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霞を纏う禍身

「じゃあまず、今の刃浦について教えてくれ」


 湯呑みを置き、紫雫久(しずく)は言った。

 花衣霞(かいか)も同じように団子の串を皿に戻す。


「あれから大きく変化したのは、剣警制度だ。

 高瀬は各領に“剣番所(けんばんしょ)”を設置した」


「剣番所?」

「剣警資格を持つ者を駐在させ、その地の治安維持を行う――という名目だ」


 紫雫久の脳裏に、小屋の前で畑を見張る、のどかな剣士の姿が浮かぶ。


「ほう。それはなかなか、理にかなってるんじゃないか?」

「うん、表向きは」


 とん、と花衣霞の指が卓を叩いた。

 空気がわずかに引き締まる。


「だが実際に派遣されるのは、高瀬の息のかかった剣士ばかりだ。

 それも、元は素性の知れぬ者ばかり」


 数年に渡り各領を襲う謎の進撃。

 家を奪われ、人の気配の消えた街も多い。


 剣番所はちょうどその土地に、居座るように拠点を置いていた。


「……つまり高瀬が、各領への侵食を始めたのと同義ってわけか?」


 計算された駒の進みに、眉根が寄る。


「状況は?」

「我が領は、山を二つ奪われた。御白山(みしろざん)の裏手にあたる」

「ちょうど対角あたりか? どうりで、ここは静かなわけだ」


 山を隔てたこの小屋に、戦の火の粉はふりかからない。

 つくづく、運が味方してくれていたと花衣霞は思った。



「……一方で福田領の被害は少ない。

 が、裏では武器製造の技術を高瀬に搾取されている」


 ここで花衣霞は呼吸を置いた。

 耳にかかる髪の毛が、するりと落ちる。



 ――福田領以上に多くの土地を、剣番所によって奪われているのが向井領だった。


「あの地は、ほとんど高瀬の管理下にあると考えていい。

 ……やはり、先導する者の不在は大きい」

「てことは、鵜匡さんはまだ……」

「未だ、高瀬に拘束されたままだ」


 紫雫久は、静かに拳を握った。

 自分のせいだというのに、何もできない。悔しさだけが胸に残る。


「……家は、どうなってる?」

「向井家は無事だ。それどころか……」


 花衣霞は一度言葉を切り、視線を落とす。

 思案する様子を、紫雫久は何も言わずに待った。


「向井柚珠葉(ゆずりは)は、高瀬と同じ方向を向いているかもしれない。

 ……あの家で、高瀬煌羅嘉(きらか)と共にいるのを、何度も見た」


 紫雫久はゆっくり瞬きを繰り返した後、静かに息を吐いた。


「……無事ならいいんだ。

 柚の隣に誰かがいるなら、それで」


「高瀬煌羅嘉と向井柚珠葉の思惑は、私にもわからない。

 だから、こんな言い方になってしまって……」


 花衣霞の眉間に、わずかに皺が寄る。

 どんな状況であれ、紫雫久の幼馴染を貶めるような言葉は選びたくなかった。


「気にすんなって」


 紫雫久の明るい声が、張り詰めていた空気を和らげる。


「誰も、正しいことなんてできてないんだからさ」


 そう言って目の前の団子をつまみ、一口齧る。


「……あ、中、白餡だった」


 そのまま残りを、花衣霞の口元へ押し付けた。



「ところで、黒木は? どうなってるんだ?」

「黒木は……最初から剣番所の設置に抵抗していた。その結果、各所で膨大な被害が出ている」

「まぁ……木氏の気質を考えりゃ、そうなるか」


 紫雫久はため息を吐き、胡座の上に頬杖をつく。


「それだけではない」


 花衣霞は、真剣な眼差しで続けた。


「黒木澄々(すず)が、投獄された」

「――え。何があった?」


 紫雫久の姿勢が跳ね起きた。

 花衣霞は、静かに首を横に振る。


「わからない。ただ、“刃浦への叛逆の意志あり”と」


「……なんでまたそんな」


 思わず瞳が揺れる。

 

