五.朋子の決断
美月が外にでてみると、せんたくかごが風にあおられたのか、引っくり返っていて、さっき朋子が入れた半そでシャツが地面に落ちている。飛んでいってしまわなかったのは、美月の自転車の車輪のポークに引っかかっていたからだ。
「あ~あ。またママに怒られる。」
朋子は、シャツを拾い上げて、パンパンと土をはたいた。よごれがめだたないことを確認すると、
「オッケーね。」
と言って、またかごの中にポイッと放り込んだ。それから、残っていたせんたく物を取り込みながら、
「ほら、あんたも立ってないで手伝ってよ。」
美月の方を振り返った。
「あ、はい。」
相手は美月と同い年だということはわかっていても、やっぱりママだと思うとドキッとする。
美月は朋子の横に並んで、靴下やら、タオルやらを背のびして物ほしざおからはずし始めた。
「サンキュー、サンキュー。悪いね、手伝わしちゃって。」
朋子は調子よく言った。
自分がさせてるくせに。まったくママってかわってない!
美月がそう思って、チラッと朋子の顔を盗み見ると、ふいに朋子はつぶやいた。
「あたし、聞いちゃったんだあ……。」
「え?」
朋子はせんたく物を取り込む手を止めた。
「半年ほど前、お風呂から出てきたら、ママとパパがリビングで何かしゃべってたんだ。途中までよく聞き取れなかったけど、でも、ママがこう言うのははっきり聞こえた。」
美月は朋子の顔をのぞきこんだ・
「なんて言ったの?」
朋子はちらっと美月を見て、すぐに目をそらせた。
「『どうして、朋子だけ、あんなふうに生まれちゃったのかしら』って。」
美月は首をかしげた。
「それってどういう意味?」
朋子はフンと鼻をならした。
「決まってるでしょ。どうして、あたしだけ、こんなバカでガサツに生まれたのかって、言いたいのよ。」
「そんなことないんじゃーー。」
美月が言いかけたのを、朋子はすごい剣幕でさえぎった。
「それが証拠に」
そして朋子は美月をじっとにらみつけた。
「それが証拠に、あたしがバッとリビングのドアを開けたら、ママはあわてて何かを隠したの。きっとあたしの成績表か何かよ。パパも困った顔してあたしと目を合わせなかった。」
朋子は一つため息をついて、またせんたく物を取り入れ始めた。
「イヤな感じよね。言いたいことがあるなら、直接言えばいいのにさ。」
美月はなんて声をかければいいかわからず、しかたなく、またせんたく物の取入れを手伝い始める。しばらく、気まずい空気が流れたあと、朋子が口を開いた。
「かわいいわね、その自転車。」
「え?」
美月はピンクの自転車の方に目をやった。美月が四年生になったとき、ジージとチャーチャンに買ってもらったお気にいりの自転車だ。
「あたしのはないの。」
そう言いながら朋子は指をさした。見ると家の横手から、ちょっとさびかけた自転車の車輪が顔をのぞかせている。
「あれはね、お姉ちゃんの。でもあたしには買ってくれないんだ。」
朋子はさびかけの自転車をながめながら続けた。
「お姉ちゃんのがあれば十分だ。あんたは、おてんばだから自分のまで持たせたら、どんなとこまで行くかわからないからって……。」
そして、朋子は見たこともないようなさびしそうな顔をしてつぶやいた。
「あたしって、いらない子なのよね、けっきょく。」
その言葉を聞いて、美月は急に朋子のことがかわいそうになった。
チャーチャンは美月にはとてもやさしい。
思い返してみると、自転車だけではない。
ランドセルも、勉強机もみんなジージとチャーチャンが入学のお祝いにと買ってくれたものだ。
そればかりか、この家に遊びに来るたびに、ゲームのソフトやらマンガやら、おみやげを用意してくれている。ママは、「初孫だからって、あんまりあまやかさないで」といやな顔をするけれど、美月はとてもしあわせだ。
それなのに、朋子には、つまりこどものときのママには、チャーチャンは何も買ってあげない。組みひももさわらせないし、ジージとさかな釣りに行くのも許してあげない。お手伝いは朋子にばかり押しつける。おまけに、朋子だけができそこないだ、みたいなことを言ったらしい。
