表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

《番外》泡影

 闇夜に紛れる鴉は、月光を避けきれず地に影を落とす。


 高瀬の街は月が近い。

 そう思いながら、腕に止まった連絡係の嘴を労わるように撫でた。


 諜報において、遠方との連絡手段は命に等しい。

 この鴉は幾度もの死地を越え、厳しい訓練を生き抜いた個体だ。


 それを――この男、黒木澄々は


「……ふっ、またやってる」


 “私用”で、日に何度も往復させている。




 届いた文は短い。


『弟弟子ガ為、作リシ夕食。

 鍋、焦ガシ壊ルル』


 黒木家の一角で起きた、他愛もない夕餉の一幕。


 何もできないくせに、気づかぬまま兄貴面をする。

 その癖が放っておけなくて、だから可愛い。


(帰りに鍋を買って、火傷してないか見てやらないとな)


 こんな面倒な試験は、さっさと終わらせたい。

 そう思いながら、澄々は鴉を夜へ放った。




 《番外:泡影》




 ひと足先に試験を終えた澄々は、その足で一飛びに帰路へついていた。


(高瀬の罠だとは思ってたけど……まさか五参家を通すとはね)


 人質を取ったつもりなのだろうか。

 そんな浅はかさに、思わず鼻で笑う。


 片手には件の鍋。

 弄ぶたび、陽の光を反射して鈍く光る。


 その縁に、等間隔で人影が映り込む。


(あー……そりゃそうだ。今が一番、後をつけやすい)


 澄々は気にも留めず、神社へ続く石段へと足を向けた。



 林を割るように建てられた社は、登るほどに闇を深くする。

 追手は距離を保ちつつ、その背を追った。


 一本道のはずなのに輪郭が揺らぐ。

 視界が、定まらない。


 焦りが、足音に滲む。


 ――その瞬間。


 びゅう、と強い風が吹き抜けた。


 木々が軋み視界を遮る。

 次の瞬間、そこにあるはずの背中は、消えていた。




 慌てて階段を駆け上がる。


 辿り着いた先は、開けた境内。

 人の気配はどこにもない。


 砂利を踏む音すら気にせず、辺りを見回す。


 一歩、二歩。


 三歩目で――


 とん、と背に何かが触れた。




「……つっかまーえた」




 次の瞬間、視界が反転する。


 背中を打ちつける衝撃。息が詰まる。


 反射的に蹴り上げるが、鍋に阻まれた。

 掴みかかろうとしても、力が抜ける。


 雲を掴むような感触のまま、地面へ叩き伏せられる。


 顎を打ち、視界が白んだ。


 気づいた時には、腕を縛られ、芋虫のように転がされていた。




「参拝客にでも助けてもらえ」

「……いっそ殺せ。そっちの方が楽だろ」

「あんた高瀬だろ。なるべく事を荒立てたくないんだ」


 澄々は肩をすくめ、鳥居へ向かって歩き出す。




「おい。お前の“猫”は元気か?」




 その一言で、足が止まった。




「そうだった、そうだった」


 再び距離を詰める気配に、追手は薄く笑う。


「お前のせいで鍋が歪んじまったんだ。だから……落とし前、な?」

「――え」


 ぼきり、と乾いた音が鳴った。


 肺の奥で、木が折れるような感覚。

 呼吸が、できない。




「死にゃあしないさ」




 澄々はそう言って、歪んだ鍋を拾い上げた。


 そして、来た道を何事もなかったかのように戻っていく。




 その瞬間だけ走った澄々の殺気に、

 追手は、仲間へ合図を送ることすらできなかった。






 黒木の屋敷には、いくつもの出入り口がある。

 そのひとつをくぐると、廊下の奥から――とん……と、とん……と、不規則な足音が聞こえてきた。


 それを耳にした瞬間、澄々の目尻が溶けだす。


「ただいま、宏花(ひろか)


 わずかに右脚を引きずりながら姿を現したのは、兄弟子の柳木宏花(やなぎひろか)

 数年前に柳木家が解体されてからは、黒木の屋敷で世話になっている。


「おかえり。……なんだ、その手は」


 抱きつこうと広げた腕を、宏花は容赦なく叩き落とした。


 その音を合図にしたように、家士たちがわらわらと集まってくる。

 ここは母屋から最も離れた一角で、仕える者たちものんびりした気質の者ばかりだ。


 荷物や鍋、羽織を手際よく預けながらも、澄々は懲りずに再び宏花へ手を伸ばす。

 不自由な足では逃げ切れず、結局は抱きつかれたまま、家士たちと応対する羽目になった。


「……その鍋は何だ」

「ん゙ー、阿呆のせいで駄目になった」


「そうなの?」

「いえ、少し凹んだだけで使えますよ。良い鍋です」


 そう言ったのは、鍋を受け取った幼い弟弟子だった。

 慌てて口を塞ごうとする大人たちの動きが、少し遅い。


「料理する気か?」


 澄々は、宏花の首元に顔を埋めたまま首を振る。

 髪がくすぐったくて軽く頭を叩いたが、抱きつく力はむしろ強まった。


「この前、ひとつ焦がしたばっかりですから、ちょうどいいでしょう」


 それを聞いた宏花は、じっとりとした目で澄々を睨む。


「……また無駄遣いしたな」

「いつものことだろ。いい加減、慣れてくれよ」

「そういう問題じゃない。だいたい、鍋を…焦がし…たことなど、知ってどうする」


「知りたいんだよ。宏花のことは、全部」


 肩に頬を預けたまま、見上げるように言う。

 この美丈夫に、こんな言い方をされて平然としていられる人間は少ない。


 ――宏花を除いて。


「かわいこぶるな」


「――いたっ!」


 額を小突かれた澄々はむっとして、さらに強く抱きついた。

 宏花はその様子に、熊ほどに育った犬に懐かれたら、きっとこんな気分なのだろうと思う。


 重くて、鬱陶しい。



「さっさと風呂にでも入って来い」

「んー、もうちょっと……」

「そう言って、いつも夜更かしするだろ。鈴鳴り様が来るぞ」

「いくつだと思ってるの」

「三つの赤子かと思っていたが、違うのか。

 ……今のうち、風呂の用意をしてきなさい」


 その言葉に、家士たちは合図を受けたように散っていく。


「三つなわけあるか」


 澄々はそう呟いて、宏花の藍褐(あいかち)の髪をかき分けた。

 そのまま、そっと唇を寄せる。


「……っ」


 雪のような肌に、淡い花弁が舞う。

 離れて正面から見れば、不機嫌そうな顔のまま、頬だけが桜色だった。


 それが可笑しくて、もう一度、啄むように口づける。


 重なる息の合間、ふと澄々は思い出したように呟いた。


「……そうだ。火傷してない?って確認するんだった」

「風呂で見ればいいだろ」


 何でもないことのように小首を傾げる宏花に、澄々は目を細める。


「……宏花って、たまに色狂いみたいなこと言うよな」

「嫌いじゃないだろ」


 伸びてきた腕が、澄々の首に回る。


「――もちろん、大好き」


 そのまま抱き上げると、宏花は驚くでもなく腕を回した。

 七日ぶりの重みが、やけに愛おしい。


 夜はまだ長い。

 どうか、朝が来るまで――何にも邪魔されませんように。


 そう願いながら、澄々はもう一度、そっと口づけた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