 紫雫久の知る澄々は、飄々としながらも、状況を冷静に読む男だ。

 罪を公にされるような、まして捕らえられるような真似をするとは思えなかった。


「黒木の他の人間は?」

「皆、隠れているらしい。

 あの家が本気で隠れれば、見つけられる人間はそういない」


 紫雫久は中指の爪を擦る。

 思った以上に、高瀬の手は刃浦全体へと広がっている。


 絡まりきった糸を、力任せに引き千切ることはできない。

 一つずつ、順にほどいていくしかないのだ。


「……花衣霞。まずは福田へ行こう」


「黒木ではなく?」

「あぁ。瑪瑙羽(めのう)に、やってもらいたいことがある」




 《第十章:霞を纏う禍身》




「――ぁ、……悪魔ッ!」


 悲鳴と、器が割れる甲高い音が、静かな街を切り裂いた。


 田楽屋台の周囲は、まるで地震でも起きたかのように散乱している。

 “悪魔”と叫び、腰を抜かして怯える店主。その視線の先には、椀を受け取ろうと片手を上げたまま、動きを止めた紫雫久がいた。


 

 何気なく立ち寄った屋台だった。

 福田領へ発つ前に家の整理をすると言う花衣霞を待つ間、暇を持て余した紫雫久は山を降り、近くの街へ足を運んだのだ。

 二年ぶりに感じる街の活気と、漂う味噌の香りに誘われ、田楽を一杯注文した。


 軽い調子で言葉を交わし、椀を渡そうとした店主が顔を上げた、その瞬間――目が合った。

 

 次に浮かんだのは恐怖に引き攣った表情。

 そして、「悪魔」という言葉だった。



 騒ぎを聞きつけ、人々が集まってくる。

 ばたばたと、こちらに警戒を向け走り寄る気配を察し、紫雫久は人垣を押し分けて駆け出した。



「――逃すな!」


 一拍遅れて、鋭い声が飛ぶ。

 人を避け、慣れない街路を駆け抜ける背中に焦りが滲む。


(まずったな……まだ顔が割れてるのか)


 二年ぶりの運動に体力の衰えを感じながらも、紫雫久は必死に追手を振り切る策を巡らせていた。

 

 その時、不意に腕を引かれ、長屋と長屋の隙間へと引き摺り込まれる。


「――わっ!」


 背を壁に押し付けられ、誰かが覆いかぶさるようにして息を潜めた。


 横目に、走り抜ける剣士たちの姿が映る。

 次第に静寂が戻ると、ようやく安堵の息を吐いた。


 

「……助かったよ、花衣霞」

「うん。……君がじっとしていない人だということを、忘れかけていた」


「あの頃の俺が恋しい?」

「いや。あの日々も今も、どちらも比べものにはならない」


 そう言って、花衣霞はそっと体を離した。

 紫雫久の頬に残る土埃を、優しく指で拭う。


「……驚いたよ。俺の顔、こんなに割れてるんだな」

「高瀬が触書きを配っていた時期もあった。敏感な者なら気づくだろう」


「でも名前は出さないんだな。“悪魔!”って叫ばれちまった」


 頬を撫でる手が、ぴたりと止まる。


「やっぱ忌み名だから?

 真名を知られると魂を拘束される悪魔みたい――んぶ」


 よく回る口が、左右から頬を潰され、タコのように突き出された。

 犯人である花衣霞は、その顔の可笑しさに思わず笑みをこぼす。


「紫雫久は悪魔ではない。

 …………刃浦の“災禍”と呼ばれている」

「なにそれ、かっこ良!」


 紫雫久は目を輝かせた。

 彼は民衆に何と呼ばれようと気にしない。

 自分の行動に、恥じるところがないと知っているからだ。


 その高潔さを、花衣霞は心から愛おしいと思った。



「だが、この地でこの知名度では、旅は難しいかもしれない。

 やはり私が先に行き、福田瑪瑙羽を呼び寄せた方が――」


「ええ〜、それじゃ待ってる間つまんないだろ。

 要は、俺だってわからなきゃいいんだよな? だからさ……」


 紫雫久は花衣霞を手招きし、口元を耳に寄せる。



「…………本当に?」


 その案を聞き、花衣霞は眉を寄せた。


「これ以上ないと思うぞ?

