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信長の弟  作者: 浮田葉子
5/11

 天文二二年(一五五三)、閏一月。

 信長(のぶなが)守役(もりやく)であった平手(ひらて)政秀(まさひで)が自刃した。

 信長の目に余る挙動を諌めての死であった。



 家督を継ぎ、戦を制しても、うつけぶりは止まる所を知らず、思い余って、というのが大方の見方だ。

 家臣の不満はここに極まったかに見えた。


 今こそ信勝(のぶかつ)を擁立すべき時と、(はやし)通具(みちとも)などは声高に言い募り、信勝を掻き口説いた。



 ついに信勝は首を縦に振る。



 信長の関与なく、勝手に判物を発給することにしたのである。

 官途名は弾正忠(だんじょうのじょう)を名乗った。


 つまり信長では無く、信勝こそが弾正忠家の当主であるとの主張である。


 戦では無く(まつりごと)で。


 対立を明確に示し、けれど血を流さぬ方法を信勝は取った。

 今はまだ戦の時では無い。

 いずれ戦は逃れられぬであろうけれど、今はお互い力を削ぐべきではないと信勝は説いた。


 弱腰と取る者も居た。

 血気に逸る者も居た。


 それらすべてを抑え、信勝は静かに一手を指した。


「穏やか過ぎは致しませぬか」

「地味だと言いたげだな」


「いえ、そのようなつもりは全く……」

「そなたは乱暴狼藉を好むか、蔵人(くらんど)


 不満げな若衆、津々木(つづき)蔵人にわざと意地悪く問いかければ、


「滅相もございませぬ!」


 と青くなる。


(それがし)は勘十郎様に一日も早く頂点に立って頂きたいだけでございます」


 頂点。

 大きく出たなと信勝は思った。


 天下でも取るつもりか。




「そうか。ならば共に往くか、地獄まで」




 蔵人(くらんど)は目をぱちぱちと瞬いた。

 きょとんとした表情は、まだ幼さすら感じられる。


「畏れながら、極楽ではございませぬので?」


 信勝(のぶかつ)は軽快に笑った。


「ふふふ、兄に弓引く者が、どうして極楽へ行けようか」


 蔵人は畏れ入りましたと膝をつき、(こうべ)を垂れた。

 信勝はただ笑っていた。



 そう。往く先は地獄だ。



 あの時、父の葬儀の日。

 信勝は既に心を決めた。


 己を慕う者、恨む者、全て。


 己が連れて往こうと決めた。








 同年四月、信長(のぶなが)斎藤(さいとう)道三(どうさん)聖徳寺(しょうとくじ)で対面を果たした。


 信長がうつけの皮を脱いだのはこの時である。




 それ以来信長は、髪を()()げに結い、立派な袴と小太刀を身に付け、風格ある立ち居振る舞いで皆の度肝を抜いて見せた。


「さては普段のうつけぶりは芝居か」


 道三は信長のことを(いた)く気に入ったという。

 後ろ楯になってやろうとまで口にしたのだとか。


 慌てふためく配下を尻目に、信勝は我がことの様に得意げに笑った。

 やっと、兄の大器に皆が気付いたのだ。




「何を暢気(のんき)に笑っておいでです」


 蔵人が柳眉を逆立て、まるで毛を逆立てた猫の様に怒っている。


「そういうそなたは何を怒っているのだ」


 まるで猫だぞと言ってやろうかどうしようか、少し迷った。


勘十郎(かんじゅうろう)様のそのような暢気ぶりに(それがし)は腹を立てて居るのです!敵は力強い味方を手に入れたのですよ」


 青筋を立てて言い立てる蔵人(くらんど)に、信勝(のぶかつ)はふふんと鼻で笑う。

 今更何を言っているのか。


 美濃(みの)(まむし)は信長の舅。

 家督以前の話ではないか。


「その味方ごと取り込み、勝って見せねば、私の将来などあるまいよ」


 穏やかに紡がれた言葉の奥の激しさに、蔵人は打たれたように跪いた。


「畏れ入りましてございまする」




 本当に今更だ。

 誰も彼もが知り得た事実。



 信長の舅は斎藤(さいとう)道三(どうさん)。信勝の舅は和田(わだ)備前守(びぜんのかみ)

