながらも、何とか返事を返す。
「以前、あなたと劉生がこの下の中庭で話をしているのを見かけたもので。そのダッフルコートに見覚えがあってね。」
「はあ、そうなんですか。」
「劉生は、まだ来てないんだよ。」
「そう・・・ですか・・・・」
部屋に入った時にいなかったので、来てないことはわかったが、あらためてそう告げられると失望が胸に広がる。
「ところで、お嬢さんの名前を聞いてもいいですか?」
「あ、はい。私は、本橋瑠夏と言います。5階の西病棟に入院しています。今日は、突然にすみません。」
瑠夏は、何度か練習してきたせりふを一気に言った。
「瑠夏さんか。私は、石田興生と言います。劉生の祖父です。もう半年間、こんな所に閉じ込められているんですよ。毎日退屈しているから、瑠夏さんの訪問は、大歓迎です。」
興生は、朗らかに笑って自己紹介をした後、ぎろっと泰生を一瞥した。
「私が言わんでも、自己紹介ぐらいできるだろ?いい歳のおっさんなんだから。」
「なにを砕けた口調でくだらないことを。それで若者に合わせたつもりですか?ばかばかしい。」
泰生は、ため息をついて立ち上がった。
「すみませんが、私は帰ります。」
「待て、泰生。なんのために、今日、ここに来たんだ。ひとりで思い悩んだり、劉生のことをよく知りもしない外野の戯言を聞くより、ここにいる瑠夏さんの口から劉生のことを聞いてみた方がいいぞ。そしたら、ほんとの劉生が見えてくるはずだ。」
興生のことばは静かだったが、有無を言わさない強さを含んでいた。泰生はその含みを感じ取り、嘆息すると、座りなおした。
「・・・・・私は、石田泰生です。劉生の・・・・父です。」
必要最小限のことばだけを訥々としゃべる泰生の物言いは、出会った頃の劉生に似ていた。瑠夏は、思わずくすっと笑った。
泰生が、一瞬、瑠夏を睨む。
「すみません。劉生・・・君とあんまり似ていたものだから、つい。」
肩をすくめペロッと舌を出した瑠夏に、興生は笑った。
「そんなに似てますか?こいつと劉生は。」
「はい、とても。顔の雰囲気もそうだけど、ちょっとした仕草や喋り方なんかそっくりで、ああ、親子なんだって。」
「いや、今までそう言われたことはないが・・・」
泰生の仮面がくずれ、ちらっと不器用さが顔を覗かせた。
瑠夏は、戸惑う泰生を見て微笑んだ。瑠夏の笑顔に泰生は驚きを隠せなかった。
部下を含め、初対面の年下から畏怖と緊張のない笑顔を向けられたのは、初めてだった。
泰生の戸惑いを興生は敏感に察知した。
「瑠夏さん、こんな仏頂面のおじさん、怖くはないかね?」
「いえ、べつに怖くないです。お父さんって、劉生に似ているから、きっと見た目とは違って、優しくて話のわかる人なんじゃないかなって。不器用なだけじゃないんですか?自分の気持ちを表に出すの苦手で。って、すみません。生意気なこと言って。」
しまった、ひと言多い、私。
瑠夏は、気まずさに目を伏せた。
すると、興生がさも愉快そうに笑った。
「いや、劉生が気にいるはずだ。瑠夏さんは、ちゃんと劉生の本質をわかっている。そうは思わないか、泰生?」
いきなり話をふられて泰生は戸惑ったが、興生のことばに無言で頷いた。
こんな年端もいかない子から優しいだの不器用だのと言われたことは一度もなかった。それが劉生に似ているからそう思うというのなら、この子の目で見た劉生もそうなのだろうか。
「・・・・・君から見た劉生のことを教えてくれないか?」
泰生のことばに、瑠夏は少し躊躇いの表情を浮かべたが、すぐに気を取り直して頷いた。
瑠夏が、喋ろうとすると、興生が止めた。
「そこに立ったままで話すのは疲れるでしょう。ここに座って話しなさい。まったく、お前はこういうところには一向に気が回らないからな。」
興生が泰生をねめつけて、瑠夏のために場所を開けた。
「・・・・・・すみません。」
泰生はバツが悪そうに顔を赤らめた。
今の泰生を部下が見たら、仰天するだろう。父親にいいようにあしらわれて自信のない顔をする泰生など、絶対見られないのだから。
興生がベッドに入るのを見て、瑠夏は言われるまま、興生の座っていた椅子に腰かけた。
泰生は、気を取り直すと、こほんと咳払いをしてネクタイを直す仕草をした。
気まずくなるとネクタイを治す仕草をしてごまかそうとするとこまで、ほんとに劉生に似てる。
瑠夏は泰生に感じていた警戒を完全に解いた。
「劉生・・・君は、優しいです。優しくてあったかで、人の気持ちをわかってくれる、そんな人です。たとえば、看護師さんに注意されてちょっぴりブルーな気持ちになっていると、なにも言わずに、自分のミュージックプレイヤーで私の好きな曲を聞かせてくれたりするんです。私は、劉生君がお見舞いに来るようになってから、ほんとにリラックスして楽しい気持ちで入院生活を過ごせてます。」
「あの劉生と、どんな話をするのかね?」
興生が聞いた。
「えっ、普通の話です。学校のこととか、昨日見たテレビの話とか、好きなアーティストのこととか。」
「劉生が、か?」
泰生がむせるように聞き返した。
「はい。劉生君、これまでは、あんまり学校の話題に興味がなかったみたいで、学校ネタを仕入れるために、女の子のグループの話に聞き耳立てて不審がられそうになって慌てたって話してました。私、どんな顔して聞いてたんだろうって想像して、ひとり笑いしてしまって、今度は、私が看護師さんに不審がられて困っちゃいました。」
興生と泰生と話すのは初めてなのに、話しやすくて居心地がよくなっている自分に、瑠夏は驚いた。
やっぱり、血がつながっているんだ。おじいさんもお父さんも劉生に似ている。
瑠夏は、時のたつのを忘れそうになった。
ふと壁の時計に目をやり、部屋を訪れてから30分以上過ぎているのに気がついた。
やばい、また、捜査令状が出される。
瑠夏は焦った。
劉生は、まだ来ない。どうしよう・・・・・
瑠夏が時間を気にして慌て出したのを興生は見逃さなかった。
もう、これ以上は引きとめられんな。
興生は、泰生に目くばせすると、瑠夏に呼びかけた。
「瑠夏さん、もう、病室に戻らねばならないのだろう?」
「は、はい、そうなんです・・・・・」
「私たちは、君に謝らなければならない。」
「えっ?」
「劉生は、ここへはこない。」
「こないって、どういう・・・・」
興生が言いよどんでいると、泰生が口を開いた。
「あの子は、家出したんだ。」