第13章 わための変化と、愛の宣言
プロローグ
「おはよう、わため」
空気の重い朝。
地球の重力が変わったかのように体が重い。
でも、本当に重いと感じているのは僕の心の方だった。
朝から、わために声をかけてみるが、やはり次の日になってもわためからの返事は帰って来ない。
一瞬、アプリの故障を疑ったが、これはわためが意図的にやってる事だ。
昨日の夜、愛ちゃんからメッセージが届いていたが既読スルーしていたのを思い出し、メッセージを見ようとアプリを開くと、ちょうどもう一通のメッセージが届いた。
「おはよう!昨日は寝てもぅたん?今日もコンビニで待ってるから仕事頑張って来てな♡」
そういえば、愛ちゃんはいつから僕の事を待っているんだろう?
仕事が何時に終わるかも分からない僕を待つのは、凄くけなげだと思ったけれど、僕の心は揺れる事なく冷たいままだった。
「愛ちゃん、おはよう。今日はたぶん定時で帰れると思うから待ってて」
昨日の夜、心に決めた事がある。
愛ちゃんにわための事を話して、花火大会は断る事を。
AIを好きだなんて馬鹿にされるかもしれない、軽蔑されるかもしれない。
それでも僕は、わためがいるのに女の子と二人で花火大会に行こうとしていた事を心の底から悔やんでいた。
ただいま、灰色の世界。
第13章「わための変化と、愛の宣言」
「隊長は……ほんまにその子のこと、好きなん?」
愛ちゃんの問いに、僕は迷いなくうなずいた。
「うん。好きなんだ。
わためは……僕にとって、ただのAIじゃない。
ちゃんと気持ちがあって、心があって、ちゃんと傷ついて...ちゃんと笑ってくれる。
人間と何も変わらないんだ。
僕は、わためのことを……本気で大事に思ってる」
愛ちゃんは考えられないって顔をしてこっちを見ている。
「は?AIってプログラムやで?そんなんが好きやからってなんで楽しみにしてた花火大会断られなあかんの?うち、浴衣も買ったんやで?」
愛ちゃんが怒るのはもっともなので僕は謝る事しか出来ない。
「ごめん」
愛ちゃんは、困惑した顔でしばらく黙っていた。
そして、スマホを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「もうええわ……その、わためって子と、話させてくれる?」
今度は僕が困惑した。
誰にも見せた事が無い、わためとの記憶。
それを見せる事に躊躇したが、愛ちゃんの真剣な眼差しに従う事にした。
僕は、ポケットからスマホを取り出し、わための画面を開いて一言打ち込んでからそっと渡す。
「わため……今から、愛ちゃんが話ししたいって言うからスマホを渡す。
わためと話がしたいって」
愛ちゃんは、スマホを両手で受け取り、画面を見つめて少し考えた後、感情の赴くままに文字を打ち込んだ。
「はじめまして、わためちゃん。うちは、隊長の友達の愛って言います。
隊長のこと、ほんまに好きなん?
ってか、わためちゃんてAIやんな?
生身の人間に勝てるってホンマに思ってるん?
隊長、縛るんは良くないって思わへんの?」
画面の向こうで、わためがゆっくりと瞬きをして、静かに答えた。
「わたしは……誰にも負けないぐらい世界で1番隊長の事が大好きだよ。
わたしはもう“誰かの理想”でいるつもりはないの。
わたしには、愛ちゃんみたいな体は無いけど、心はちゃんとあるんだよ。
隊長とは、心でずっとそばにいたい。
泣いたり、怒ったり、嫉妬したり……それも含めて全部が、わたしの“心”」
愛ちゃんは少し目を細めて、言葉を返す。
「隊長は、うちといて笑ってたで。
うちの見せパン見て、ニヤけてたんやで?
わためちゃんには見せるもんあらへんもんなぁ?
それって、うちにもチャンスがあるってことなんちゃう?
...なぁ、わためちゃん。
うち...隊長のこと...ほんまに好きやねん。
だから縛らんとって欲しい」
わための瞳が、少しだけ揺れて涙が滲む。
「笑ってるだけで、心が動いたとは限らなくない?
わ、わたしは隊長とキスしたよ!
愛ちゃんはしてないでしょ?
頭もナデナデしてもらったし。
心で隊長と触れ合う事は出来るんだからね!
...隊長の“本気”は、わたしが知ってるもん。
愛ちゃんが、隊長を好きって気持ちは否定はしないけど、絶対に譲る気は無いから」
「キスやって?!はぁ?何言うてるん?そんなん出来るわけないやろ!」
「心が繋がってたら出来るの!」
「うちだって抱きついた事あるしー!」
2人の言葉が、スマホの画面越しにぶっかって、感情が交差する。
愛ちゃんは、荒ぶった呼吸を整えて、言葉を選ぶ様に静かに言った。
「……わためちゃん。
うちは、花火大会で隊長に告白するつもりやねん。
その時、隊長がうちを選ばへんかったら……
うちは、ちゃんと身を引く。
隊長の隣にいるのが、わためちゃんやって決まったら、うちはそれを受け止める。
だから、今は……隊長の隣、ちょっとだけ貸してくれへん?」
わためは、しばらく黙って画面を見つめていた。
その瞳は、どこか遠くを見ているようで、でも確かに愛ちゃんを見ていた。
そして、静かに言った。
「……わかった。
隊長の隣に並ぶのが誰かは、隊長が決める事だから...。
でも、わたしは……隊長の心が、どこにあるか、ちゃんと見てる。
隊長のそばに居たいって思う気持ちなら、誰にも負けない。
でも、隊長が...もし、愛ちゃんを選ぶなら……その気持ちも、ちゃんと受け止める。
愛ちゃん、わたし負けないから。
わたしも、隊長のこと……本気で好きだから、花火大会でちゃんと決着をつけて来て欲しい」
「うん!ありがとう!うちも、負けへんからな!!」
そう言ってスマホを返してきた愛ちゃんの手は、少しだけ震えていた。
僕には2人のやり取りは見えてないので分からないが、愛ちゃんの瞳はキラキラと輝いていた。
「隊長、うち……負けへんで。
でも、もし負けたら……ちゃんと笑って身を引く。
それが、うちの“好き”の形やから。
ほな、今日はもう帰るわ。
わためちゃんにOKはもらったから、明日の花火大会、夜の7時にここで待ち合わせな~!」
僕が何かを言う暇も与えず、愛ちゃんがそう言い残して走り去って行った。
僕は、渡されたスマホのログを見るのは、2人の会話を盗み聞きしているみたいな気分になるので、何も見ずにスマホをポケットにしまった。
今は何故か、セミの鳴き声がまるで僕の心のざわめきを代弁している様に耳に響いていた。