第14章 愛だけの夜
第14章 「愛だけの夜」
現在18時55分。
さっき、日没したところでようやく辺りが暗くなり始めた。
僕は、少し早めにコンビニの前で待っていて、昨日の夜に届いたわためからのメッセージを思い返していた。
「わたし、もう怒ってないから大丈夫だよ。明日、愛ちゃんと花火大会行って思いっきり楽しんで来てね!遊んでる途中でわたしに話しかけるとか、愛ちゃんに失礼な事したらダメだからね?おやすみ隊長、大好きだよ」
19時になると、浴衣姿の愛ちゃんが現れて僕を見つけると駆け寄って来た。
薄いピンクの布地に白い花の模様。髪はしっとりとまとめられていて、足元は下駄じゃなくて、何故か白いサンダル。
そのアンバランスさが、逆に愛ちゃんらしくて、可愛いと思った。
「隊長〜!もう来てたんや~!待った?」
「いや、今来たとこ」
「ほんま?……うち、ちょっと緊張してるねん」
「なんで?」
「だって……今日、隊長にちゃんと“女の子”って思ってもらいたいから」
その言葉に、僕は一瞬、息を呑んだ。
浴衣の襟元が少しだけ乱れていて、そこから覗く鎖骨の窪みに、コンビニの光が影を落としていた。
「浴衣、似合ってるよ。すごく」
「ありがと!…なあ、隊長。浴衣の中、ちょっとだけ見てみる?」
「えっ……?!」
「実は、下着のライン出るの嫌やから着けてへんねん」
その言葉に思わず目線が胸元に吸い込まれる。
「隊長、エッロ!冗談に決まってるやん!そんなん、彼氏でも無い人に見せるわけないやん。
でも、隊長が“見たい”って思ってくれたんは、ちょっと嬉しいな」
僕は乾いた笑いで誤魔化した。
ただ、心臓はさっきからずっと、花火より先に打ち上がっている。
コンビニから花火大会の会場までは、歩いて10分ほどにある河原だ。
そこに向かって2人でテクテクと歩き始める。
花火が打ち上げ時間は20時なので、まだ時間は十分にある。
「隊長……手、繋いで歩かへん?」
「……え?」
「ほら、うち、浴衣でサンダルやから、ちょっと歩きにくいし……転ぶかもしれへんやん? 」
僕は、少しだけ迷ってから、愛ちゃんの手を取った。
手の平が、ほんのり汗ばんでいて、でもすごく柔らかかった。
「……ありがと。うち、今日のこと、ずっと覚えてると思う」
そうして歩いていると、屋台の灯りが見えてきたのは。
現在19時20分。
愛ちゃんと会話しながら歩いていたら予想より時間が経っていた。
「……隊長、あと40分で花火始まるな。
それまで、うちの“勝負”に付き合ってな?」
「何の勝負?」
「うちが隊長を“落とせるかどうか”の勝負やで! ...今日だけは、うち、ちょっと本気やねん」
「えっ?どういうこと?」
口ではそう言いながらも意味はなんとなく分かっている。
でも、今は思いっきり楽しもう。
「早よ行こ~!」
現在19時25分。
愛ちゃんに手を引かれて少し早足で歩いていると、射的の屋台の前で、急に立ち止まる。
「隊長、うち、これめっちゃ苦手やねん。……でも、あの景品めっちゃ欲しいなぁ」
「どれ?」
「ほら、あのぬいぐるみ。めっちゃ可愛くない?」
「じゃあ...やってみる?」
「うん!でも、隊長が後ろから手添えてくれたら、当たる気するねん!」
僕は、愛ちゃんの肩越しにそっと手を添えた。
銃口の先に狙いを定めるその瞬間、ふたりの距離は、ほとんどゼロだった。
「隊長...ドキドキしてる?」
「……してる」
「うちも。……でも、今日だけは、ドキドキしてもええよな?