 じゃ、俺はそこの影で待ってるから、急いで行ってきてくれよな!」


 笑みを浮かべる紫雫久に背中を押され、花衣霞は渋々、大通りへと足を向けた。





 送り出してから数刻。

 地面の土を棒切れでいじっていた紫雫久の元へ、息を切らして戻ってきた花衣霞は、風呂敷を一つ抱えていた。


「ありがとう、花衣霞」


 それを受け取った紫雫久は、迷いなく自身の袴紐をしゅるりと解く。


「待て、ここで?」


 思わず伸ばした手で、その動きを制する。

 少し焦った花衣霞の様子を見て、紫雫久は「まぁまぁまぁ」と宥めるように言い、その身をくるりと反転させて背を向けさせた。

 そして、また自身の着物へと手をかける。


 衣擦れの音が、背中越しに伝わる。

 花衣霞は周囲へ鋭く視線を走らせた。

 こんなところを誰かに見られでもしたら――即座に目を潰す、などと物騒なことを考えながら。


「花衣霞、もういいよ」


 その声に振り返った瞬間、言葉を失った。



「どう? これで俺だってわかんないだろ?」


 紫雫久の声でそう言う少女は、白地に淡く緋が滲む桜の小紋を身にまとい、得意げに笑っている。

 すべて、紫雫久に言われるまま花衣霞が買い集めたものだ。


「……よく似合ってる」


 “女の格好をする”と聞いた時から不安はあったが――これは、想像以上だ。

 刃浦の美女百選に描かれても、文句のつけようがない。

 しかし本人には、その自覚がまるで無いようだった。


「やっぱ髪も結った方がいいよな? 俺、普段は結わないし」

「それは私がやろう」

「本当? 助かる」


 花衣霞は紫雫久の肩にそっと手を置き、背中を向けさせる。

 耳の上、左右のはちから指を差し入れ、髪をすくって軽く梳いた。


 指が触れる感触がくすぐったく、紫雫久は思わず身を捩りそうになる。


「紫雫久」

「だって、慣れないものは仕方ないだろ……花衣霞、手慣れてるな」

「私は身支度は、すべて自分でしているから」


「え、じゃあ夜会の時も?」

「着る物は用意させたが、それ以外は」

「だったらさ、あの日と同じように結える? 俺、あれがいい」


 無邪気にせがむ声に、花衣霞は小さく微笑み、「わかった」と応じた。


 髪紐で素早くまとめ、毛束を捻って絡める。

 懐から簪を取り出し、控えめに色を添えた。


「……できたか?」

「うん」


 紫雫久はきょろきょろと周囲を見渡すが、鏡代わりになるものは見当たらない。

 それを少し残念がりながらも、視界が開けたことを楽しそうにしている。


「前も、なんかの時に邪魔だなって思ったんだよ。髪を結うのも悪くないかもな」


 そう言って振り返った、その瞬間――

 広い胸に、強く抱き止められた。


「どうした?」

「結わなくていい。変な虫がつくだけだから」


「なんだよ、変な虫って。

 でも顔が出てた方が、口付けもしやすいんじゃ――」


 茶化す声は、そのまま花衣霞の唇に塞がれた。


「……いつも、髪の毛は関係ないだろう」


 顎をすくい上げられれば、髪は自然と垂れ、顔は否応なく晒される。

 実践しなくても伝わるだろ、という言葉は――腹の虫の鳴き声に遮られた。


 そういえば。

 田楽を、食べ損ねていたのだった。







 この変装は実に有効だった。

 高瀬領を横切り、福田領へと向かえるほどに。


 なかなかの順風ぶりに紫雫久もすっかり気を良くし、町人との会話も弾む。

 そのたびに、花衣霞の腕がすっと持ち上がり、暖簾のように袖で顔を覆われたが。



「にしても、花衣霞。買い物が上手くなったな」


 買ってもらったばかりの帆立の串焼きを頬張りながら、紫雫久は言った。

 ひとつ多く入っているのは、花衣霞が店主を褒めたのがきっかけだった。


「紫雫久を探すために、必要だった」

「俺を?」

「少しでも見かけた者がいないか、聞いてまわっていた。そのためには、相手の心を開かねばならない」


 そこで一拍置き、花衣霞は続ける。


「その方法は、紫雫久が教えてくれた」


