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ただ息をする君と・月

 ――囲まれている。


 薄い壁一枚を隔てた外側から、刀を構える気配と、剥き出しの殺気が伝わってくる。

 無数の視線が、この小さな家を射抜いていた。


 紫雫久(しずく)を抱き寄せ、部屋の中央で息を殺す。


 後をつけられていたのだ。

 一体、いつから――

 

 穏やかな日々に身を委ね、油断していた自分を心の底から憎んだ。


「……かいか」


 腕の中から、紫雫久が小さく呼ぶ。


「かいか、こわい?」

「大丈夫。私がなんとかする。紫雫久は、じっとしていて」


 できる限り柔らかく、微笑みを向ける。


「ううん。かいかは……関係ないから」

「……紫雫久?」


 視線は外を見ている。

 その顔が、やけに大人びて見えた。

 

 胸の奥で、心臓がはらはらと、頼りなく揺れる。


「ごめんな。花衣霞(かいか)に、重荷を背負わせちまった」

「――え……?」


 一拍遅れて、右肩に重い衝撃が走る。


 深く突き刺さる包丁。

 刺したのは――紫雫久だった。


「自分で、解決すればよかったな」


 紫雫久は微笑む。

 そして、ゆっくりと腕の中から離れた。


「だ、駄目だ……紫雫久。戻ってきて」


 肩を刺されただけだというのに、なぜか指ひとつ動かせない。


 行かせてはいけない。

 わかっているのに。


 彼が、何をしようとしているのか――わかっているのに。


「今まで、ありがとう。花衣霞」


 紫雫久が、入口の戸に手をかける。


 次の瞬間。


 放たれた一本の矢が、紫雫久の胸を貫いた。


 ゆっくりと崩れ落ちる身体。

 こちらを見つめる視線の中で、紫雫久は、確かにそう言った。


「……鏡 を、」




「――紫雫久!」


 はっと目が覚める。

 また、いつもの夢だった。


 汗を拭おうと持ち上げた右腕が、重い。


 視線を下げれば、右腕に絡みつくようにして眠る紫雫久がいた。


 


 いつからだろう。

 紫雫久のもとで、寝泊まりする夜が増えたのは。


 繰り返す日々の中で、少しずつ、境界が曖昧になっていく。


 これは――警告なのかもしれない。


 明日もこの穏やかな日々を

 そう願うことは、許されないのだろうか。

 




 最近の刃浦は、どこも落ち着かない。

 各領で争いが絶えず、どこも火消しに追われていた。


 佐藤領でも、地下牢にて暴動が起きたとの報告が上がった。

 幸い大事には至らなかったが、警戒を緩めるわけにはいかないだろう。


 中でも、目に余るのは高瀬領だ。


 事件の顛末を瓦版に載せては、折に触れて紫雫久の名を匂わせる。

 明言はしない。ただ、薄く、しかし執拗に。

 その曖昧な恐怖は民衆の心を曇らせ、やがて形を持ち始める。


 些細な不運が起これば、誰かが囁く。

 ――井上紫雫久のせいだ、と。


 こんなにもあどけない寝顔を晒す白玉に、いったい何ができるというのか。


 花衣霞は、隣で眠る“刃浦の災禍”の頬を、そっと撫でた。



 この家を出れば。

 記憶と正気を取り戻せば。


 この刃浦の現実を目にした紫雫久は、何を思うのだろう。


 自分が“災禍”として語られていることを、

 案外、すんなりと受け入れてしまうかもしれない。


 だが――できれば、そんなことは知られたくない。

 彼に、そんな現実を受け入れさせたくない。


(……これは、私の独りよがりだ。

 決して、紫雫久のためではない)


 彼のためを思うなら、

 一日でも早く、解呪を進めるべきなのだろう。


 それでも。


 安らかな寝息を耳にすると、固めた意志はほどけ、霧散していく。

 まるで、この布団の中にしか、幸せは存在しないかのような――

 そんな錯覚に、囚われてしまう。




 紫雫久との日々は、生ぬるい微睡だった。


 朝とも昼ともつかない時間に食事を摂り、

 陽の下で、あてもなく散歩をする。


 繋がれた右手は、今日は少しだけ力がある。

 それだけで今日の調子がわかった。

 

 紫雫久は左手に拾った枝を持ち、ゆらゆらと揺らしている。


 そよ風に乗って、一枚の木の葉が舞う。


 ――ヒュン


 空を裂く乾いた音。

 紫雫久の振るった枝が、正確に葉を捉えた。

 打たれ、ひしゃげた葉は、抵抗するように回転しながら地に落ちる。


「……上手」

「んー? うーん…………」


 紫雫久は、喜びとも戸惑いともつかない表情を浮かべ、

 枝をぽいと放り投げた。


 その仕草に、花衣霞は胸の奥がゆるむのを感じた。

 同時に、自身への嫌悪も募る。


 夢の中でも、いつもそうだった。

 紫雫久が命を落とす瞬間よりも、

 ――正気を取り戻してしまう瞬間にこそ、強く心が揺れた。


(このままでは、私は…………)




