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封印監査官リリィ・アーデン ―魔力模倣の罪と黎明―

作者: ねこここ
掲載日:2025/10/14

王都アルテナの中心、魔導庁第七監査課。

 その名を聞いても、ほとんどの市民は首を傾げるだろう。

 魔導戦士団でもなければ、研究局のように新魔法を開発するわけでもない。

 私たちの仕事は、魔法の帳簿を監査すること。

 地味で、退屈で、だが絶対に必要な裏方の職務だ。


 私はその課に勤める監査官――リリィ・アーデン。

 入庁三年目。魔力量E級、理論知識A級。

 つまり「魔法は下手だが、理屈は分かる女」である。


 朝の執務室には、書類の匂いとインクの音が満ちている。

 相棒のカイル・ブランは、いつも通り椅子にふんぞり返り、書類の山に囲まれていた。


「おはようございます、カイル先輩。昨夜提出した監査報告書、再審査になりましたよ」


「え、なんで? 俺、ちゃんと見たよ? ざっとだけど」


「ざっと、という言葉に罪の匂いがします。虚偽契約三件、監査印の誤転写二件。ついでに、あなたの署名が上下逆さまです」


「……ま、まぁ、人間誰だってミスはするし?」


「ミスではなく怠慢です。次、やらかしたら庁規第六十四条、減給処分ですよ」


「ひぃ……」


 この人、魔力量は私の十倍以上あるのに、仕事の精度は三分の一。

 でも、いざ現場に出ると信じられないほどの集中力を発揮する。

 たぶん、それが“天才”というやつなのだろう。

 そして、私が一生届かない種類の存在でもある。


 そんな彼の机に、ひとつの封筒が落ちた。

 金色の封蝋には王国紋章と「緊急査察」の文字。


「……まさか」


 私は無意識に背筋を伸ばした。

 庁内でも滅多に発行されない、魔導暴走案件の監査命令だ。


「辺境リューン村。封印陣暴走の疑い。監査官リリィ・アーデンを現地派遣、同行補助:カイル・ブラン」


「はい、おめでとう。君、初の単独現場出張だ。がんばってこい」


「同行って書いてありますけど?」


「いや、その……俺、ちょっと今忙しくて――」


「あなたの署名が、昨日の虚偽契約書に残ってますよね?」


「……了解。行きます」


 こうして私たちは、いつも通り脅し半分のやりとりを経て、

 王都の門を後にした。


◇◇◇


 馬車での道中、私は分厚い報告書をめくり続けていた。

 “魔法暴走”と聞くと、一般には「暴れ狂う魔力の嵐」を想像するだろう。

 だが実際は、もっと静かで、もっと厄介だ。

 魔力が“制御不能”になるわけではなく、意図的に別の術式へ変換される――

 それがこの十年、監査庁を悩ませてきた“構文汚染”型の不正魔法だ。


 報告書の最後に、ひときわ気になる一文があった。


《現場から、旧監査局の印章が押された魔導書片を発見》


「旧監査局……?」


 私は眉をひそめた。

 三十年前に廃止されたはずの組織。

 そこに在籍していたのは、魔法理論と倫理を両立できなかった人々――

 “神を欺く魔法”を研究していたと、今でも噂される部署だった。


「なあ、そんなに睨むなよ。紙が破ける」


 カイルがうんざりしたように言う。

 外では鳥の声。彼は窓にもたれて、寝そうになっている。


「先輩は、どう思います? 旧監査局の印章が現場にあったってこと」


「……昔、聞いたことがある。“魔法を盗む魔法”。

 他人の魔力を奪って、自分の器に上書きする術式が存在したらしい」


「そんな非合法魔法、構築式を見ただけで死にますよ」


「だから、噂だよ。だが――」


 カイルは、窓の外に目を向けた。


「もしそれが本当に存在するなら、暴走ってより、吸収に近い現象が起きるはずだ」


 私はその言葉を聞いて、報告書を閉じた。

 魔力の“暴走”ではなく、“吸収”。

 それは、現場の報告にもあった異常――魔力濃度の極端な減少と一致する。


 つまり、この事件はただの事故ではない。

 ――何者かが意図的に、魔力を奪ったのだ。


◇◇◇


