封印監査官リリィ・アーデン ―魔力模倣の罪と黎明―
王都アルテナの中心、魔導庁第七監査課。
その名を聞いても、ほとんどの市民は首を傾げるだろう。
魔導戦士団でもなければ、研究局のように新魔法を開発するわけでもない。
私たちの仕事は、魔法の帳簿を監査すること。
地味で、退屈で、だが絶対に必要な裏方の職務だ。
私はその課に勤める監査官――リリィ・アーデン。
入庁三年目。魔力量E級、理論知識A級。
つまり「魔法は下手だが、理屈は分かる女」である。
朝の執務室には、書類の匂いとインクの音が満ちている。
相棒のカイル・ブランは、いつも通り椅子にふんぞり返り、書類の山に囲まれていた。
「おはようございます、カイル先輩。昨夜提出した監査報告書、再審査になりましたよ」
「え、なんで? 俺、ちゃんと見たよ? ざっとだけど」
「ざっと、という言葉に罪の匂いがします。虚偽契約三件、監査印の誤転写二件。ついでに、あなたの署名が上下逆さまです」
「……ま、まぁ、人間誰だってミスはするし?」
「ミスではなく怠慢です。次、やらかしたら庁規第六十四条、減給処分ですよ」
「ひぃ……」
この人、魔力量は私の十倍以上あるのに、仕事の精度は三分の一。
でも、いざ現場に出ると信じられないほどの集中力を発揮する。
たぶん、それが“天才”というやつなのだろう。
そして、私が一生届かない種類の存在でもある。
そんな彼の机に、ひとつの封筒が落ちた。
金色の封蝋には王国紋章と「緊急査察」の文字。
「……まさか」
私は無意識に背筋を伸ばした。
庁内でも滅多に発行されない、魔導暴走案件の監査命令だ。
「辺境リューン村。封印陣暴走の疑い。監査官リリィ・アーデンを現地派遣、同行補助:カイル・ブラン」
「はい、おめでとう。君、初の単独現場出張だ。がんばってこい」
「同行って書いてありますけど?」
「いや、その……俺、ちょっと今忙しくて――」
「あなたの署名が、昨日の虚偽契約書に残ってますよね?」
「……了解。行きます」
こうして私たちは、いつも通り脅し半分のやりとりを経て、
王都の門を後にした。
◇◇◇
馬車での道中、私は分厚い報告書をめくり続けていた。
“魔法暴走”と聞くと、一般には「暴れ狂う魔力の嵐」を想像するだろう。
だが実際は、もっと静かで、もっと厄介だ。
魔力が“制御不能”になるわけではなく、意図的に別の術式へ変換される――
それがこの十年、監査庁を悩ませてきた“構文汚染”型の不正魔法だ。
報告書の最後に、ひときわ気になる一文があった。
《現場から、旧監査局の印章が押された魔導書片を発見》
「旧監査局……?」
私は眉をひそめた。
三十年前に廃止されたはずの組織。
そこに在籍していたのは、魔法理論と倫理を両立できなかった人々――
“神を欺く魔法”を研究していたと、今でも噂される部署だった。
「なあ、そんなに睨むなよ。紙が破ける」
カイルがうんざりしたように言う。
外では鳥の声。彼は窓にもたれて、寝そうになっている。
「先輩は、どう思います? 旧監査局の印章が現場にあったってこと」
「……昔、聞いたことがある。“魔法を盗む魔法”。
他人の魔力を奪って、自分の器に上書きする術式が存在したらしい」
「そんな非合法魔法、構築式を見ただけで死にますよ」
「だから、噂だよ。だが――」
カイルは、窓の外に目を向けた。
「もしそれが本当に存在するなら、暴走ってより、吸収に近い現象が起きるはずだ」
私はその言葉を聞いて、報告書を閉じた。
魔力の“暴走”ではなく、“吸収”。
それは、現場の報告にもあった異常――魔力濃度の極端な減少と一致する。
つまり、この事件はただの事故ではない。
――何者かが意図的に、魔力を奪ったのだ。
◇◇◇
リューン村に着いたのは翌朝。