「かいかは、もっと綺麗だよね」

「……綺麗、とは?」


 思考に沈んでいて、返事が一拍遅れる。


 紫雫久は、花衣霞の手を両手で包み込むように握っていた。


「かいかは、ひとつひとつが鋭くて、きれい。

 舞をおどってるみたいで……すき」


 はにかむように言って、紫雫久は花衣霞の腕に顔を埋めた。


「どこで、それを……、見たのか?」

「うーん……? みた、気がする。ゆめ?」


 紫雫久は、不思議そうに首を傾げる。


「すきだよ。

 おれ、刀をふるかいかを見て、だいすきっておもった。

 ……となりで、一緒にできたらいいのにって。おもってた」


「紫雫久…………」


 肩に顔を押しつけられ、その表情は見えない。

 けれど、覗く耳は淡く桜色に染まっていた。


 花衣霞は、目の前のつむじにそっと頬を寄せる。


「紫雫久。もし、君が望むなら――」


 言葉を紡ごうとした、その瞬間。


 懐で、紡響(つむぎきょう)が微かに震えた。


 取り出して確かめる。

 だが、いつもと同じだ。鏡面には何の変化もない。


 気のせいかと戻そうとした手を、紫雫久が止めた。


「かいか、それ……」

「……これが、何かわかる?」


 紫雫久は、小さく首を横に振る。


「……よんでる。もうひとつ」


 中紅花(なかのくれない)の瞳が、真っ直ぐに花衣霞を射抜く。


「探して、花衣霞。

 ……鏡を、探して」




 《第九章:ただ息をする君と・月》




 紫雫久が、はっきりと意思を示したのは初めてだった。


 夢の中と同じ言葉――

「鏡を探せ」 と。



 紫雫久自身は、片割れの鏡を持っていない。

 鏡についても、覚えはないと言う。


 元来、紡響の反応は向井領にあった。

 ここは佐藤領。

 その“ずれ”に、花衣霞は目を逸らし続けてきた。


 だが――

 紡響が紫雫久の居場所を示すものではないのなら、

 彼が隠した何かが、そこにあるのかもしれない。


 花衣霞は、半ば押し出されるようこの地を離れた。


 何かあれば御白山(みしろざん)へ行くよう言い聞かせて。

 人に会わせたくはないが、あの山の結界なら、多少は時間を稼げるはずだ。



 


 黒木領を渡る頃には、陽はすっかり落ちていた。


 昼には商いと興行で賑わう街も、

 今は息を殺したように沈黙している。


 その静寂の中を、花衣霞は一人歩いていた。


(……追手は二人。

 殺気は薄いが――)


 闇に溶ける視線が、ふたつ。

 花衣霞は歩調を変えず、警戒だけを強め、大通りへ出るため脇へ逸れた。


 月の影が落ちた、一瞬の小道。


 冷たい刃が、首元に触れた。


 背後から喉元へ突きつけられる小刀。

 拘束はされていない。

 だが、一歩でも動けば、急所を確実に断ち切る――

 その確信めいた殺気が、全身を凍りつかせた。


(追手とは違う背格好……

 このための、囮だったか)


 喉仏が、わずかに上下する。


 ――ただ、自分を狙ったのなら、それでいいが。



「……佐藤、花衣霞か?」


 背後の男の声は、ざらりとした加須底羅(かすてら)のような響きを帯びていた。


「……要件は何だ」

「お前に渡せと命じられた物がある。……だが、俺はお前を信用していない」


 小刀を握る白魚の指が、ぎり、と音を立てて握り込まれる。


「それは……私も同じだ」


 次の瞬間――

 花衣霞の拳が、小刀を握る手首へと叩き込まれた。


 骨を打つ感触。

 衝撃に指が弾け、小刀が宙を舞う。その隙に刀を抜く――が。


 ひゅ、と乾いた音。

 無数の針のようなものが闇から放たれ、刃を向ける間も与えない。


 影の濃い小道では、相手の顔は判然としない。

 だが、こんな場所で足止めされるわけにはいかなかった。


 気配を読む。

 揺らぐ影を切り裂くように踏み込み、刃を走らせる。


 速い――だが。


(……右脚を庇っている)


 踏み込みを変え、足元へと振り抜く。

 男は片手で地を打ち、宙返りでかわすが、切先がわずかに掠めた。


 勢いのまま、刀が隣の柱へと深く突き立つ。

 木が軋む音が、小道に響いた。


(……狭いな)