 リューン村に着いたのは翌朝。

 山と霧に囲まれたその村は、まるで世界から切り離されたように静かだった。

 土の匂いが濃く、空気の流れがどこか淀んでいる。


 村人たちは皆、怯えた顔で私たちを見ていた。

 中でもひとり、杖をついた老人がこちらへ歩み寄る。

 灰色のローブに古びた眼鏡。だが背筋は真っすぐだった。


「あなたが、監査官殿か」


「はい。リリィ・アーデンと申します。こちらは補助のカイル・ブラン氏です」


「ブラン……まさか、あの魔導一族の?」


「その話は墓まで封印してください」


 軽口を交わすカイルをよそに、私は老人を観察した。

 目の奥に、光――いや、“知性の刃”がある。

 ただの村の長老には見えなかった。


「わしはオルド。この村の封印陣を守っとる。

 百年前に封印された“瘴気獣”を鎮めるための結界じゃ。

 だが三日前、陣が暴走し、空へ魔力が吸い上げられた」


「封印は今も健在なのですね?」


「ああ。しかし魔力供給が失われた。いずれ封印は解ける。

 ――わしには、誰かが意図的に封印を破ったように思えてならん」


 老人の声には、怯えよりも確信があった。

 そして、その確信が私の中で“違和感”として残る。

 彼はまるで、犯人を知っている者のように話していた。


「詳しい調査を行いたいと思います。封印陣の場所を案内していただけますか?」


「よかろう。……ただ、気をつけるんじゃ。

 あの陣には、今も“何か”が潜んでおる」


◇◇◇


 封印広場は村の中央にあった。

 地面に刻まれた魔法陣は、焦げついたように黒く変色し、

 中心には巨大な裂け目――まるで地面が“吸い上げられた”ような痕。


「これは……」


 私は跪き、魔導水晶をかざす。

 淡い青光がわずかに反応し、そしてすぐに消えた。


「魔力残滓、ほとんどゼロ。暴走ならもっと残ってるはず」


「まるで、誰かが意図的に痕跡を消したみたいだな」


 カイルの言葉に、私は頷いた。

 報告書にあった“魔法吸収”説が、現実味を帯びる。


 この時、まだ私は知らなかった。

 この事件が――かつて魔導庁を揺るがせた“倫理監査崩壊事件”と

 同じ構造を持っていることを。



封印広場の空気は重かった。

 瘴気が立ちこめているわけでもないのに、肌の下に薄いざらつきが走る。

 魔力の流れが歪んでいる――そう感じる瞬間だ。


「先輩、これを見てください。陣の線の彫りが不均一です」


「おお……確かに。南東側だけ妙に浅い。描き直した跡もあるな」


 私は指先で触れ、石粉を少しすくい上げた。

 粉は淡く光り、すぐにその輝きを失った。

 その消え方が、何よりの証拠になる。


「……通常の封印なら、こんなに光が短命ではありません。

 誰かが、再刻しています。しかも、短時間で」


「再刻ってことは、封印を“修理”したのか、“改造”したのか……」


「後者でしょうね。線の深度が、意図的にずらされています。

 流路をずらすことで、陣のエネルギー配分を変えられる。

 いわば、魔力の“回路操作”です」


「ふむ……まるで電気泥棒だな」


「電気ってなんです?」


「あ、いや。比喩だ。俺の家の爺さんがよく言ってたんだ」


 カイルの何気ない一言が、奇妙に引っかかった。

 ――“爺さん”。

 この人の祖父といえば、王都でも伝説の魔導師ブラン・ハルヴァ。

 旧監査局最後の局長を務め、倫理違反で失脚した人物だ。


 だが、私はその話題に踏み込まない。

 彼の瞳に、わずかに影が射したから。


◇◇◇


 現場をひと通り調べ終え、私は村の記録庫に向かった。

 薄暗い蔵の中には、羊皮紙がぎっしり詰まっている。

 紙の匂いが、過去の呼吸のように濃い。


「三十年前……ここに“監査官”が派遣された記録がありますね」


 私は古文書の束から、一枚の帳票を引き抜いた。

 署名欄には見覚えのある印章――

 王国監査局の、旧式の刻印。


「やはり……この村は、昔から監査対象だったんだ」


「暴走が、二度目ってことか?」


