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四.グラデーション

「お、おじゃましま~す。」

美月が靴を脱ぎながら声をあげると、

「いいの、いいの。だれもいないんだから。」

朋子は手を振った。

「悠子はマコおばちゃんのところへ遊びに行ってるし、お姉ちゃんは部活よ。パパはお仕事で、ママは犬のお散歩中。」

コウタロウのね。

と言いかけて、かろうじて美月は言葉を飲みこんだ。

「あたしには、もう五年生なんだし、日曜日でも勉強しろって言うくせにさ。手伝いだけはさせるんだから。」

ブツブツ言いながら朋子は奥へはいっていく。

いつも見なれた部屋ばかりだけれど、やはり置いてあるものはどれも新しかったり、中には見たことのないようなしろものもある。美月は不思議な気分でキョロキョロしながら朋子のあとをついて行った。

朋子は美月を台所まで連れてくると、冷蔵庫を開け、カルピスを取り出した。冷蔵庫は美月の知っているものよりも一回り小さくて、モーターがゴーっとほえるような音を立ててうなっている。

食器だなから大きなガラスのコップをふたつ取り出して、ドボドボと目分量でカルピスをつぐと、朋子は水道のじゃ口をひねって、これもおおざっぱに水道水をつぎ足した。

「こんなもんしかないけどねえ。」

コップのひとつを美月に手渡し、

「じゃ、ま、カンパイ!」

チャリンと、ふたりのコップのぶつかる音がした。

美月が口をつけると、カルピスの量が多くてあますぎる。おまけに水もぬるいので、なおさらまずい。

なのに、朋子はゴクコクといっきにその液体を飲みほすと、

「あー。おいしっ。」

と言って、口をぬぐった。

ママがアバウトなのは、やはりこどものころからのようだ。

美月が何とか全部飲むことができたのは、けっこう自転車をこいだりして、それなりにのどが渇いていたからだ。

ところが朋子はそれをじっと見とどけると、

「どう、もういっぱい?」

カルピスのびんを突き出したので、美月はあわててコップに手をかざした。

「ううん。もういいわ。……ありがと。」

「あら、そう。えんりょしなくたっていいのに。」

朋子はなごりおしそうにカルピスを冷蔵庫にしまうと、

「そうだ。そんなことより、こっちこっち。」

思い出したように、また美月の手を引っぱった。

どこへ連れて行かれるのかと思っていると、玄関横の和室だった。

ここはたしか、ジージとチャーチャンの部屋だ。

美月が中を見回していると、

「あれ、何か知ってる?」

朋子のさした部屋のすみを見て、美月はなあんだと思った。

「組みひもを作る台でしょ。」

朋子は美月があっさり答えたのに、半分おどろき、半分がっかりしたようだった。

「なんだ、知ってたの?」

そりゃそうよ。

美月は、また口を滑らせそうになった。

組みひもというのは、着物を着て、帯をしめたあとに、その上に巻く飾りひも(帯じめって呼ぶ)のことだ。いろいろな色の糸を、木でできた特別な道具を使って、寄り合わせて編み上げていく。できあがると、ひとつの端から反対側の端に進むに連れ、だんだんと色合いが変わっていく。グラデーションというのだそうだ。

重ね合わせた糸の種類と数で、簡単な模様から複雑ながらまで、いくらだって色合いを変えることができる。

チャーチャンは組みひもを作るのが趣味だ。趣味というより、ほんとうのところ、ほとんどプロの腕前だ。先生の資格(これを師範(しはん)とか名取(なとり)とかいうらしい)も持っていて、できあがった作品を買い求める人も大勢いる。お弟子さんも取っている。

木製の道具は簡単なものから難しい順に、(かく)(だい)、丸台、(あや)(たけ)(だい)高台(たかだい)というぐあいに七種類ほどあって高台ともなると使う糸は百種類以上になる。チャーチャンはその高台を使って、ため息が出そうなくらいきれいな絹の組みひもを器用に織り上げていく。

けれど、いまチャーチャンの部屋にあるのは、丸台だ。

そうか。ママがこどものころはチャーチャンでもまだ丸台だったんだ。

秘密のひとつがわかったような気がして、美月はなんとなくうれしくなった。

組みひもは完成品もとてもきれいだけれど、作っているさいちゅうの作業がおもしろい。

丸台は、名前の通り、丸い木型にあしがついていて、正座するとちょうどおなかのあたりに丸い木型がくる。木型のまん中には穴が開いていて、編みあがっていくひもがその中を通るしくみになっている。

反対側のひもの端になるはずの糸をおもりに巻きつけ、丸台のほうぼうに垂らしておく。あとは自分の手だけで順番をまちがえないように糸を編み上げては、おもりの重さを利用してストンと落とす。また編み上げては落とす。