信じたくはないけれど、ママの言うとおり、チャーチャンはママのことをいらないこどもだと思っているのだろうか……。
パタパタとほし残しのせんたく物がはためいた。風が強くなってきたみたいだ。
美月は湖の方に目をやった。波がさっきより高くなっている。
と、そのとき、美月は何かの気配を感じて、さっき走ってきた道路の方を振り向いた。
でもだれもいない。道ばたのセイヨウタンポポの綿毛が風に舞っているだけだった。
「そうだ!」
とつぜん、朋子が声を上げた。
「ねえ、あんた、うちのママのこどもになりなよ。」
「なんですって?」
朋子は、おどろく美月の肩に手を置いて、じっと美月を見つめた。
「だってあんた、あんたのママとケンカしたんでしょ。それで家出してきたんでしょ。だったらいいじゃない。あたしの身代わりにあたしのママのこどもになるのよ。」
美月は朋子がじょうだんを言っているのかと思った。でも、朋子のひとみは真剣そのものだ。
そりゃ、あたしはジージとチャーチャンのこどもになってもいいけど……。
「でも、あなたはどうするの。」
美月がたずねると、朋子は美月の肩から手を離して目を細めた。
「あたしも飛んで行くの。」
「え?」
何を言ってるんだろう、ママは?
美月は朋子の言っていることが飲みこめない。すると朋子はかんで含めるように話を続けた。
「『おてんばさん』よ。あんたとおんなじように、『おてんばさん』の丘から、アーチをくぐって飛んで行くのよ。それであたしをかわいがってくれるママを見つけて、そのひとのこどもになるの。」
でも、あたしが、ママの身代わりにチャーチャンのこどもになって、それでママが別のだれかのこどもになるってことは、つまり、ええっと、どういうこと……?
美月は頭がこんがらがってきた。
「それに身代わりって言ったって、そんなのすぐにチャーチャン、えっと、あなたのママや、お姉ちゃんや悠子ちゃんにばれるじゃない。」
朋子はニヤッと笑った。
「精霊にたのめばいいわ。」
「精霊?」
「だって、あんた言ってたじゃない。『おてんばさん』には精霊がいて、ママとけんかしたおんなの子の願いを聞いてくれるって。ばれないように魔法をかけてもらうのよ。」
「でもそれは、あたしじゃなくて、明日香の話よ。それにだいいち精霊なんていなかったわ。」
そう答えたものの、美月は、あれっ、何かがちがうと、感じていた。
朋子のがっかりしたような顔を見ながら、美月はもういちど明日香の言葉を思い出そうとした。
たしか、明日香は、おばあちゃんから聞いたって言ってたわ。『おてんばさん』には精霊が宿っている。その精霊は、ママとけんかしたおてんばなおんなの子がやってくると、現れる……。ううん、そうじゃなくって……。
そのとき美月はハッと思い出した。食べかけのメロンのような月のことを。そして明日香の言った言葉を。
「そうだ、さっきのお月様、満月じゃなかった。」
「え?」
朋子がけげんな顔で美月を見る。
「明日香、言ってた。『おてんばさん』の精霊は、満月の夜に現れるって。」
朋子はパチンと手をたたいた。
「それでよ。」
ふたりは空を見上げた。
日はだいぶんかたむき、湖に落っこちそうになっている。その反対側ではまん丸い月が、少しあかね色になった空にボンヤリと浮かんでいる。
美月と朋子は顔を見合わせた。
朋子はこっくりとうなずき、残っていたせんたく物を手早く取り込んで、玄関口に投げ入れると、走ってさっきの自転車を引っぱり出してきた。
「さあ、連れて行って。」
「でも。」
美月がためらっているのにはおかまいなく、朋子は少しほころびのあるサドルに腰を下ろすと、勢いよくペダルをこぎ出した。
「あっちね。」
「ちょっと待ってよ。」
美月はあとを追いかけた。
あんまりあわてていたので、銀色のオートバイとすれちがったのにも気がつかなかった。