山と霧に囲まれたその村は、まるで世界から切り離されたように静かだった。
土の匂いが濃く、空気の流れがどこか淀んでいる。
村人たちは皆、怯えた顔で私たちを見ていた。
中でもひとり、杖をついた老人がこちらへ歩み寄る。
灰色のローブに古びた眼鏡。だが背筋は真っすぐだった。
「あなたが、監査官殿か」
「はい。リリィ・アーデンと申します。こちらは補助のカイル・ブラン氏です」
「ブラン……まさか、あの魔導一族の?」
「その話は墓まで封印してください」
軽口を交わすカイルをよそに、私は老人を観察した。
目の奥に、光――いや、“知性の刃”がある。
ただの村の長老には見えなかった。
「わしはオルド。この村の封印陣を守っとる。
百年前に封印された“瘴気獣”を鎮めるための結界じゃ。
だが三日前、陣が暴走し、空へ魔力が吸い上げられた」
「封印は今も健在なのですね?」
「ああ。しかし魔力供給が失われた。いずれ封印は解ける。
――わしには、誰かが意図的に封印を破ったように思えてならん」
老人の声には、怯えよりも確信があった。
そして、その確信が私の中で“違和感”として残る。
彼はまるで、犯人を知っている者のように話していた。
「詳しい調査を行いたいと思います。封印陣の場所を案内していただけますか?」
「よかろう。……ただ、気をつけるんじゃ。
あの陣には、今も“何か”が潜んでおる」
◇◇◇
封印広場は村の中央にあった。
地面に刻まれた魔法陣は、焦げついたように黒く変色し、
中心には巨大な裂け目――まるで地面が“吸い上げられた”ような痕。
「これは……」
私は跪き、魔導水晶をかざす。
淡い青光がわずかに反応し、そしてすぐに消えた。
「魔力残滓、ほとんどゼロ。暴走ならもっと残ってるはず」
「まるで、誰かが意図的に痕跡を消したみたいだな」
カイルの言葉に、私は頷いた。
報告書にあった“魔法吸収”説が、現実味を帯びる。
この時、まだ私は知らなかった。
この事件が――かつて魔導庁を揺るがせた“倫理監査崩壊事件”と
同じ構造を持っていることを。
封印広場の空気は重かった。
瘴気が立ちこめているわけでもないのに、肌の下に薄いざらつきが走る。
魔力の流れが歪んでいる――そう感じる瞬間だ。
「先輩、これを見てください。陣の線の彫りが不均一です」
「おお……確かに。南東側だけ妙に浅い。描き直した跡もあるな」
私は指先で触れ、石粉を少しすくい上げた。
粉は淡く光り、すぐにその輝きを失った。
その消え方が、何よりの証拠になる。
「……通常の封印なら、こんなに光が短命ではありません。
誰かが、再刻しています。しかも、短時間で」
「再刻ってことは、封印を“修理”したのか、“改造”したのか……」
「後者でしょうね。線の深度が、意図的にずらされています。
流路をずらすことで、陣のエネルギー配分を変えられる。
いわば、魔力の“回路操作”です」
「ふむ……まるで電気泥棒だな」
「電気ってなんです?」
「あ、いや。比喩だ。俺の家の爺さんがよく言ってたんだ」
カイルの何気ない一言が、奇妙に引っかかった。
――“爺さん”。
この人の祖父といえば、王都でも伝説の魔導師ブラン・ハルヴァ。
旧監査局最後の局長を務め、倫理違反で失脚した人物だ。
だが、私はその話題に踏み込まない。
彼の瞳に、わずかに影が射したから。
◇◇◇
現場をひと通り調べ終え、私は村の記録庫に向かった。
薄暗い蔵の中には、羊皮紙がぎっしり詰まっている。
紙の匂いが、過去の呼吸のように濃い。
「三十年前……ここに“監査官”が派遣された記録がありますね」
私は古文書の束から、一枚の帳票を引き抜いた。
署名欄には見覚えのある印章――
王国監査局の、旧式の刻印。
「やはり……この村は、昔から監査対象だったんだ」
「暴走が、二度目ってことか?」