 言いながら、紫雫久の手に残っている帆立をひとつ口に運んだ。


「……そうなんだ。どれくらい、まわった?」

「刃浦中。くまなく」


 何気なく告げられたその言葉に、紫雫久の胸の奥が、むず痒く疼いた。

 同時に、鼻の奥がつんと痛む。


「おかげで、背丈が一寸伸びた」


「ふっ、いいな。そっちに栄養がいったのか。

 ……もしかして、黒木で洋菓子とか食べたりした?」

「いや。何か縁があったのか?」


 その返答に、紫雫久はほっと息をつく。


「大した話じゃないんだ。

 いつかさ、花衣霞を連れて行きたい洋菓子店があって……」


 一瞬、言葉を探し、


「まぁ、今も無事かどうかは、わかんないけど」


「大したことだ」


 花衣霞は即座に言った。


「事が落ち着いたら、必ずそこへ」

「……おう」


 紫雫久は、照れを隠すように、花衣霞の口元へ帆立の串を差し出す。

 それを拒むことなく頬張る花衣霞もまた、わずかに口元を緩めていた。






 高瀬領を抜け、福田領へと足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


 張りつめた緊張。

 高瀬領の民からは感じなかった、常に見張られている者特有の、息を潜めた気配。

 薄暗い圧が、街全体を覆っていた。


「……酷いな」

「これでも、まだ……良い方だ」


 街並みは、二年前と変わらない。

 人々も同じように日々を営んでいる。

 それでも、その笑顔の奥には、空元気の影が滲んでいた。


「あの日記と、同じだ」


 紫雫久の低い呟きに、花衣霞は静かに頷く。

 井上澪一の日記に記されていた、(かみ)の好んだ戦乱と不況――

 その前触れを思わせる空気だった。


「剣番所が多いからかな」


 紫雫久は中指の爪を擦りながら、思案する。


「私たちが試験を受けた翌年にも試験が行われたが、その年の突破者は百を超えている」

「伍剣の加護を受ける刀を増やし……本格的に力を溜めだした、か」


「うん。かつての(かみ)と、同じやり方だ。

 突破者が皆、高氏の人間だったことからも、思惑は明白だろう」


「まずいな……。

 このまま(かみ)に力が宿れば、いずれ民の命に関わる災厄になる」


 誰かの欲望のために、誰かが犠牲になる。

 罪なき民を救えないという無力感。


 井上澪一が抱いたであろう焦燥が、紫雫久の心臓を強く打つ。

 まるで、彼と同じ場所に立っているかのような感覚だった。



「……なぁ、花衣霞。

 もし、何もかもが間に合わなかったら――」


 言葉は、途中で途切れた。

 思いがけず零れそうになった弱音に、紫雫久自身が驚く。

 握り締めた右手は、微かに震えていた。


 花衣霞は、その手をそっと包み込む。


「案ずるな。

 何があっても、私が共に背負おう」



 低く、柔らかな声。

 その響きは、紫雫久の心の奥へ、静かに染み込んでいく。


 頬を伝った一筋の涙は、悲しみではなかった。

 それは、胸に灯る小さな炎の、熱の名残だった。


「あぁ……花衣霞がいてくれるなら、俺は何だってできる」

「私もだ」


 花衣霞は、紫雫久の頬に残る涙へ、そっと口づけた。

 それは、言葉よりも重い、誓いのようだった。



「……血と涙は、ほとんど同じものだと聞く。

 私にも、紫雫久に流れる血の一部を、分けてもらえたら良いのに」

「どうして?」


「井上澪一の日記の他に、残されていた冊子は読んだか?」


 紫雫久は、静かに首を振る。

 あの時は、焦りに追われ、そこまで目を通す余裕がなかった。



 花衣霞は、ひとつ深く息を吸い、紫雫久の目をまっすぐに見据える。


「紫雫久に流れるその血は――

 刃浦のために、君の一族が守り続けてきたものだ」



 その言葉は、夜気の中に落ち、

 まだ名も持たぬ運命の気配だけを、静かに残していた。

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