「そうです。そして前回も、封印が不安定化した形跡がある。

 ただし、報告書では“自然劣化による事故”と結論付けられてます」


「つまり、前回の監査官は“見逃した”」


「か、“口を封じられた”。」


 カイルが息を飲んだ。

 静かな蔵の中に、風が通る音が響いた。


「……なあ、リリィ。

 お前、なんでそんなに“旧監査局”のこと、詳しいんだ?」


「私の師匠が、その出身なんです。

 彼は言っていました――『魔法の倫理とは、正しさの中にある恐れだ』と」


「恐れ、ね」


「はい。魔法は力。力には責任が伴う。

 けれど、一線を越えると、責任の形が分からなくなるんです。

 だから私は、怖い。……自分が“正しい側”だと信じている人間が」


 その言葉に、カイルは少しだけ視線を逸らした。


「……お前、真面目だな。俺とは違う」


「ええ、そこが長所で短所です」


 軽く笑って、私は古文書を懐にしまった。

 だが心の奥では、ひとつの仮説が芽生え始めていた。

 ――この村の封印陣は、“再利用”されている。

 封印のためでなく、魔力吸収のために。


◇◇◇


 翌日、私たちはオルド老を再訪した。

 封印広場の端で、彼はひとり杖をつき、陣の表面を掃いていた。

 その動きが、まるで儀式のように緻密だった。


「ご苦労さまです、監査官殿。調査は進んでおるかね?」


「ええ。いくつか気になる点がありまして。

 封印陣は三度、構造的な修復を受けていますね?」


「……ようご存じで。そうじゃ、十年ごとに儀礼的な補修を行っておる」


「儀礼的、ですか?」


「封印は生き物のようなもの。

 長く放っておくと、陣の呼吸が乱れる。

 それを整えるために、調律を行うのじゃ」


「その調律、最後に手を入れたのは?」


「わしじゃ。六年前の春。

 今はもう手も震えて、細工などできんがのう」


 老人は静かに笑った。

 その笑みには、どこか“試すような”気配があった。


「そうですか……。

 ところで、この封印には吸引陣が内蔵されていますね」


「……!」


 カイルが小声で「おい」とつぶやく。

 老人の目が、一瞬、鋭く光った。


「何を根拠に、そんなことを?」


「封印陣の流路。

 南東部だけ、符号の順序が左右反転していました。

 封印式で左右反転はありえません。

 それは“吸収式”に用いられる書式です」


 オルドは沈黙した。

 その沈黙が、答えを語っていた。


「あなたは封印を維持するために、村人の魔力を少量ずつ吸い上げる補助陣を仕掛けた。

 それが長年続き、ついに陣全体が飽和した――。

 暴走の原因は、供給過剰だったんです」


「……ほう。なるほどのう。よくぞそこまで辿り着いた」


「しかし理解できません。

 どうしてそんなことを? 誰のために?」


 老人はゆっくりと空を見上げた。

 山の向こう、雲の裂け目から淡い光が差している。


「封印を保つには、力が要る。

 だが村には、もう魔力の強い者はおらん。

 ゆえに、わしは全員から少しずつ分けてもろうた。

 誰も死なんように、均等に、な」


「……その理屈は、倫理を逸脱しています。

 無断で魔力を奪うなど――」


「奪う? 違う。捧げてもらったんじゃ。

 わしは彼らを守るために、この手を汚した。

 それが罪だというなら、監査官殿。――おぬしらの仕事は何じゃ?」


 突き刺すような問いだった。

 彼の声は怒りではなく、静かな哀しみに満ちていた。


「我ら監査官は、“秩序を守る”存在です」


「ならば問う。“秩序”とは何じゃ? 人の命より尊いのか?」


 私は言葉を失った。

 老の瞳には、恐怖も後悔もない。ただ、長く続いた孤独だけがあった。

 その静かな瞳が、逆に私の心をえぐる。


◇◇◇


 夜。

 宿屋の小さな部屋で、私は報告書をまとめながら考えていた。

 封印の暴走は、確かに吸引陣の過剰反応によるもの。

 だが、その根底に“倫理の歪み”がある。


「……ねぇ、カイル先輩」


「ん?」


「あなたなら、どうします?