そのときに、おもりが丸台のわくに当たってカランコロンとリズミカルに鳴る。引っぱる力がバラバラだと、ひもはぶかっこうによじれてしまう。また、糸の順番をまちがえると、色ぐあいがおかしくなるばかりでなく、ひもが途中で変な方向に曲がっていってしまう。だから、手早く、そして注意深く糸をあやつっていかないといけない。

カランコロンという音色とチャーチャンのみごとな手さばきに合わせて、きれいなグラデーションのかかったひもがだんだんと伸びていく様子は、まるで手品のようだ。

「どれ、やってみるかい。」

小学校に上がった夏休み、美月がいつものように見とれていると、初めてチャーチャンはその糸をさわらせてくれた。

じょうずに手が動かなくて、糸はだんごになってしまった。けっきょくチャーチャンがほどき直して、もう一度編みなおすことになったけれど、そのときの感激は今もよく覚えている。

それからというもの、ジージのさかな釣りとは別に、チャーチャンに組みひも作りを教えてもらうことが、このうちに遊びに来る楽しみのひとつになっている……。

「これ見て。」

朋子の言葉で美月はわれにかえった。

朋子は丸台の上でぐちゃぐちゃになった何本もの色のたばを持ち上げてみせた。

こんなにめちゃくちゃにしたらダメじゃない。

美月が思わず息をのむと、

「ね、ひどいでしょ。悠子のしわざなの。」

朋子のくちびるの片方がきゅっと上がった。

「あたしがさわろうもんなら、大目玉よ。でもね、悠子がいじって、こんなにしちゃっても、いいよ、いいよって、許しちゃうのよ。まったく頭にきちゃうわ。」

朋子が手をはなしたので、からまった組みひもの糸はカランコロンと音を立ててゆれた。

朋子はスタスタ歩いて和だんすの前に行くと、一番上の引き出しをあけて、細長くて四角い木の箱を取り出した。美月はそれが組みひもを入れる桐の箱だということも知っている。朋子はその箱のふたをパカッとはずして、中を見せた。

一本の組みひもがしまわれていた。

チャーチャンが作ったにしては、デザインが簡単すぎるし、色もオレンジにベージュの二色しかない。ひもの太さもところどころガタガタして整っていない。

美月が首をかしげていると、

「これは、お姉ちゃんが作ったの。」

と朋子が説明した。

「あたしと同じ五年生のときよ。ずるいでしょ。そりゃ、お姉ちゃんは何やらしてもうまいけどね。」

朋子は木箱のふたをして、それをうらめしそうにながめた。

「あたしだって教えてほしいのに、おまえは、ガサツだとか言ってさ。失礼しちゃうわよね。」

ガタガタと窓が鳴った。また風が出てきたのか、湖の表面に白い波が立っているのが見える。それをしばらくながめると、朋子はポツリとつぶやいた。

「さかな釣りにしてもそう。」

「さかな釣り?」

「うん。パパはよくボートに乗ってさかな釣りに行くの。これくらいのフナが釣れるのよ。」

朋子は両手を広げてみせた。

美月は、またぞろ、知ってるわよ、さいきんはブラックバスばかりだって、こぼしてるけどね、と口走るところだった。それを、なんとか、

「ふうん。」

と、おどろいたふりをしてごまかした。

「それでね、このあいだ、朋子も行くかって、初めてさそってくれたのよ。あたし、もううれしくってうれしくって、バンザイしたのにさ。ママが、朋子はまだだめだって。落っこちたらどうするのって、こわい顔して止めるのよ。パパも、最初のうちは、もう五年生だし、だいじょうぶだよって、ママをなだめようとしたんだけど。でもママが、湖に落ちたら死んじゃうじゃないって、わめくもんだから、けっきょく、また今度な、だって。お姉ちゃんはもうだいぶん前から連れてってもらってるのに。もうがっかり。」

朋子は湖のほうを見たまま、桐の箱をそっとなでている。

それを見ながら、美月はジージといっしょにさかな釣りに行ったときの様子を思い返した。

『えさはな、こうやって巻きつけとかないとな……。』

『そうそう、もっとしっかり引いて引いて……。』

手とり足とり、えさのつけ方、さおのあやつり方をジージは教えてくれる。釣り上げたさかなの水しぶきで、ジージも美月もびしょぬれになる。きゃーと歓声を上げる美月と、ワッハッハと笑うジージ……。

「あ、いけない。せんたく物入れないと。」

朋子の声が聞こえた。見ると、和だんすの上に桐の箱を残して、朋子が部屋を走り出て行く。あとを追いかけると、朋子はまた庭に降り立った。

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