哭声は炎を越えて
春の陽気に誘われ市はひときわ賑いを増す。
その雑踏の中を、紫雫久はぶらりと歩いていく。
「おっちゃん、たい焼きひと……いや、みっつちょうだい」
「毎度あり!珍しいな、客人か?」
「昨日、柚を怒らせちまってさ〜」
「懲りないねぇ。……そういや聞いたか?五年ぶりだってよ」
「何が? おっちゃんとこの娘さん、帰ってきたのか?」
「ちげぇよ。剣警の試験だよ。しばらく止まってたのが復活するってさ。
しかも会場は高瀬だろ? “試験中は豪遊できる”なんて噂して、ここらの剣士どもは浮き足立ってるよ」
「はぁ〜……剣警ねぇ」
あまり実感の湧かない顔で、紫雫久は熱いたい焼きをひと口かじった。
「ま、お前さんに刃浦の平和を背負わせるのは荷が重すぎるか。ほら、早く仲直りしな!」
「あいよ〜」
たい焼き屋の店主が言ったとおり、高瀬家が掲げた剣警試験再開の告知板の前には、すでに人だかりができていた。
その目は皆、期待と興奮で輝いている。
「長屋の端の旦那、商売辞めて息子を剣警士にするって息巻いてるよ」
「これが叶えば、お家再興も夢じゃないぞ」
「五参家にも意見できるって本当か?」
紫雫久はその熱気をひととおり眺め、たい焼きをごくんと飲み込む。
「ふーん」
それだけ呟いて、市を後にした。
向井の家に戻ると、井氏向井領領主・向井鵜匡が出迎えに現れた。
「おかえり紫雫久。ちょうど話があるから、柚珠葉と一緒に御座の間にいらっしゃい」
「うん。大事な話ですか?」
鵜匡はひとつ静かに頷き、表情を引き締めた。
「そうだね、お前たちには少し苦労をかけるかもしれない」
そんな鵜匡の言葉を反芻しながら、
紫雫久が御座の間へ入ると、柳鼠色の髪が流れる後ろ姿を見つけた。
「……まだ怒ってんの?」
隣に腰を下ろして声をかけるが、柚珠葉はそっぽを向いたまま返事をよこさない。
「悪かったって。試合中にさよちゃんの名前出して揺さぶるなんて、もうしないから」
「そ、そういうことじゃない! 昨日紫雫久が――……いや、言うだけ無駄だ」
「なんだよそれ……」
紫雫久は首をかしげたが、柚珠葉が怒っている理由はそこではない。
――昨日の稽古試合。
柚珠葉は寝違えた左肩にわずかな違和感を抱えていた。動きが鈍るほどではないが、左へ振る動作だけは普段より重い。
本来なら、誰かに悟られるようなものではなかった。
ところが、紫雫久は回り込めば一撃を取れる左側から、ただの一度も攻めなかった。
柚珠葉が全方位に攻撃を仕掛けるなかで、紫雫久は自ら制限をつけてなお勝ち切ったのだ。
自分の不注意が招いたことだと分かっているが、それでも胸の底に沈む悔しさはどうにもならない。
中途半端に言いかけて黙り込む柚珠葉に、紫雫久はムっとした表情を見せたが、それ以上は追及しない。
むしろ、しおらしいほど素直に、柚珠葉の好物であるたい焼きを差し出してくる。
それがまた癪に障るのに、嬉しくもある。
「……ほんと、ずるい奴」
呟きは、温かいこし餡と一緒にすっと喉の奥へ沈んでいった。
柚珠葉の眉間の皺もようやく和らいだころ、鵜匡が穏やかな笑みをたたえて現れた。
しかし、その声音にはいつになく真剣さが帯びている。
「今年の剣警試験だけど——五参家には、それぞれ子息を代表として一名、必ず参加させるよう通達があった」
前置きもなく切り出され、二人は思わず姿勢を正す。
「だから、柚珠葉と紫雫久。お前たち二人に出てもらいたい」
「え、俺もですか?」
「うん。一緒に行って、そばで柚珠葉のことを見ていてほしいんだ」
鵜匡の頼みに、紫雫久はにこりと頷いた。
「わかりました」
あっさりと承諾した紫雫久に代わり、今度は柚珠葉が声を上げる。
「父上、私だって自分の身くらい自分で守れます!」
「わかっているよ」
鵜匡は静かに言葉を返す。
「だが、うちは他家に比べれば小さな家だ。……お前は、私たちにとって大切な嫡男だということを、忘れないでほしい」
「ですが……」
なおも食い下がる柚珠葉に、鵜匡は表情を崩さず続けた。
「今まで高瀬家が、子息の強制参加など求めたことはなかった。だが彼らの要求を跳ね除けられるほど、財や歴史は及ばない。
唯一、歴史ある佐藤家が参加を承諾した手前、断る理由が無いんだ」
そして――と、鵜匡は声を落とし、続けた。
「前回の試験では志願者が全員、試験中に命を落としている。……考えすぎかもしれないが、胸騒ぎがしてね」
短い沈黙ののち、紫雫久が明るい声で割って入った。
「ちょうどよかった!
