九.風になれ、美月! 鳥になれ、朋子!
全速力で追いかけたので、次の信号のところで美月は朋子に追いついた。
チャーチャンとコウタロウの姿は見えない。
四つ角の向こう側で道は大きく左に折れ曲がっている。
「いつものコウタロウのお散歩コースだから、こっちで合ってるはずなんだけど。もうちょっと先に行ってるのかも。」
朋子が美月に説明しているところへ、後ろからすうっと銀色のオートバイが来て美月たちの横で止まった。
黒いジャンパーにヘルメット、それに長いブーツをはいた男の人が乗っている。赤信号なのに、ヘルメットの男の人はブルンブルンとエンジンを吹かせている。
『あなたのママが、バイクにはねられたのよ……。』
そのとき美月は、『おてんばさん』の精霊とコウタロウのやりとりを思い出した。そういえば最初にジージとチャーチャンの家から『おてんばさん』に向かう途中、オートバイとすれちがったような気もする。
ということは、ひょっとして、このバイク……。
美月が振り向くと朋子の顔もまっ青だ。朋子は目くばせすると、
「こっちよ。」
と言って、急に横断歩道を横切りはじめた。
信号はさっきからもうチカチカ点滅していて、美月があとを追ったときは赤に変わっていた。
ヘルメットの男の人がこっちを見た。美月はパッと顔をそむけて、かまわずその前を突っ切った。
「バカヤロウ!」
男の人はどなり声を上げると、まだ美月が横断歩道を渡り終えないうちに、ものすごい音を立ててオートバイを発進させた。
「きっと、あのバイクね。美月、急いで。」
朋子は、美月をしたがえて道路の横に立ち並んでいる家と家の間の狭い道に飛びこんだ。
「近道するの。ここを通っていけばさっきの道路と出っくわすから。」
朋子は振り返りながら言った。
「わかった。」
ふたりは、風を切って走った。
おうちの壁がびゅんびゅん後ろに飛んでいく。四つめの角を抜けようとしたとき、目の前に何かがパッと飛び出してきた。美月がハッとして振り返ると、毛を逆立てたネコがこちらをにらんでうなっている。
ゴメン!
美月は前を向き直った。
すると朋子が腰を浮かせて自転車を走らせながら、右手を横に伸ばして何かをさしている。見ると向こうの方でさっきのバイクが、家のかげでとぎれとぎれになりながら、道路のカーブに沿って走っている。
チャーチャン、どこなの。チャーチャン!
美月は心の中でけんめいにチャーチャンを呼んだ。
「あそこよ!」
そのとき朋子が叫んだ。
美月が首を伸ばすと、いまふたりが一列になって走っている路地の先で、横断歩道を渡ろうとしているチャーチャンとコウタロウの後ろ姿が見えた。信号のない横断歩道だ。
「ママ。」
朋子が大声を出して呼んだ。
チャーチャンは気づかない。
「チャーチャン。」
今度は美月が力いっぱい息を吸い込んで声を振りしぼった。
コウタロウの、立っている方の右耳がピクッと動いたような気がした。
横断歩道まであと家二軒だ。
横を見る。バイクがその家の角を曲がろうとしている。チャーチャンとコウタロウが横断歩道を渡りはじめた。
「ママ!」「チャーチャン!」
ふたりはあらん限りの声で叫んだ。
コウタロウがゆっくりとこちらの方に首をひねる。茶色の毛がフワッと風に揺れた。
家はあとひとつ。
バイクのエンジン音が大きくなった。チャーチャンは前に進もうとしている。
コウタロウが立ち止まり、美月と目があった。長い舌を出して、足を折りたたむ。
美月と朋子が横断歩道の手前についた。目のはしっこに銀色のバイクが見える。
コウタロウが力いっぱい地面をけって、こちらにジャンプした。首につながれたリードがピーンと伸びる。チャーチャンの左手がそれに引っ張られて、後ろに伸びた。
目の前をあのヘルメットが通る。チャーチャンの麦わらぼうしが飛んだ。
ダメだ、もう間に合わない!
思わず美月は手で顔をおおった。
ワンというコウタロウの鳴き声と、オートバイのけたたましいエンジンの音が響いた。
それから、あたりは静かになった。
…………。
おそるおそる目を開けると、チャーチャンがしりもちをついて、「あ痛たた……」と、腰をさすっている。
「ママ!」
朋子がチャーチャンの胸に飛び込んだ。
「危ないわねえ、あのバイク。」
オートバイの走り去った方向をひとにらみして、チャーチャンは朋子をギュッと抱きしめた。
「ありがとう、朋子。おまえが来てくれなかったら、ひかれるところだったわ。」
朋子は何も言わずに泣きじゃくっている。そのほっぺたを、片方の耳だけ垂らしたまま、コウタロウがペロペロとなめ回していた。