 人を救うために、少しずつ命を削るような魔法を使うとしたら」


「俺? ……使うかもな」


「……そう、ですか」


「けど、“罪”は認める。

 正しい理由があっても、やっちゃいけないことはある。

 それを理解したうえで使うなら、まだ人間だと思う」


 カイルの横顔は、どこか遠くを見ていた。

 その眼差しに、一瞬だけ“彼自身の過去”がよぎった気がした。

 旧監査局――ブラン一族の闇。

 彼が抱えているものは、私の想像よりもずっと深いのかもしれない。


 封印の村には、まだ何かが隠されている。

 私はそう確信していた。

 そして、翌朝の調査でその予感は的中する。


 ――魔法陣の中心、焦げ跡の下から古い符号石板が見つかったのだ。

 そこには、見覚えのある印章。

 《監査官リリィ・アーデン》――私の名前が刻まれていた。



翌朝。

 私は薄明の光の下、再び封印広場に立っていた。

 地面に埋まっていた石板は、昨夜のうちに掘り出してある。

 焦げた土の中から現れたそれは、灰黒色の表面にびっしりと刻まれた符号を持っていた。


 問題は、その符号の並びだった。

 ――“私の名前”が刻まれている。

 まるで未来の私が、この陣を完成させたかのように。


「どういうことだ……? これは、君の筆跡じゃないのか?」


 隣で覗き込むカイルの声が低く響いた。

 確かに、刻印は私が庁で使う“監査署名式”と一致している。

 だが、そんなものを私は刻んだ覚えがない。


「筆跡は似ていますが、筆圧と符号間隔が違います。

 ……誰かが“私を模倣した”可能性がありますね」


「模倣?」


「監査署名式は、魔力の波形で識別する仕組みです。

 似た魔力パターンを持つ者がいれば、偽造できなくはない」


「そんなことできるのか? 魔力波形は生体固有の指紋みたいなもんだろ」


「ええ。理論上は不可能です。――普通の人間には」


 私は手帳をめくりながら、ひとつの名前を書きつけた。

 旧監査局局長・ブラン・ハルヴァ。

 カイルの祖父であり、かつて魔力模倣実験を行っていたとされる人物だ。


 カイルはそれを見て、小さく息を呑んだ。


「……やめろ。それは、ただの噂だ」


「ええ、そう願いたいですね」


 私は彼の視線から目を逸らさず、石板に手をかざした。

 魔導水晶を介して符号構造を解析する。

 青い光が走り、やがて複雑な魔法構文が立体的に浮かび上がる。


「見てください。封印陣の符号構造。

 本来は三重螺旋の構造を取るべきなのに、この陣は“二重構造”です。

 欠けている第三層が、“監査署名式”によって置換されている」


「つまり、誰かが署名式を利用して、封印の根幹を書き換えた……?」


「そう。封印式の“所有権”を監査官に上書きしたんです。

 理論上、監査官以外はこの封印を解除できない。

 ――つまり、“監査官の名を借りた者”が、暴走を起こした」


「……なぁ、リリィ。まさか、これって」


「ええ。内部犯行です。

 魔導庁の内部、もしくはかつて監査官だった者の手による改竄」


 私の言葉に、空気が重く沈む。

 風が止み、遠くの鐘の音さえ吸い込まれていくようだった。


◇◇◇


 昼過ぎ、私は村の記録庫に戻り、再び古文書を開いた。

 そこには“封印改修計画”の議事録が残されていた。

 一枚の羊皮紙に、見慣れない署名がある。

 《補助監査官 L・A》

 そして、その下に小さく追記された文字――

 《監督者:O・H》


 私は息を呑んだ。

 L・Aは私と同じイニシャル。

 そしてO・H――オルド・ハルヴァ。

 つまり、オルド老の名だ。


 血の気が引いた。

 オルドは“ブラン・ハルヴァ”の弟。

 彼は旧監査局最後の生存者のひとり。

 そして彼の甥こそ、カイル・ブラン。