俺も一度、剣警試験ってやつに出てみたいと思ってたところなんです。
腕利きも集まるんだろ?ぜひ手合わせしてみたいね。そのついでに、柚のこともちょっとは気にしとく……これでどうですか?」
「ありがとう、紫雫久。頼んだよ」
柚珠葉はなお不満げだったが、話はそこでお開きとなった。
御座の間に二人きりになるや否や、紫雫久は大きく息を吐き、その場に寝転がった。
「は〜〜緊張した!
鵜匡さんが“話がある”なんて言うから、裏山の木、倒したのバレたかと思った!」
しかし、柚珠葉はまだ俯いたままである。
「……父上のことは尊敬してる。でも、たまに紫雫久のことを駒みたいに扱ってる気がして……賛同できない」
「え〜?お前、それ気にして拗ねてたの?」
紫雫久は涅槃像のように肘で頭を支え、柚珠葉を覗き込む。
「そんなの気にすんなよ。俺、鵜匡さんの“はいと言うまで終わらせない”みたいな圧、逆に好きじゃないんだよ」
「それでも……嫌なものは嫌だ」
「柚がそうやって心配してくれるだけで十分だよ。俺は別に気にしてない。むしろ向井家の役に立てるなら、いい機会だって思ってるくらいだし」
しばらく黙ったのち、柚珠葉はぽつりと付け加えた。
「……それに、紫雫久みたいなじゃじゃ馬を連れて他家に行くなんて、正直、不安しかない」
「あ!それが本音だな!? 本当に、目が合った全員に喧嘩ふっかけてやろうか!?」
「はは、それは楽しみにしないと」
《第二章:哭声は炎を越えて》
刃浦の北西に位置するのは、高氏・高瀬領。王剣を祖とし、創世の代より軍政と法を司ってきたことから、剣警もまた高氏の管轄下にある。
その剣警試験を受けるため、紫雫久と柚珠葉は、真反対の南東から海を渡り山を越え、高瀬領へと向かっていた。
途中に広がるのは、田氏・福田領。多領の争いには決して深入りせぬ日和見の気風を映すかのように、領地一帯は鬱蒼たる森が外界との境を閉ざしている。
柚珠葉は慣れない道に地図を開いては閉じ、開いては閉じ、慎重に歩を進めていた。
後ろをついて行く紫雫久は、暇を持て余して拾った木の実を手の中で弄ぶ。
「そんなに迷うなら、素直に街道を行けばいいのに。俺そこ通ったことあるし」
「誰のせいだと思ってるの……!」
柚珠葉は袖から竹筒を出して振り上げる。
それに紫雫久は身を縮ませた。
旅と旅先の銘酒を趣味とする紫雫久は、刃浦の隅々まで踏み分けてきた。
本来なら、彼の知る街道を通れば迷うことなどあり得ないのだが、この日ばかりはそうもいかなかった。
問題は——紫雫久の“旅癖”だ。
ひとたび旅に出ると平気でひと月は戻らず、興味の赴くまま見知らぬ土地に溶け込み、人懐っこさも手伝って気づけば根を張ってしまう。
山奥の達人から一子相伝の技を授かるために半年戻らなかった前科もある。
そんな男と街中を歩けば、寄り道だけで年の瀬になりかねない。
ゆえに柚珠葉は、あえてこの辺境の獣道を選んだのだった。
「次同じことを言ったら、これで眠らせるからね?」
「わかったわかった!」
手に握る竹筒は吹き矢になっており、中には睡眠薬が仕込まれている。
面倒事を運ばれるくらいなら、紫雫久を眠らせて運んでしまった方が楽だと柚珠葉は思っているのだ。
「こう歩いてきたから……チッ、この目印、朽ちて変な方向向いてるじゃんか……」
「なぁ柚」
「一旦黙って。今考えてるから」
「いや、なんか聞こえね?」
「なんかって何?」
「……人の、啜り泣く音。みたいな」
「啜り泣く音って……ここに人なんかいな――」
苛立ち混じりに地図と睨めっこしていた柚珠葉は、そこでふと顔を白くし、紫雫久を見た。
「――う……ひっ、……ふ……」
「な、な、な……泣いてる……」
柚珠葉は地図をぐしゃりと握りつぶした。
人通りなど皆無の辺境の獣道――その静寂を頼って、あえてこの道を選んだのだ。
ここ数日、人の影どころか気配すら見ていない。それなのに今、耳元を掠めるような啜り泣きだけが確かに聞こえる。