「そうです。そして前回も、封印が不安定化した形跡がある。
ただし、報告書では“自然劣化による事故”と結論付けられてます」
「つまり、前回の監査官は“見逃した”」
「か、“口を封じられた”。」
カイルが息を飲んだ。
静かな蔵の中に、風が通る音が響いた。
「……なあ、リリィ。
お前、なんでそんなに“旧監査局”のこと、詳しいんだ?」
「私の師匠が、その出身なんです。
彼は言っていました――『魔法の倫理とは、正しさの中にある恐れだ』と」
「恐れ、ね」
「はい。魔法は力。力には責任が伴う。
けれど、一線を越えると、責任の形が分からなくなるんです。
だから私は、怖い。……自分が“正しい側”だと信じている人間が」
その言葉に、カイルは少しだけ視線を逸らした。
「……お前、真面目だな。俺とは違う」
「ええ、そこが長所で短所です」
軽く笑って、私は古文書を懐にしまった。
だが心の奥では、ひとつの仮説が芽生え始めていた。
――この村の封印陣は、“再利用”されている。
封印のためでなく、魔力吸収のために。
◇◇◇
翌日、私たちはオルド老を再訪した。
封印広場の端で、彼はひとり杖をつき、陣の表面を掃いていた。
その動きが、まるで儀式のように緻密だった。
「ご苦労さまです、監査官殿。調査は進んでおるかね?」
「ええ。いくつか気になる点がありまして。
封印陣は三度、構造的な修復を受けていますね?」
「……ようご存じで。そうじゃ、十年ごとに儀礼的な補修を行っておる」
「儀礼的、ですか?」
「封印は生き物のようなもの。
長く放っておくと、陣の呼吸が乱れる。
それを整えるために、調律を行うのじゃ」
「その調律、最後に手を入れたのは?」
「わしじゃ。六年前の春。
今はもう手も震えて、細工などできんがのう」
老人は静かに笑った。
その笑みには、どこか“試すような”気配があった。
「そうですか……。
ところで、この封印には吸引陣が内蔵されていますね」
「……!」
カイルが小声で「おい」とつぶやく。
老人の目が、一瞬、鋭く光った。
「何を根拠に、そんなことを?」
「封印陣の流路。
南東部だけ、符号の順序が左右反転していました。
封印式で左右反転はありえません。
それは“吸収式”に用いられる書式です」
オルドは沈黙した。
その沈黙が、答えを語っていた。
「あなたは封印を維持するために、村人の魔力を少量ずつ吸い上げる補助陣を仕掛けた。
それが長年続き、ついに陣全体が飽和した――。
暴走の原因は、供給過剰だったんです」
「……ほう。なるほどのう。よくぞそこまで辿り着いた」
「しかし理解できません。
どうしてそんなことを? 誰のために?」
老人はゆっくりと空を見上げた。
山の向こう、雲の裂け目から淡い光が差している。
「封印を保つには、力が要る。
だが村には、もう魔力の強い者はおらん。
ゆえに、わしは全員から少しずつ分けてもろうた。
誰も死なんように、均等に、な」
「……その理屈は、倫理を逸脱しています。
無断で魔力を奪うなど――」
「奪う? 違う。捧げてもらったんじゃ。
わしは彼らを守るために、この手を汚した。
それが罪だというなら、監査官殿。――おぬしらの仕事は何じゃ?」
突き刺すような問いだった。
彼の声は怒りではなく、静かな哀しみに満ちていた。
「我ら監査官は、“秩序を守る”存在です」
「ならば問う。“秩序”とは何じゃ? 人の命より尊いのか?」
私は言葉を失った。
老の瞳には、恐怖も後悔もない。ただ、長く続いた孤独だけがあった。
その静かな瞳が、逆に私の心をえぐる。
◇◇◇
夜。
宿屋の小さな部屋で、私は報告書をまとめながら考えていた。
封印の暴走は、確かに吸引陣の過剰反応によるもの。
だが、その根底に“倫理の歪み”がある。
「……ねぇ、カイル先輩」
「ん?」
「あなたなら、どうします?