「……やっぱり、繋がってるんですね」


 私は書類を握りしめ、蔵を出た。

 陽は傾き、村の空気が赤く染まっている。

 封印広場の方から、低い唸りのような音が響いていた。


◇◇◇


 広場に着くと、オルド老が陣の前に立っていた。

 彼の背後で、封印の線が淡く光を帯びている。


「オルドさん! 何をしているんです!」


「調律じゃよ、監査官殿。封印の呼吸を整えとるだけじゃ」


「それはもう“暴走”に近いです。

 魔力がこの村全体から流れ込んでいる!」


「わしには分かる。これは必要な犠牲じゃ」


 杖の先から、淡い光が陣へ注ぎ込まれていく。

 その光が村中の家々へ細く伸び、屋根の上でゆらめいた。

 まるで村そのものが封印の一部に取り込まれていくようだった。


「止めてください! その調律は、魔力のバランスを崩します!」


「ならば言え、監査官殿。

 わしが止めたら、この村を誰が守る?」


 彼の声は揺れていた。

 信念の奥に、限界のような震えがあった。


「あなたがこの陣を改造したのは、六年前。

 その時点で封印の魔力総量は臨界寸前。

 なのに吸引陣を維持し続けた。……なぜ?」


「わしのせいじゃ。

 弟が作った封印を、壊したのはわしじゃ。

 “あいつ”の理論を止めたかった。

 だから封印を削り、力を抜いた。

 その結果、瘴気獣は眠らんかった……!」


 声が震えた。

 老人の目に、涙が光る。


「だから、わしは修正した。

 村の者らの魔力を少しずつ分けてもろうて、陣を保った。

 今度こそ、弟の罪を贖うために」


「……あなたの弟は、旧監査局の局長。

 そして、魔力模倣実験を行っていた人物」


「そうじゃ。

 あいつは己の理論を証明するために、“人の魂”を魔力に変えた。

 わしは、それを止められんかった」


 空気が震えた。

 老の背後の陣が一斉に閃光を放つ。

 その瞬間、私の脳裏にひとつの数式が浮かんだ。


 ――吸引陣の出力係数。

 魔力の流入速度が限界を超える瞬間、反転陣が発動する。


「オルドさん、下がってください!」


「もう遅い! 止められん!」


 私は走り出した。

 杖を掲げ、反転式の式構文を詠唱する。

 だが、間に合わない。

 封印陣が光を放ち、空気が引き裂かれた。


 ……そして。


 光の中で、私は見た。

 オルド老が、微笑んでいた。

 まるで、自らの罪を贖うように。


◇◇◇


 気がつくと、私は地面に倒れていた。

 封印陣は静かに消え、空にはただ青い空が広がっている。

 カイルが私の肩を支え、息を詰めていた。


「……オルドは?」


「消えた。陣の中心で、完全に。

 けど封印は……安定してる」


 私は立ち上がり、広場を見渡した。

 風が吹く。

 焦げた地面の上に、ひとつだけ石片が残っていた。

 それは、オルド老の杖の先――

 そして、刻まれた符号はこう読めた。


《監査完了――アーデンの系譜に、贖罪を託す》


 私は小さく息を呑んだ。

 それは“報告書の文体”だった。

 まるで、彼自身が最後の監査を終えたように。


 そして私は知る。

 彼の最後の調律は、暴走を止めるためではなく――

 真犯人の存在を暴くための引き金だったのだ。



夜。

 封印広場の跡地に、私はひとり立っていた。

 オルド老の消失から二日。村はようやく静けさを取り戻し、庁の調査班も引き上げた。

 だが、私の心にはひとつの疑問が残っていた。


 ――なぜ、封印は最初から「暴走」を前提に組まれていたのか。


 オルドは確かに改竄を行った。

 だが、その改竄はむしろ「暴走を遅らせるための修正」だった。

 封印が壊れた原因は、別にある。


 私は石板の破片を並べ直し、符号を解析する。