もう一度周囲を見回しても、やはり人影などない。
「……しょうがない。一か八か」
紫雫久が刀に手を添えた。
「待て! 他領で剣なんか抜いたら――!」
「あぁ、そうだった……じゃ、抜かなきゃいいんだよな?」
「――え?」
言い終えるより早く、紫雫久は地を蹴った。
木々を踏み台に一気に跳躍し、森の樹冠より上に飛び出す。
そこで鞘に収めたままの刀を大きく振り抜き、空気を巻き込み、渦をつくる。
落下の勢いを逃がさず鞘を地へ突き立てるように着地すると、紫雫久を中心に、突風と地揺れが一気に走った。
「う、うわぁぁぁっ!?」
竜巻の余波に押し出されるように、薄墨色の何かが地面を転がり出てくる。
「……やっぱ鞘のまんまだと鈍いなぁ」
「今ので十分すぎるから……それより、あれ」
柚珠葉の指差す先には、さきほどまで存在しなかった“塊”が転がっていた。
近づいてみれば、それは――地面にうずくまり、頭を抱えて震える、人の姿だった。
「あのー……」
「ひぃっ! ごめんなさいごめんなさい! 私、食べても美味しくないです、ほんとにごめんなさいぃ!!」
できるだけ柔らかい声で呼びかけたにもかかわらず、それはさらに身を縮めてしまった。
銀灰色の髪が震えに合わせてさらさらと肩からこぼれ落ちる。無造作に乱れてはいるが、毛先の揃った束は日頃の手入れの丁寧さを物語っている。
枯れ葉や土がまばらに付着しているものの、着物には精緻な刺繍が施され、素材も上等だ。何より、腰に帯びた刀の鍔には、見覚えのある意匠が刻まれていた。
「なぁあんた、福田の坊ちゃんだろ?こんな場所で何してる。従者はどうしたんだ?」
「なんで!? なんで私のこと知ってるの!?」
顔をぱっと上げた瞬間、涙で濡れた両目と、真っ赤に腫れた鼻先があらわになる。
降りしきる雨に捨てられた子犬のような表情で紫雫久を見つめ、眉を困ったように下げていた。
「知ってるっていうか……田氏は昔から細工に長けてるけど、福田はその上をいく。あんたの鍔の細工、手作業じゃ滅多にできない精度だし――」
「わかるの!?」
男は紫雫久の両手を掴み、興奮気味に言葉を続けた。
「そう! これは後に真柴流と葉雨流に分岐する技術の源流なんだけど、この曲線の連続を手で表現するのは、あまりにも難易度が高いでしょう?でも、その難しさの中にこそ宿る儚さっていうか、美しさが――あっ、これも見る? 刀身。澄鋼は聞いたことあるかな。一振りすれば青白い残光が空間を鋭く切り裂いて――蒼鉄兄さんの一閃なんてもう本当に綺麗…で……でも、さっきまで一緒に……いたのに……なんでぇ……」
堰を切ったように一気に喋り始めたかと思えば、突然“蒼鉄”という名を口にした瞬間、ふっと言葉を途切らせ、また泣き崩れた。
早口の講釈をほぼ聞き流していた紫雫久と柚珠葉は、その急激な感情の落差に思わずぎょっとした。
慌てて宥め、落ち着かせ、今度こそ下手に刺激しないよう慎重に、基本的な事情を聞き出すことに全力を注ぐのだった。
男の名は福田瑪瑙羽。田氏・福田領の領主家に生まれた子息であり、柚珠葉と同じく高瀬家からの通達を受けて、剣警試験へ向かう途中だったという。
福田家には優秀な養子が多く、先ほど口にしていた“蒼鉄”もその筆頭格らしい。瑪瑙羽は数人の兄弟子とともに森を抜けようとしていたが――ふいに篝火が視界の端に浮いたと思った次の瞬間、火柱が立ち上がり、兄弟子たちの姿は煙のようにかき消えた。
瑪瑙羽自身は、直前に突き飛ばされて難を逃れたものの、ひとり森に取り残され、不安に駆られて泣いていたところを紫雫久と柚珠葉に見つけられたのだった。
「てことは、その火柱が人を攫ったってわけか? どう思う、柚」
「篝火なら、鬼火か狐火か……どっちも人を惑わす話は聞くけど、直接さらうなんて伝承はなかったはずだよ」