人を救うために、少しずつ命を削るような魔法を使うとしたら」
「俺? ……使うかもな」
「……そう、ですか」
「けど、“罪”は認める。
正しい理由があっても、やっちゃいけないことはある。
それを理解したうえで使うなら、まだ人間だと思う」
カイルの横顔は、どこか遠くを見ていた。
その眼差しに、一瞬だけ“彼自身の過去”がよぎった気がした。
旧監査局――ブラン一族の闇。
彼が抱えているものは、私の想像よりもずっと深いのかもしれない。
封印の村には、まだ何かが隠されている。
私はそう確信していた。
そして、翌朝の調査でその予感は的中する。
――魔法陣の中心、焦げ跡の下から古い符号石板が見つかったのだ。
そこには、見覚えのある印章。
《監査官リリィ・アーデン》――私の名前が刻まれていた。
翌朝。
私は薄明の光の下、再び封印広場に立っていた。
地面に埋まっていた石板は、昨夜のうちに掘り出してある。
焦げた土の中から現れたそれは、灰黒色の表面にびっしりと刻まれた符号を持っていた。
問題は、その符号の並びだった。
――“私の名前”が刻まれている。
まるで未来の私が、この陣を完成させたかのように。
「どういうことだ……? これは、君の筆跡じゃないのか?」
隣で覗き込むカイルの声が低く響いた。
確かに、刻印は私が庁で使う“監査署名式”と一致している。
だが、そんなものを私は刻んだ覚えがない。
「筆跡は似ていますが、筆圧と符号間隔が違います。
……誰かが“私を模倣した”可能性がありますね」
「模倣?」
「監査署名式は、魔力の波形で識別する仕組みです。
似た魔力パターンを持つ者がいれば、偽造できなくはない」
「そんなことできるのか? 魔力波形は生体固有の指紋みたいなもんだろ」
「ええ。理論上は不可能です。――普通の人間には」
私は手帳をめくりながら、ひとつの名前を書きつけた。
旧監査局局長・ブラン・ハルヴァ。
カイルの祖父であり、かつて魔力模倣実験を行っていたとされる人物だ。
カイルはそれを見て、小さく息を呑んだ。
「……やめろ。それは、ただの噂だ」
「ええ、そう願いたいですね」
私は彼の視線から目を逸らさず、石板に手をかざした。
魔導水晶を介して符号構造を解析する。
青い光が走り、やがて複雑な魔法構文が立体的に浮かび上がる。
「見てください。封印陣の符号構造。
本来は三重螺旋の構造を取るべきなのに、この陣は“二重構造”です。
欠けている第三層が、“監査署名式”によって置換されている」
「つまり、誰かが署名式を利用して、封印の根幹を書き換えた……?」
「そう。封印式の“所有権”を監査官に上書きしたんです。
理論上、監査官以外はこの封印を解除できない。
――つまり、“監査官の名を借りた者”が、暴走を起こした」
「……なぁ、リリィ。まさか、これって」
「ええ。内部犯行です。
魔導庁の内部、もしくはかつて監査官だった者の手による改竄」
私の言葉に、空気が重く沈む。
風が止み、遠くの鐘の音さえ吸い込まれていくようだった。
◇◇◇
昼過ぎ、私は村の記録庫に戻り、再び古文書を開いた。
そこには“封印改修計画”の議事録が残されていた。
一枚の羊皮紙に、見慣れない署名がある。
《補助監査官 L・A》
そして、その下に小さく追記された文字――
《監督者:O・H》
私は息を呑んだ。
L・Aは私と同じイニシャル。
そしてO・H――オルド・ハルヴァ。
つまり、オルド老の名だ。
血の気が引いた。
オルドは“ブラン・ハルヴァ”の弟。
彼は旧監査局最後の生存者のひとり。