 その中心に――微かに、別の波形が残っていた。


「……この波形、私の署名式と同じ周波数……? でも、少し位相がズレてる」


 魔力の波が交差し、干渉縞のような形を描いている。

 それは“模倣”ではなく、“複製”――

 つまり、誰かが私の魔力を直接採取し、再構成したということ。


「リリィ」


 背後から声がした。

 カイルが、焚き火の光の中に立っていた。

 その手には、古びた水晶端末がある。

 魔導庁で使われている監査用の端末――私のと同型だ。


「それ、どうしたの?」


「見つけたんだ。オルドの家の地下で。

 ……中に、記録が残ってた。君の監査署名のデータだ」


「私の……?」


「六年前の封印改修のときに、君の前任の監査官が署名を残してたらしい。

 でも、その署名の波形と今の君の魔力が――完全に一致してる」


「……!」


 息が詰まった。

 六年前。私はまだ庁に入っていない。

 なのに私と同じ署名波形の記録が残っている。

 それはつまり、“私の魔力”が六年前から使われていたということだ。


「どうして私の波形が――」


 口に出した瞬間、脳裏に過った。

 魔力模倣理論。

 そして、“監査署名式”を使った封印改竄。

 その両方に関わることができる人物は――。


「……カイル、あなたは何者ですか?」


 私の声が震えた。

 カイルは小さく息を吐き、火の粉を見つめた。


「俺は、ブラン・ハルヴァの実験体だった。

 ……『魔力継承体』計画って、知ってるか?」


「……理論だけは。

 亡くなった者の魔力波形を、他者の体に写すという――」


「そうだ。

 俺の中には、ブランの“魔力の残滓”がある。

 けど、完全じゃなかった。俺は“半分”だけ継いだ。

 もう半分は、別の誰かに写されたらしい」


「……別の誰か?」


「六年前、そのもう半分が見つかった。

 “アーデンの娘”と呼ばれる少女――

 魔導庁に引き取られた、才能ある孤児」


 私の心臓が止まった。

 アーデン。

 それは、私の母の旧姓。

 そして、六年前――私は孤児院から庁に引き取られた。


「まさか……私……?」


「そうだ。

 君は知らずに“ブランの魔力の片割れ”を受け継いでたんだ。

 それが、封印陣を再起動させる鍵になった」


「そんな……私が、暴走の原因……?」


「違う」

 カイルが顔を上げた。

 その目には、苦しみと決意が宿っている。


「原因は、俺だ。

 俺がオルドに“封印を動かせるようにしてくれ”って頼んだ。

 弟の罪を贖う方法を探すために。

 ……でも、結果的にあいつを死なせた」


 焚き火が弾ける音が、やけに遠くに聞こえた。

 私は唇を噛んだ。

 怒りも悲しみも、言葉にならない。


「あなたが真犯人じゃないんですか?」


「俺は、共犯だ。

 でも、真犯人は別にいる。

 ブランの研究を“今も続けている”奴が、庁の中にいる」


「……内部の誰か」


「俺は調べた。

 庁の封印管理部の上層に、魔力模倣理論を再現している研究班がある。

 その班のリーダーの署名が――これだ」


 カイルは端末を操作し、宙に一つの符号を映し出した。

 私の血の気が引いた。

 それは、私の直属の上司――監査局主任、ルシア・ハートレイの署名式だった。


「ルシア主任が……?」


「封印の改修許可を出したのも、監査データを管理してたのも彼女だ。

 君の魔力波形を解析して、封印暴走を“実験材料”に使ったんだよ」


「そんな……」


 私は言葉を失った。

 ルシア主任は私を庁に拾ってくれた恩人。

 そして、唯一私を信じてくれた人。

 その人が、そんなことを――。


「リリィ」

 カイルが一歩近づく。

 その目はまっすぐで、逃げ道を許さなかった。


「君は俺の魔力を見抜いた。