 そもそもの格が違い過ぎる。


「兄上はもっと大きくなる。私などすぐに取り込まれて、消えてしまうかもしれないな」


 蔵人はぎょっと目を剥く。


「それは困りまする!」


「ははは、だろうな」


「だろうな、ではございませぬぞ!」


 信勝は更に朗らかに笑って見せた。


「さて、私には誰がついてくるだろうかな」


 美濃の蝮が公然と信長の背後についた。

 ことが大きく動く予感がする。


 弾正忠(だんじょうのじょう)家は誰がどう動くだろうか。庶兄らは、叔父らは、宿老(おとな)らは……。


 大和守(やまとのかみ)家は恐らく信長を恐れ、遠からずことを起こすだろう。

 今は静観している上四郡の守護代、伊勢守(いせのかみ)家はどう出るか。そして隣国は……。


 誰が味方か、誰が敵か。


 信勝の頭の中で、駒が(せわ)しなく動いている。


「兄上に比べれば、私は(くみ)(やす)しと思われているだろうしな」


 そして、そう思ってくれなくては困る。

 呆気なく呑み込めると思って、うかうかと近付いてくるがいい。


 その喉笛、噛み切ってくれる。


 信長に及ばずとも、この信勝とて尾張の虎、信秀(のぶひで)の子である。


「何を仰いますか!」


「さっきから、そなた叫び通しだぞ」


 くつくつと笑いながら信勝は歩き出した。


 さて、誰に繋ぎを取ろうか。

 或いは誰から打診があるか。


 ふっと信勝の睫毛が陰った。




 誰が勝っても、誰が負けても。


 母も妹も泣くのだろうな。




「私が死んだら、」


 果たして高子は、泣いてくれるだろうか。








 そんな悲壮なことを考えていたりしたのだが、信長(のぶなが)は相変わらず足音軽く、末盛(すえもり)の城にやってくる。


 変わったのは格好だけなのだろうか。


 茶筅髷(ちゃせんまげ)湯帷子(ゆかたびら)、腰に虎皮、荒縄で刀を差して、堂々と。あれはあれで、中々似合ってもいたと思う。


 今の折り目正しい身形は、それはそれは貴公子然として凛々しいのだけれど。

 纏う風格は、更に鋭さを増した。


「ここの梅の実の方が、那古野(なごや)のよりもよい梅酢(うめず)になる。幾つか植え替えるか。貰っても良いか。良いな」


「ええ、はい。どうぞお好きなだけ」


 梅は梅干しとして陣中食にそのまま使えるほか、食中毒や伝染病の防止に無くてはならないものであった。

 梅干しを見ると唾液が分泌されるのを利用し、脱水症状の予防目的にも使用された。

 傷口の消毒に使用する、梅酢にも使用した。



 信長は薬草に詳しい。

 那古野城にも幾らか薬草畑があるという。


「そういえば幼い頃に、擦り傷に効くとかいう草を揉んでくださいましたね」


 確か相撲をとっていて、投げ飛ばされた信勝が傷を作ったのだが、その時なにやらという草を摘み、揉んで傷口に貼ってくれた。


「そうであったか」

「はい。血も止まり、腫れもすぐに引きましてございます」


 ふん、と信長は鼻を鳴らした。


「もっと色々、手近にあると便利なのだがな」

「手近、でございますか?」


 うん、と頷きしゃがみ込むと、足許の草をいじり始める。


「いつか山ひとつくらいでも、思う通りの草々を植えたいものだ」

「四季折々の花を愛でるためとか、そういうのではなく」


 それも良いがな、と信長は頷く。

 濃姫が気に入りそうだ。


「四季折々、使いどころのある薬草は多々あるのでな」


 何やら思案に暮れる兄の横顔を見ながら、信勝は未来のことを思う。




 その時。



 薬草が咲き誇る山を、満足げに見回る信長。

 隣でそれを見つめる信勝


 その時は来るのだろうか。


 信勝は瞼を閉じる。




 謀反を起こすのだ。


 信長と信勝が共に薬草を見る日など、もう来ない。

信勝は既に心を決めています。

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