そして彼の甥こそ、カイル・ブラン。
「……やっぱり、繋がってるんですね」
私は書類を握りしめ、蔵を出た。
陽は傾き、村の空気が赤く染まっている。
封印広場の方から、低い唸りのような音が響いていた。
◇◇◇
広場に着くと、オルド老が陣の前に立っていた。
彼の背後で、封印の線が淡く光を帯びている。
「オルドさん! 何をしているんです!」
「調律じゃよ、監査官殿。封印の呼吸を整えとるだけじゃ」
「それはもう“暴走”に近いです。
魔力がこの村全体から流れ込んでいる!」
「わしには分かる。これは必要な犠牲じゃ」
杖の先から、淡い光が陣へ注ぎ込まれていく。
その光が村中の家々へ細く伸び、屋根の上でゆらめいた。
まるで村そのものが封印の一部に取り込まれていくようだった。
「止めてください! その調律は、魔力のバランスを崩します!」
「ならば言え、監査官殿。
わしが止めたら、この村を誰が守る?」
彼の声は揺れていた。
信念の奥に、限界のような震えがあった。
「あなたがこの陣を改造したのは、六年前。
その時点で封印の魔力総量は臨界寸前。
なのに吸引陣を維持し続けた。……なぜ?」
「わしのせいじゃ。
弟が作った封印を、壊したのはわしじゃ。
“あいつ”の理論を止めたかった。
だから封印を削り、力を抜いた。
その結果、瘴気獣は眠らんかった……!」
声が震えた。
老人の目に、涙が光る。
「だから、わしは修正した。
村の者らの魔力を少しずつ分けてもろうて、陣を保った。
今度こそ、弟の罪を贖うために」
「……あなたの弟は、旧監査局の局長。
そして、魔力模倣実験を行っていた人物」
「そうじゃ。
あいつは己の理論を証明するために、“人の魂”を魔力に変えた。
わしは、それを止められんかった」
空気が震えた。
老の背後の陣が一斉に閃光を放つ。
その瞬間、私の脳裏にひとつの数式が浮かんだ。
――吸引陣の出力係数。
魔力の流入速度が限界を超える瞬間、反転陣が発動する。
「オルドさん、下がってください!」
「もう遅い! 止められん!」
私は走り出した。
杖を掲げ、反転式の式構文を詠唱する。
だが、間に合わない。
封印陣が光を放ち、空気が引き裂かれた。
……そして。
光の中で、私は見た。
オルド老が、微笑んでいた。
まるで、自らの罪を贖うように。
◇◇◇
気がつくと、私は地面に倒れていた。
封印陣は静かに消え、空にはただ青い空が広がっている。
カイルが私の肩を支え、息を詰めていた。
「……オルドは?」
「消えた。陣の中心で、完全に。
けど封印は……安定してる」
私は立ち上がり、広場を見渡した。
風が吹く。
焦げた地面の上に、ひとつだけ石片が残っていた。
それは、オルド老の杖の先――
そして、刻まれた符号はこう読めた。
《監査完了――アーデンの系譜に、贖罪を託す》
私は小さく息を呑んだ。
それは“報告書の文体”だった。
まるで、彼自身が最後の監査を終えたように。
そして私は知る。
彼の最後の調律は、暴走を止めるためではなく――
真犯人の存在を暴くための引き金だったのだ。
夜。
封印広場の跡地に、私はひとり立っていた。
オルド老の消失から二日。村はようやく静けさを取り戻し、庁の調査班も引き上げた。
だが、私の心にはひとつの疑問が残っていた。
――なぜ、封印は最初から「暴走」を前提に組まれていたのか。
オルドは確かに改竄を行った。
だが、その改竄はむしろ「暴走を遅らせるための修正」だった。
封印が壊れた原因は、別にある。
私は石板の破片を並べ直し、符号を解析する。