 この道幅では、長物は不利。


 男が構え直すのを見て、花衣霞は即座に判断した。


 柱から刀を引き抜き、そのまま宙へ投げる。

 拳を構え、間合いを潰す。


 飛び交う針を身を捻ってかわし、懐へ踏み込む。

 顎を砕く軌道で、拳を振り上げ――


 そこで、右手が止まった。


「お前の間違いは、刀を捨てたことだ」


 冷えた目で、男が言う。


 針の軌道を辿る糸。

 壁と壁の間を駆け巡り、蜘蛛の巣のように花衣霞の動きを封じる。


 わずかに動いただけで、肉が裂ける痛みが走った。


「……お前の間違いは」


 花衣霞は、静かに息を吸う。


「今の私に、挑んだことだ」

「――な、」


 踏み出す。

 力任せに。


 糸が肉に食い込み、赤い線を刻むのも構わず。


 ぶちぶち、と嫌な音を立てて、

 壁面に釘のように打ち込まれていた針が次々と抜ける。


 右手が自由になった、その瞬間。


 月光を反射して、刀が落ちてきた。


 掴む。

 そして、残りの糸を断ち切り、間髪入れずに男へ飛びかかる。


 左手で首を捉え、地面へ叩き伏せる。

 刀は首の真横へと突き立ち、花衣霞は馬乗りになった。


 そこで、ようやく男の顔が見えた。


 藍褐色(あいかちいろ)の長い髪が地に散り、

 杏色(あんずいろ)の瞳は細められ、小さく咳き込む。


「黒木が、なぜこのようなことをする」


 喉を掴んだまま、花衣霞は問う。


「……ふっ。澄々(すず)の言う通りだな」


 男の瞳が、ゆっくりと瞬く。


「お前は冷静で、隙がなくて、実に真面目だ」


 そして、薄く口角を上げる。


「さすが藤氏。朱幻(しゅげん)で先を読んだか?

 ここを切った時だろ?」


 言うや否や

 男の右脚が跳ね上がり、花衣霞の鳩尾を打ち抜いた。


 息が詰まり、体が浮く。

 よろけた拍子に、拘束が解けた。


「許せ。この姿をあいつに報告されたら、俺が困るんだ」


 男は影の中へ視線を投げ、低く呟く。


「…………もう、したのか」


 影の中と会話するように言い、大きくため息をついた。


 気配は無い。

 だが――この近くに、まだ何人かいるようだ。



 花衣霞の警戒をよそに、男は着物についた土を払いながら立ち上がった。

 先ほどまで向けられていた殺気は、もう感じられない。


「お前は俺のことを“黒木”と言ったが……なぜそう思った?」


「……この針と似たものを、黒木澄々の戦闘で見たことがある」


「なるほどな」


 男は小さく笑う。


「確かに。あの子にそれを教えたのは俺だ」



「だが、厳密に言えば俺は黒木であって、黒木じゃない。

 俺は柳木宏花(やなぎひろか)だ。……覚えなくてもいい」


 そう名乗ると、宏花は懐から小さな木箱を取り出した。


「これは黒木の頼みじゃない。澄々の独断だ」


 花衣霞へ、箱を差し出す。


「これを……お前に持っていてほしい」


 受け取ると、箱は軽く、内部で金属が触れ合うような音がした。


「中身は言えない。だが、澄々に何かあった時――これを使ってほしい」

「……なぜ、私に」


「本当は別のやつに渡したかったらしいが、そいつは今、消息不明だ。

 だから次点として、お前に託す」


「黒木澄々に、何かあったのか」


「まだだ」


 だが、と宏花は続ける。


「確実に起こる。……最近は、黒木の中ですら危うい」


 月を見上げるその横顔は、どこか寂しげだった。

 


「……悪かったな。澄々の頼みとはいえ、大事な物を託すんだ。

 お前の力を、少し試させてもらった」


 煙管に火を入れ、紫煙を吐く。


「詫びに――お前の探し物を、見つけてやろう」


 月明かりに照らされた笑みは、煙と溶け合い、ひどく現実味が薄い。


「俺が信じられないって顔だな。至極もっともだ」


 宏花は一歩近づき、声を潜める。


「だが、ここは聞いておいた方がいい……」


 ふう、と吐かれた煙が、花衣霞の耳元をかすめる。


「……俺は、お前があの“小屋”に何を匿っているかを知っている。

 誰にも――澄々にも、言っていない」


 背筋に、冷たいものが走る。


「だから」


 宏花は、愉しげに言った。


「犬と猫と鼠と鴉。……どれがいい?」


 その笑みには、それ以外を許さぬ圧があった。

 花衣霞は本能的に悟る。――この男を敵に回すべきではない。


「…………猫を」


 答えると同時に、宏花は鈴を鳴らした。


 音もなく、黒猫が現れる。


「手がかりをこいつに食わせろ」

「……食う?」


「こいつは化け猫だ」


 足元にすり寄る猫は、見た目こそ普通だが――

 その体から伸びるはずの影が、どこにもなかった。


「お前の探し物が、幸運を呼ぶといいな」


 その声を最後に、宏花の姿は闇に溶けるように消えていた。




 花衣霞はしゃがみ、猫の顎を撫でる。


 少し迷って、紡響を差し出す。

 猫の身体は大きな靄となり、鏡を包み込んだ。


 次の瞬間、再び猫の姿へ戻り――


 ととっと歩き出し、進むべき方向を示すように振り返り、にゃぁと鳴いた。

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