「で、でも本当に見たんだ! 火が消えた瞬間に、みんな――いなくなって……うぅ……」
「あ、泣くな泣くな! 大丈夫だから。篝火が出たのって、ここから遠くないんだろ? 正確な場所まで案内してくれ、な?」
「……うん」
「あんまり目こするなよ。せっかくの綺麗な顔に跡がつく」
そう言って紫雫久が自然に瑪瑙羽の手を取り歩き出した。
瑪瑙羽はその手を見つめ、泣くのも忘れて頬を赤らめた。
篝火が現れたという場所にはうっすらと焦げの匂いが漂っていた。
紫雫久と柚珠葉は目配せをし、それぞれ周囲の木々へ注意を向ける。
「……あったよ」
「こっちにも。かなり古い設置だな……目的はわかんねぇが、原因ならもう見えた」
「わかったの!? 蒼鉄兄さんたちは無事なの!?」
「無事かどうかは、これから確かめるとして……ほら、こことここ、それからあっち。痕跡が残ってる」
紫雫久が指し示した木々には、朱色の爪痕のような模様が刻まれ、焦げついた紐の切れ端が点々と残されていた。
それらは、まるでこの場所を中心に円を描くように配置されている。
「篝誘陣。通った者を特定の地点に伝送する、古い設置式の陣だね。
私も実物を見るのは初めてだけど」
「鬼火や狐火ならこんな匂いは残らない。怪異の仕業じゃないなら、人が置いた陣に他ならないってことだ。
にしてもこんな辺境、人なんて滅多に通らねぇだろ。昔は違ったのか?」
「どうだろう……。私はあまり境界の事情にはきょ――その……関わらないようにしてるから」
瑪瑙羽は、柄頭の灯台草の飾り紐を指先でもてあそびながら視線を逸らす。
紫雫久と柚珠葉は(絶対いま“興味ない”って言いかけたよな)と思ったが、黙っておくことにした。
「それより問題は、彼らがどこへ飛ばされたか、だよね」
「それはまぁ……やってみれば」
「方法があるの!?」
「うーん……」
「いやいや、このテの陣には逆探知能力なんて無いはずだよ?
しかも使用済みで、ほとんど消えかけてるし」
柚珠葉と瑪瑙羽の言葉を背中で聞き流しながら、紫雫久は黙々と陣の跡を一つずつ確認していく。
「理論上はいけるんだ。
この型は古いから、最近の陣ほど回路が確定していない。入口と出口の指示も曖昧なんだよ」
左手の中指の爪を親指で軽く擦りながら、円周をぐるりと歩く。
「――なんだ。思ったより軽いな」
顔を上げた紫雫久のなんてことのない表情に、瑪瑙羽はぱっと明るい声をあげた。
「できるんだね!? じゃあ――!」
「まぁ、できることはできるけど……お前にできるかなぁ」
「できるよ! 蒼鉄兄さんたちのためなら、なんだってする!」
紫雫久は手を止め、にやりと笑った。
「じゃあさ、瑪瑙羽。
――お前、俺のこと、斬れる?」
「――なっ!」
「なにバカなこと言ってるの!?」
柚珠葉は言うが早いか、紫雫久の腕をぐっと引き寄せた。
握った右手の温もりに、まだドクドクと心臓が騒いでいる。
「や、だって他領で剣は抜いちゃいけない決まりだし。今抜けるのは瑪瑙羽だけじゃん」
「それとこれと何の関係があるの!」
「陣の上書きには血が一番効くし、大人数戻すならそれくらい必要だろ?」
もっともらしい紫雫久の説明に、柚珠葉は盛大に眉をひそめ、苦湯を飲み下したような顔をした。その反応がおかしくて、紫雫久はケラケラと笑う。
言っていることは道理ではある。あるのだが、そうじゃない。お前はまず説明しろ、順序立てて話せ、肝心なことを省くな。
そんな怒りが右手にこもり、つい力が入る。
「いたたたた……。とにかく、そういうわけだから。
瑪瑙羽は何も考えず俺に一太刀くれてくれよ。こっちでいい感じに受けるからさ」
瑪瑙羽は唖然とした。
半紙と墨を渡されて「ここに名前を書いて」と言われたくらいの軽い顔で“できる”と言い放ったが、紫雫久のやろうとしていることは常軌を逸している。
自分の血で陣を書き換えるだけでなく、その効果を反転させる?前例も無いのに?