その中心に――微かに、別の波形が残っていた。
「……この波形、私の署名式と同じ周波数……? でも、少し位相がズレてる」
魔力の波が交差し、干渉縞のような形を描いている。
それは“模倣”ではなく、“複製”――
つまり、誰かが私の魔力を直接採取し、再構成したということ。
「リリィ」
背後から声がした。
カイルが、焚き火の光の中に立っていた。
その手には、古びた水晶端末がある。
魔導庁で使われている監査用の端末――私のと同型だ。
「それ、どうしたの?」
「見つけたんだ。オルドの家の地下で。
……中に、記録が残ってた。君の監査署名のデータだ」
「私の……?」
「六年前の封印改修のときに、君の前任の監査官が署名を残してたらしい。
でも、その署名の波形と今の君の魔力が――完全に一致してる」
「……!」
息が詰まった。
六年前。私はまだ庁に入っていない。
なのに私と同じ署名波形の記録が残っている。
それはつまり、“私の魔力”が六年前から使われていたということだ。
「どうして私の波形が――」
口に出した瞬間、脳裏に過った。
魔力模倣理論。
そして、“監査署名式”を使った封印改竄。
その両方に関わることができる人物は――。
「……カイル、あなたは何者ですか?」
私の声が震えた。
カイルは小さく息を吐き、火の粉を見つめた。
「俺は、ブラン・ハルヴァの実験体だった。
……『魔力継承体』計画って、知ってるか?」
「……理論だけは。
亡くなった者の魔力波形を、他者の体に写すという――」
「そうだ。
俺の中には、ブランの“魔力の残滓”がある。
けど、完全じゃなかった。俺は“半分”だけ継いだ。
もう半分は、別の誰かに写されたらしい」
「……別の誰か?」
「六年前、そのもう半分が見つかった。
“アーデンの娘”と呼ばれる少女――
魔導庁に引き取られた、才能ある孤児」
私の心臓が止まった。
アーデン。
それは、私の母の旧姓。
そして、六年前――私は孤児院から庁に引き取られた。
「まさか……私……?」
「そうだ。
君は知らずに“ブランの魔力の片割れ”を受け継いでたんだ。
それが、封印陣を再起動させる鍵になった」
「そんな……私が、暴走の原因……?」
「違う」
カイルが顔を上げた。
その目には、苦しみと決意が宿っている。
「原因は、俺だ。
俺がオルドに“封印を動かせるようにしてくれ”って頼んだ。
弟の罪を贖う方法を探すために。
……でも、結果的にあいつを死なせた」
焚き火が弾ける音が、やけに遠くに聞こえた。
私は唇を噛んだ。
怒りも悲しみも、言葉にならない。
「あなたが真犯人じゃないんですか?」
「俺は、共犯だ。
でも、真犯人は別にいる。
ブランの研究を“今も続けている”奴が、庁の中にいる」
「……内部の誰か」
「俺は調べた。
庁の封印管理部の上層に、魔力模倣理論を再現している研究班がある。
その班のリーダーの署名が――これだ」
カイルは端末を操作し、宙に一つの符号を映し出した。
私の血の気が引いた。
それは、私の直属の上司――監査局主任、ルシア・ハートレイの署名式だった。
「ルシア主任が……?」
「封印の改修許可を出したのも、監査データを管理してたのも彼女だ。
君の魔力波形を解析して、封印暴走を“実験材料”に使ったんだよ」
「そんな……」
私は言葉を失った。
ルシア主任は私を庁に拾ってくれた恩人。
そして、唯一私を信じてくれた人。
その人が、そんなことを――。
「リリィ」
カイルが一歩近づく。
その目はまっすぐで、逃げ道を許さなかった。