 だから今度は、君の理論で俺を止めてくれ。

 このままじゃ、俺も“模倣の器”として暴走する」


「……そんなこと、させません」


 私は杖を握りしめた。

 魔力が、震えながら胸に集まる。

 カイルの身体からは淡い光が漏れ、周囲の魔力を吸い上げ始めていた。

 それは“ブランの残滓”が覚醒する兆候だ。


「リリィ、俺が完全に暴走する前に、止めろ。

 封印式を――再構築するんだ!」


「そんなこと、できるわけ……!」


「できるさ。お前なら」


 その笑みは、あの日のオルド老と同じだった。

 穏やかで、優しくて、どこか覚悟の光があった。


「――やめてください! あなたを消すなんて、できません!」


「いいか、リリィ。

 俺たちは“同じ片割れ”なんだ。

 君が俺を止めれば、ブランの魔力は完全に消える。

 でも、それでいい。これが終わらなきゃ、また誰かが使われる」


 風が吹き抜けた。

 焚き火が消え、闇がふたりを包む。

 その中で、私は静かに目を閉じた。


「……わかりました。

 でも、あなたを“消す”んじゃありません。

 “救う”ためにやります」


 魔法陣が足元に展開する。

 封印式の再構築――理論上、可能なはずはない。

 けれど、私はやる。

 私の中の“もう半分”が、確かにそれを望んでいる気がしたから。


「封印再構築式――第零層、アーデン式位相転換」


 詠唱が響く。

 闇の中で、光が交差する。

 カイルの身体が光に包まれ、魔力が静かに収束していった。


「……リリィ」


「大丈夫。もう、ブランもあなたも、誰にも利用されません」


「ありがとう……俺を、許してくれ」


「いいえ。あなたがいなければ、私は真実に辿り着けなかった」


 光が消える。

 風が止まり、世界が静寂に包まれた。

 私の手の中には、淡い青の欠片――カイルの魔力の残光が残っていた。


 私はそれを胸に抱きしめ、静かに呟いた。


「監査完了――ハルヴァ家の罪、ここに終結す」



夜が明けていた。

 封印のあった広場は、今や静寂そのものだった。

 焦げた地面の上に立ち、私は手帳を開く。

 書き込まれたのは、魔導庁への最終報告書――事件のすべてを記した文面。


《報告:封印暴走事件、原因は旧監査局由来の魔力模倣理論による改竄。

主犯・補佐監査官ルシア・ハートレイ。

共犯者・カイル・ブラン=ハルヴァ(故人)。

被害軽微、封印再構築完了。》


 そこまで書いて、ペンを止めた。

 “主犯”という文字が、どうしても筆から離れない。

 あの夜の終わり――封印の光が消えた後、私は庁の連絡水晶で報告を送ろうとした。

 すると、通信の先からあの声が届いたのだ。


『よくやったわ、リリィ。あなたならやり遂げると思っていた』


 ルシア主任の声。

 穏やかで、少し笑っているような、いつもの口調。


『これでブランの残滓は完全に消えた。

 あなたの中に眠っていた“模倣核”も、きっと安定するでしょう』


『……どういう意味ですか? 主任』


『あなたは知らなかったのね。

 ブランの魔力が二分されていたことは話したけれど、

 実際には、もうひとつ“別の波形”が混ざっていたの』


『別の……?』


『それは、“私の”魔力波形よ。』


 その瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 彼女の言葉は淡々としていた。

 だが、そこに微かな哀しみが混じっていたのを、私は確かに感じた。


『あなたは、私の“娘”なの。

 ……正確には、私の記憶と魔力を複写して生まれた“次世代監査官”』


『そんな、嘘……!』


『信じられないでしょう。でも、それが事実。

 あなたの出生記録はすべて、ブランが管理していた。

