別れ
瑠夏は、両手で顔を覆って、声を出さずに泣いていた。瑠夏の細い肩が震えている。劉生は、たまらず瑠夏を抱きしめていた。
聞きたくなかった。
劉生がずっと口にしなかったから安心していたのに。
ずっと、このまま友だちでいたかった。
でも、劉生はその関係を壊した。
もう、今までのままでは、いられない。
心地よかった劉生とのひと時を私は失ってしまう。
涙はあとからあとから溢れ出て、瑠夏の頬を濡らした。
劉生は、瑠夏を抱きしめて背中をゆっくりと撫でた。
「瑠夏、ごめん・・・。俺が好きだって言えば、瑠夏が困ることはわかっていた。告白したのは、俺のわがままだ。だから・・・・・聞き流してくれて、いい。」
心とは全く正反対のことばを口にしながら、自分のことばで傷つけられた。
いき場のない想いの重さに耐えかねて、ついに口にしてしまった瑠夏への恋心。口に出したところで、俺の想いは一方通行だ。それがわかっていても抑えきれなかった。
俺が好きだと言えば、応えられない瑠夏はきっと困る。それがわかっていても、伝えたかった。
瑠夏のぬくもりを全身で感じる。
それは、今日が最初で最後。
もう、瑠夏に会うこともできないかもしれない。
告白したことを後悔したくないから、今、この腕の中にいる瑠夏の存在を全身で感じ取って覚えておこう。
「瑠夏・・・・・」
想いが溢れてことばとなった。
「どうして?」
さっきと同じ問いが瑠夏の口から漏れる。
「だから・・・・」
「違う。」
瑠夏が劉生のことばを遮った。
「私が聞きたいのは、なんで、私に会いにくるのかってことじゃない。なんで、私なのってこと。」
瑠夏は、自分を抱きしめていた劉生を両手をつっぱって押しやった。ふたりの間に距離ができた。瑠夏は、泣きはらした瞳で劉生を見上げた。
「私は・・・・・ずっと劉生と友だちでいたかった。」
「わかってる。」
「わかってない。」
瑠夏は、声を荒げた。
「劉生は、わかってない。私は、誰かを男として好きになんかならない。どうして私たちの間に恋愛を持ち込もうとするの?」
「瑠夏、それは違う。瑠夏は誰かを好きになれるんだ。それが俺じゃなかっただけだ。」
「違う。そうじゃ、ない。」
「そうなんだよ。瑠夏は、自分は治すのが難しい病気だから人を好きになってはいけないって思いこんでいるかもしれないけど、誰かを好きになる時は、たとえどんな妨害や制限があっても自然と好きになっているもんなんだ。俺が、そうだったように。」
瑠夏の顔に苦痛がひろがる。
そうじゃない・・・・・
劉生は、瑠夏の肩を掴み、瑠夏から目をそらさず話を続けた。
「俺は、これまでのいろんなことから軽く人間不審みたいになっていた。特に女の子は、あからさまに表情で嫌悪感や怯えを表すから苦手で、女の子を好きになるなんて一生ないって思っていた。」
「・・・・・・・・・・」
「だけど、瑠夏を初めてみた時、そんな思いはどこかに消えていて、瑠夏に近づきたい、瑠夏の瞳に俺が映るようにさせたいって、今まで経験した事のない感情に頭を支配されていた。」
瑠夏の瞳が潤み始める。
「こんな想いを抱いていても叶うわけないんだからと、何度も諦めようとしたんだ。瑠夏の望むように、今のまま、友だち関係でいる方がいいんだと自分に言い聞かせた。」
劉生から視線をそらさない瑠夏の瞳から、涙が一筋零れる。
「・・・・・でも、この想いだけは、俺にもコントロールできない。友だちでいることに満足できない。それから半歩でもいいから先に進みたいって思ってしまうんだ。人を好きになるって、そういうことなんだ。」
瑠夏は、目を伏せ、力なく首を横にふるとニット帽を取った。髪の毛のない瑠夏の頭が劉生の前にさらされる。
「劉生は、私の気持ちをぜんぜんわかっていない。私は、好きになれないなんて思ってない。好きにならないって思ってるんだもの。見て、劉生、これが治療の代償。」
瑠夏は、涙に声を震わせながら、また劉生に視線を向けた。
「瑠夏、わかってるから、それ、かぶって・・・・」
瑠夏の手にあるニット帽を取ってかぶせようとした。
「わかってない!」
劉生の手を振り払うと、瑠夏は小さく叫んだ。
「私のこの頭は、化学治療の時に抜け落ちたものじゃない。自分でスキンヘッドにしたの。この頭にする時、私は髪の毛と一緒に誰かに恋をする気持ちも一緒に切り捨てた。」
「瑠夏・・・・・」
「どうしても、また、完全寛解になって、治りたかった。治療に集中して、治すことだけを考えるには、他の感情は邪魔なだけ。恋愛って、ときめきだけじゃないでしょ?好きな人のことを思うと、ちょっとしたことで不安になるし、嫉妬もする。そんな感情にふりまわされて治療に影響させたくない。だから、封印したの。」
「・・・・・・・・・・」
「移植が終わって無事に退院するまで、私は、誰も好きになったりしない。でも、恋愛感情のない友だちなら・・・・・友だちならいっしょにいられる。そう思っていた。劉生との時間は、私には心地よくて大切な時間だった。だけど、それももう・・・・」
瑠夏の射るような視線に、劉生の鼓動が跳ね上がる。
俺の一番聞きたくなかったことばを瑠夏は言おうとしている。
劉生の顔が歪む。わかっていたとはいえ、現実に聞かされると思うと苦痛が全身にひろがる。
不安が胸を覆い、劉生の心をむしばみ始めた。
聞きたくない。
覚悟して言ったはずなのに、もう、後悔している。
瑠夏、頼むから・・・・・
いわないでくれ という劉生の願いは、瑠夏のことばで打ち消された。
「私は、劉生の気持ちには応えられない。だから、はっきりと劉生が自分の気持ちをことばにした以上、今までのようにはできない。もう・・・・・」
ことばに詰まる自分の弱さにむち打って、瑠夏は、言いたくなかったひと言を口にした。
「もう、ここへは来ないで。」
瑠夏のひと言が、劉生の心を貫いた。
心が悲鳴を上げる。
『もう、ここへは来ないで。』
聞きたくなかったことば。
そのことばが劉生の頭でこだまする。
自分でまいた種なんだ。
突きつけられたそのことばを劉生は受け止めるしかなかった。
拳を腱が強く浮き出るほど強く握って心に渦巻く感情を抑え込むと、力なく頷いた。
瑠夏に背を向け、ドアの取っ手を握る。
「今まで・・・ありがとう。」
それだけを口にすると、外に出た。