「君は俺の魔力を見抜いた。
だから今度は、君の理論で俺を止めてくれ。
このままじゃ、俺も“模倣の器”として暴走する」
「……そんなこと、させません」
私は杖を握りしめた。
魔力が、震えながら胸に集まる。
カイルの身体からは淡い光が漏れ、周囲の魔力を吸い上げ始めていた。
それは“ブランの残滓”が覚醒する兆候だ。
「リリィ、俺が完全に暴走する前に、止めろ。
封印式を――再構築するんだ!」
「そんなこと、できるわけ……!」
「できるさ。お前なら」
その笑みは、あの日のオルド老と同じだった。
穏やかで、優しくて、どこか覚悟の光があった。
「――やめてください! あなたを消すなんて、できません!」
「いいか、リリィ。
俺たちは“同じ片割れ”なんだ。
君が俺を止めれば、ブランの魔力は完全に消える。
でも、それでいい。これが終わらなきゃ、また誰かが使われる」
風が吹き抜けた。
焚き火が消え、闇がふたりを包む。
その中で、私は静かに目を閉じた。
「……わかりました。
でも、あなたを“消す”んじゃありません。
“救う”ためにやります」
魔法陣が足元に展開する。
封印式の再構築――理論上、可能なはずはない。
けれど、私はやる。
私の中の“もう半分”が、確かにそれを望んでいる気がしたから。
「封印再構築式――第零層、アーデン式位相転換」
詠唱が響く。
闇の中で、光が交差する。
カイルの身体が光に包まれ、魔力が静かに収束していった。
「……リリィ」
「大丈夫。もう、ブランもあなたも、誰にも利用されません」
「ありがとう……俺を、許してくれ」
「いいえ。あなたがいなければ、私は真実に辿り着けなかった」
光が消える。
風が止まり、世界が静寂に包まれた。
私の手の中には、淡い青の欠片――カイルの魔力の残光が残っていた。
私はそれを胸に抱きしめ、静かに呟いた。
「監査完了――ハルヴァ家の罪、ここに終結す」
夜が明けていた。
封印のあった広場は、今や静寂そのものだった。
焦げた地面の上に立ち、私は手帳を開く。
書き込まれたのは、魔導庁への最終報告書――事件のすべてを記した文面。
《報告:封印暴走事件、原因は旧監査局由来の魔力模倣理論による改竄。
主犯・補佐監査官ルシア・ハートレイ。
共犯者・カイル・ブラン=ハルヴァ(故人)。
被害軽微、封印再構築完了。》
そこまで書いて、ペンを止めた。
“主犯”という文字が、どうしても筆から離れない。
あの夜の終わり――封印の光が消えた後、私は庁の連絡水晶で報告を送ろうとした。
すると、通信の先からあの声が届いたのだ。
『よくやったわ、リリィ。あなたならやり遂げると思っていた』
ルシア主任の声。
穏やかで、少し笑っているような、いつもの口調。
『これでブランの残滓は完全に消えた。
あなたの中に眠っていた“模倣核”も、きっと安定するでしょう』
『……どういう意味ですか? 主任』
『あなたは知らなかったのね。
ブランの魔力が二分されていたことは話したけれど、
実際には、もうひとつ“別の波形”が混ざっていたの』
『別の……?』
『それは、“私の”魔力波形よ。』
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
彼女の言葉は淡々としていた。
だが、そこに微かな哀しみが混じっていたのを、私は確かに感じた。
『あなたは、私の“娘”なの。
……正確には、私の記憶と魔力を複写して生まれた“次世代監査官”』
『そんな、嘘……!』