 彼は自分の理論を証明するため、私と彼自身の魔力を融合させた。

 ――その結果が、あなた。』


 私は震える手で通信水晶を握りしめた。

 血が沸騰するような感覚と、底のない虚無。

 けれど、同時に“説明のつく違和感”があった。

 なぜ私は幼少期の記憶が曖昧だったのか。

 なぜ、庁の監査符号が自然に読めたのか。


『……じゃあ、カイルと私は』


『兄妹みたいなものね。

 でも、彼は自分の宿命を拒んだ。

 あなたは、それを乗り越えた。』


『主任……あなたはなぜ、こんなことを?』


『ブランの罪を清算するためよ。

 私は彼の研究助手だった。

 彼を止められなかった自分を、ずっと許せなかった。

 だから、あなたを生んだ。

 “正しい監査官”としての私を。』


 通信が一瞬途切れ、ルシアの声がかすかに揺れた。


『けれど、私の身体はもう限界なの。

 模倣核の暴走が始まっている。

 この報告を庁に提出したら、あなたは正式に主任代理として昇格する。

 ……そのあとは、あなたの判断に任せるわ』


『主任! 待ってください! あなたは――!』


 返答はなかった。

 静かなノイズだけが残り、通信が途絶えた。


◇◇◇


 朝の光が差し込む。

 私は封印広場の中央に座り込み、報告書を閉じた。

 手の中の魔力水晶が微かに光っている。

 中には、カイルの残光が静かに漂っていた。


「……カイル。結局、あなたは全部知ってたのね」


 風が頬を撫でる。

 どこか遠くで、鐘の音が響く。

 封印は安定し、村は救われた。

 けれど、私の中の魔力は時折、微かに共鳴する。

 まるで彼の声が、いまもどこかで囁いているように。


 “人の才能と罪は、紙一重だ”と。


◇◇◇


 一週間後。

 私は庁の監査局長室に呼び出された。

 重厚な扉の前で一礼し、入室する。


「リリィ・アーデン監査官。報告書、確かに受理した」


 局長の声は低く、威厳がある。

 机の上には、私の報告書が置かれていた。

 その隣に、ひとつの封筒がある。

 古びた蝋印が押され、封には《ルシア・ハートレイ》の名。


「主任から預かっていたそうだ。君に渡すようにと」


 私は震える指で封を切った。

 中には短い手紙が入っていた。


『リリィへ。

あなたが真実に辿り着いたことを、誇りに思います。

私はこの研究の責任を取ります。

でも、あなたには前を向いてほしい。

“模倣”ではなく、“創造”を信じて。

それこそが、私の望んだ未来。

ルシアより。』


 涙がこぼれた。

 静かに手紙を折り、胸に抱いた。


◇◇◇


 庁を出た帰り道。

 曇天の切れ間から、淡い陽が差し込んでいた。

 封印村へ戻る道すがら、私は小さく呟いた。


「才能って、なんでしょうね……主任」


 空から、一羽の鳥が舞い降りた。

 その足に、小さな水晶片が括りつけられている。

 手に取ると、それは微かに青く光った。

 封印広場で消えたはずのカイルの残光。

 その中から、懐かしい声が響いた。


「リリィ。お前は、模倣なんかじゃない。

自分で選び、自分で信じて、ここに立ってる。

それが“本物”の力だ。」


 私は涙を拭き、笑った。

 風が吹き、空が青く開けていく。

 その青の中に、確かに誰かの温もりがあった。


「――ありがとう、カイル」


 私は報告書の最後の一行に、静かに筆を走らせた。


《結論:才能とは、受け継ぐものではなく、選び取るもの。

本件にて監査完了。 リリィ・アーデン。》


 そして私は、新しい封印地へ向けて歩き出した。

 夜明けの光の中で、かつての罪も、今の痛みも、少しだけ柔らかく溶けていく。





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