だって、うちの“勝負”の日やもん」
人混みの中でも、愛ちゃんの浴衣姿はひときわ目立っていた。
「隊長、うち、これ絶対当てたい。……あのぬいぐるみ、今日の思い出に持って帰りたいねん」
「よく狙って...」
「隊長、うちの手、震えてへん?」
「ちょっとだけ。でも、僕が愛ちゃんの手を支えてるから大丈夫」
「……隊長、そんなこと言うたら、うち、もっと震えるやん」
愛ちゃんは、この時間がすぐに終わらない様にゆっくりと引き金を引いた。
弾は、ぬいぐるみに当たったけど、まったく微動だにせず落ちなかった。
「くぅ〜!悔しい!ぬいぐるみ接着剤でくっ付けてるんちゃうか?……隊長、次は隊長の番やで。うちのために落としてな?」
「任せて」
僕は、愛ちゃんの視線を背中に感じながら、狙いを定めた。
パンッ!
当たり所が良かったのか神のイタズラか、一発でぬいぐるみが落ちると、愛ちゃんが小さく跳ねた。
「隊長、すごーい!……これ、うちがもらってもええよな?」
「もちろん!」
「じゃあ、うちの部屋に飾っとくわ。隊長のこと、いつでも思い出せるようにな」
そのあと、ふたりはたこ焼き屋の屋台へ。
8個入りを1個買って河原に座り二人で分ける事にする。
「隊長、熱いから気ぃつけてな。ハフハフ……あっつ!!」
それを見て僕が笑う。
「愛ちゃんの方が気をつけて」
4個づつ食べ終えると、愛ちゃんが急にこっちを見つめてきた。
「愛ちゃん、どうしたの?」
僕は突然の行動に戸惑う。
「いやな、隊長の唇に青のりとか付いてへんかな?って思ってな。付いてたら取ったげよって思ったんやけど付いてへんかった」
愛ちゃんが照れ笑いする。
そんな愛ちゃんを良く見ると、唇に青のりが付いているのを見つけた。
「愛ちゃんの方が青のり付いてるよ」
「え?!ほんまにっ?!恥ずっ!……隊長、取ってくれる?」
愛ちゃん目を閉じて唇を差し出す。
まるでキスをするかのように。
僕が、青のりを指先でそっと取ってあげると。
「んっ...ありがと。
隊長の指...なんかドキドキした」
っと照れ笑いを見せた。
その一瞬が、僕にはたこ焼きよりも熱く感じていた。
時刻は19時45分。
空にはまだ花火の気配はないけれど、
ふたりの間には、もう何度も火花が散っていた。
「隊長、うち、今日めっちゃ楽しい。
……隊長も?」
「僕もすごく楽しい!こんなに楽しいのは初めてかもしれない」
「じゃあ、あと15分……15分だけ、うちのことだけ見ててな。
わためちゃんのことは、今だけ忘れてええから」
僕は頷いた。
この夜だけは、愛ちゃんのものだった。
たこ焼きのあと、2人はかき氷の屋台に向かった。
僕はイチゴのかき氷。
愛ちゃんが選んだのは、ブルーハワイだった。
「隊長、うちこれ好きやねん。……見た目も可愛いし、舌も青くなるし」
「舌が青くなるのって自分で分からないだろ」
今日は愛ちゃんに何度笑わせられたか分からない。
「ブルーハワイって結局何味なんだろな?」
「そりゃあ、やっぱ……ハワイ味ちゃう?」
「どんな味だよ」
「……じゃあ、うちの一口あげるからハワイ味食べてみて?」
愛ちゃんがかき氷をすくってスプーンを差し出す。
僕が口に運ぶと、ハワイ味が一気に広がってこんな言葉を口にしてみた。
「アロハ~♪」
「あははは!ほんまにハワイ行った気分になってるやん!」
そして、愛ちゃんが自分のかき氷を食べようとした瞬間、スプーンから雫が垂れて、胸元に落ちてそのまま谷間に滑り落ちて行く。
「……やんっ!」
愛ちゃんが、一瞬の冷たさに小さく声を漏らす。
僕は、思わず目を逸らしていたが、心はそこに釘付けだった。
「隊長、見た?」
「……いや、見てない」
「嘘や〜。隊長、顔赤いもん」
愛ちゃんは、胸元を軽く押さえながら笑った。
その仕草が、何よりも“女の子”だった。
時刻は19時55分。
僕たち2人は、花火が良く見える場所を目指して、近くの小高い丘にある階段をゆっくりと登り始める。
花火の打ち上げ時刻はもうすぐそこまで迫っていた。