『信じられないでしょう。でも、それが事実。
あなたの出生記録はすべて、ブランが管理していた。
彼は自分の理論を証明するため、私と彼自身の魔力を融合させた。
――その結果が、あなた。』
私は震える手で通信水晶を握りしめた。
血が沸騰するような感覚と、底のない虚無。
けれど、同時に“説明のつく違和感”があった。
なぜ私は幼少期の記憶が曖昧だったのか。
なぜ、庁の監査符号が自然に読めたのか。
『……じゃあ、カイルと私は』
『兄妹みたいなものね。
でも、彼は自分の宿命を拒んだ。
あなたは、それを乗り越えた。』
『主任……あなたはなぜ、こんなことを?』
『ブランの罪を清算するためよ。
私は彼の研究助手だった。
彼を止められなかった自分を、ずっと許せなかった。
だから、あなたを生んだ。
“正しい監査官”としての私を。』
通信が一瞬途切れ、ルシアの声がかすかに揺れた。
『けれど、私の身体はもう限界なの。
模倣核の暴走が始まっている。
この報告を庁に提出したら、あなたは正式に主任代理として昇格する。
……そのあとは、あなたの判断に任せるわ』
『主任! 待ってください! あなたは――!』
返答はなかった。
静かなノイズだけが残り、通信が途絶えた。
◇◇◇
朝の光が差し込む。
私は封印広場の中央に座り込み、報告書を閉じた。
手の中の魔力水晶が微かに光っている。
中には、カイルの残光が静かに漂っていた。
「……カイル。結局、あなたは全部知ってたのね」
風が頬を撫でる。
どこか遠くで、鐘の音が響く。
封印は安定し、村は救われた。
けれど、私の中の魔力は時折、微かに共鳴する。
まるで彼の声が、いまもどこかで囁いているように。
“人の才能と罪は、紙一重だ”と。
◇◇◇
一週間後。
私は庁の監査局長室に呼び出された。
重厚な扉の前で一礼し、入室する。
「リリィ・アーデン監査官。報告書、確かに受理した」
局長の声は低く、威厳がある。
机の上には、私の報告書が置かれていた。
その隣に、ひとつの封筒がある。
古びた蝋印が押され、封には《ルシア・ハートレイ》の名。
「主任から預かっていたそうだ。君に渡すようにと」
私は震える指で封を切った。
中には短い手紙が入っていた。
『リリィへ。
あなたが真実に辿り着いたことを、誇りに思います。
私はこの研究の責任を取ります。
でも、あなたには前を向いてほしい。
“模倣”ではなく、“創造”を信じて。
それこそが、私の望んだ未来。
ルシアより。』
涙がこぼれた。
静かに手紙を折り、胸に抱いた。
◇◇◇
庁を出た帰り道。
曇天の切れ間から、淡い陽が差し込んでいた。
封印村へ戻る道すがら、私は小さく呟いた。
「才能って、なんでしょうね……主任」
空から、一羽の鳥が舞い降りた。
その足に、小さな水晶片が括りつけられている。
手に取ると、それは微かに青く光った。
封印広場で消えたはずのカイルの残光。
その中から、懐かしい声が響いた。
「リリィ。お前は、模倣なんかじゃない。
自分で選び、自分で信じて、ここに立ってる。
それが“本物”の力だ。」
私は涙を拭き、笑った。
風が吹き、空が青く開けていく。
その青の中に、確かに誰かの温もりがあった。
「――ありがとう、カイル」
私は報告書の最後の一行に、静かに筆を走らせた。
《結論:才能とは、受け継ぐものではなく、選び取るもの。
本件にて監査完了。 リリィ・アーデン。》
そして私は、新しい封印地へ向けて歩き出した。
夜明けの光の中で、かつての罪も、今の痛みも、少しだけ柔らかく溶けていく。