しかも、その血を流すために、初対面の人間の一閃を受けると?
柚珠葉も柚珠葉だ。
どこの誰とも知れない男に、友人が斬られようとしているのに止めようともしない。
だが、それでも兄弟子たちを救うには、この方法が一番早い。
賭けてみる価値はあるかもしれない。そう思わせる何かが、彼にはあった。
「わかった。でも、後から文句は言わないでよね……!」
瑪瑙羽は刀を顔の前に構え、ひとつ深く息を吐くと、迷いなく一閃を放った。
澄鋼の青白い残光が、一直線に紫雫久へと奔る。
刃が触れた瞬間、紫雫久の体から血が夜気に散る。
紫雫久が身をひるがえし、半歩回転。
その動きに応じるように、飛び散った血は旋回しながら吸い寄せられ、細い紅の線となって空間を走った。
線と線の間には薄い膜のような気が張り、血が触れるたびに淡い紅の火花が散った。
やがて、溶け合うように最後の一点が結ばれ――
「――!?」
わずかに目を見開いた瞬間、陣の縁から火柱が噴き上がった。
巻き上がる炎が世界を切り離す。
そして――その火が静かに落ちると、
「蒼鉄兄さん! みんな!」
炎の消えた中央に、蒼鉄をはじめ瑪瑙羽が探し求めていた兄弟子たちの姿があった。
「瑪瑙羽!」「坊ちゃん!」
兄弟子たちは一斉に瑪瑙羽へ駆け寄り、その無事を確かめて胸を撫で下ろした。
その様子を遠巻きに見ていた紫雫久の前に、水筒が差し出される。
「はい、水。飲んで」
「ありがと。……あぁ、失敗したかと思った」
陣を結んだ瞬間、内側から阻まれるような痛みが走った。
まるで、深淵から手を掴まれたかのような。
「あんなの、ぶっつけ本番で成功する方がおかしいからね」
柚珠葉はため息をつきながら、紫雫久の裂けた右肩から胸元へ走る傷に手当てを施した。
「こんな、心臓の近くじゃなきゃ駄目だったのかね?」
「いやいや、普段なら避けられる一撃を“受け止める”って、思ったより難しいんだって。柚も一回やってみなよ」
「そんな馬鹿げた真似、するわけないでしょう」
「――紫雫久」
名を呼ばれ振り返ると、瑪瑙羽と蒼鉄がこちらへ歩み寄っていた。
「おう、全員無事か?」
「うん。紫雫久のおかげで、みんな戻ってこられた。……痛い?」
瑪瑙羽が包帯に巻かれた傷へ視線を落とすと、紫雫久はその視線から逃げるように羽織を整えた。
「平気平気。澄鋼なんて滅多に浴びられないし、いい経験だったよ」
「申し訳ございません。向井家の皆様には多大なご迷惑を……どう感謝を述べればよいか」
神妙な蒼鉄に、柚珠葉が穏やかに微笑んで応じる。
「いえ、こちらも成り行きで助力しただけです。
ただ、上には報告の義務がございますので、その点だけご承知おきください」
紫雫久はその笑みを「触らぬ神に祟りなし」と聞き流した。
「こちらは……感謝の印です」
「これは……」
柚珠葉の手に渡されたのは、木箱に収められた蓮の硝子細工。
葉脈の一本一本が脈動するように生き生きと輝いていた。
「我が福田家に伝わる玻蓮珠でございます。きっとお役に立ちましょう」
「……確かにお預かりしました。では、五参家間の事案として内々に処理いたしますね」
「ご配慮痛み入ります。――瑪瑙羽、行くぞ」
深く礼をして立ち去る蒼鉄。
振り返った瑪瑙羽は、力いっぱい手を振った。
「紫雫久!柚珠葉!また試験会場でね!それか福田に遊びに来てよ!美味しいものいっぱい食べさせてあげる!」
「さーて、俺らも行きますか……柚?」
振り向くと、そこには――吹き矢を構えた柚珠葉が立っていた。
「まさか、え、ここで……?」
紫雫久の困惑をよそに、鋭い針が音もなく放たれ首筋に刺さる。
瞬間、視界がぐらりと混ざり、膝が崩れかけた。
「柚……それは、ひきょ……う……」
「何が卑怯だ。こうでもしないと、我慢して動き続けるあなたが悪いの」
睡眠薬の効いた針に力を奪われた紫雫久の身体を抱きとめ、柚珠葉は聴こえるか聴こえないかの溜息をひとつ落とした。




