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三.朋子という名のおんなの子

どれくらいたっただろうか。

急に静かになって、ぐるぐる回る感じもしなくなった。

美月はおそるおそる目を開けた。そして自転車を持ったまま立っていることに気がついた。

目の前で『おてんばさん』とお母さんさくらがおしくらまんじゅうしている様子はさっきといっしょだ。

でもなにかおかしい。

あたりは明るく、とっくに沈んだはずのお日様がまた頭のてっぺんにある。それに風もすっかりやんで、さくらの木の枝はピクリとも動かない。

キョロキョロまわりを見回すと、いつもは二本のさくらの木と、がい灯以外にはなんにもない、だだっぴろい丘なのに、今はまわりがさくら林になっていて、しかも木と木の間がキラキラ光っている。

ここはどこ? あのキラキラはなに?

美月は首をかしげて自転車に乗った。

『おてんばさん』とお母さんさくらのアーチをくぐって、一本の道が走っている。道といっても、舗装もされていないむき出しの地面が伸びているだけ。両わきをいろいろな大きさや太さのさくらの木がはさんで立っているので、そのすき間がまるで道のように見えるのだ。

どちらに行こうか美月はちょっと迷ったけれど、アーチの影が矢印のように伸びている方に行くことにした。

しばらく走ると、さくら林から抜け出て目の前にパッと湖が広がった。大きな湖だった。青い湖のあちらこちらに白いさざなみが立っている。キラキラの正体はこの波だったのだ。

あれ、この湖、どっかで見たことあるなあ。

でも思い出せない。

ふと顔を上げると遠くに緑色の点が見える。近づくにつれて、それは家の屋根の色だということがわかった。そして家の前に着いた時、美月は思わず声をあげた。

「これ、ジージとチャーチャンのおうちだ。」

チャーチャンというのは、美月のおばあちゃんのことだ。だけど、そう呼ばれるのがイヤで、美月たちに自分のことをチャーチャンと言わせている。

ほんとうは「昭江」の頭文字をとって「アーちゃん」と呼ばせるつもりが、カタコトをしゃべり始めたばかりの美月は、何度教えこもうとしても、

「チャーチャン。」

としか言えなかったらしい。けっきょく、みんなもあきらめてそのままになった。

でも、「バーバ」よりは「チャーチャン」の方がカッコいいし、美月も気にいっている。小学校五年生にもなると、いくら本人の前だけだとしても、「バーバ」なんてはずかしくて言えっこない。

美月はもう一度、その家を上から下まで観察した。

美月の知っているジージとチャーチャンの家は、まわりをたくさんの家に囲まれていて、パパが車をとめるのにも苦労する。壁にはあちらこちらひびがはいっているし、屋根の色もくすんでいて、もともと緑色だったのかどうかもはっきりしない。

それにくらべれば、いま目の前に建っている家は、新品みたいにかがやいている。まわりのあっちこっちも空き地だらけだ。

けれど、ひらべったい屋根の形も、家の大きさも、お庭を隠しているいけ垣も、いつも遊びに行くジージとチャーチャンの家とそっくりだ。

まちがいない。

そうか。だから湖も前に見たことがあると思ったんだ……。

夏休みが来るたびに、ジージがよくさかな釣りに連れて行ってくれる湖だ。

ジージとチャーチャンの家からちょっと行くと、貸しボート屋さんがある。そこで小さなボートを借り、救命胴衣という大げさな名前の浮き袋をからだにくくりつけ、湖のまん中までこぎ出して、釣り糸を投げ込むのはちょっとした冒険だ。

「男の子じゃあるまいし。」

ママもチャーチャンもあきれ顔で、朝早く美月とジージを送り出す。パパは、そんな時たいていはまだ寝ていて、美月たちがお昼前にめでたく獲物を手に入れて意気ようようと戻ると、頭をかいて、

「いつもすみませんねえ。」

と言って、ジージにあやまる。

「なあに、こっちが楽しませてもらってるんだよ。」

ジージはにこにこと笑って手を振る。

これが美月たちの夏休みだ。

それにしても……。

美月の家からジージとチャーチャンのおうちまでは、車で高速道路を三時間ほど走らなければならない。その上、家もま新しくて、いつもとはまるでふんいきがちがう。

美月は夢でも見ているみたいな気がした。

そのとき、

「じゃあ行ってくるわね。」

声がしたので振り向くと、麦わらぼうしをかぶった、ママくらいの年かっこうの人が、家の反対側から向こうの方へ歩いていく。ふさふさした茶色のしっぽを楽しげに振っている犬を連れていた。

その犬は、右耳はまっすぐに立っているのに、左耳は途中から垂れている。

美月はハッとした。

コウタロウだ……。

コウタロウは、美月が生まれるずっと前に死んでしまったはずの、柴犬とシェルティのあいの子だ。

いつだったか、チャーチャンが美月をひざの上にのせて、写真を見せてくれたことがある。

「お母さんとお父さんの耳をひとつずつもらったんよ。おもしろいでしょ。」

チャーチャンがくすくす笑ったのをよく覚えている。

じゃあ、あの女のひとは、チャーチャン?

美月がびっくりして、チャーチャンとコウタロウが遠ざかっていくのに見とれていると、とつぜん、バーンと玄関のドアが開いた。

「まったくもう、どうして朋子ばっかりお手伝いしなきゃいけないのよ。」

美月と同い年くらいの、おかっぱ頭のおんなの子が、せんたくかごをかかえて現れ、大声を張り上げた。

「ママはいつだってそうよ。なんだってあたしにさせるんだから。」

おんなの子は、庭にほしてあるおとな向けの白いブラウスを怒ったように引っつかむと、かごの中に放り投げた。

美月は心臓が口から飛び出しそうになった。

トモコって、ママとおんなじ名前。ということは、あなたは、あたしのママ?

「お姉ちゃんは勉強や部活でいそがしいからとか、悠子(ゆうこ)はまだ小さいからとか。あたしは損してばっかり。」

ブツブツもんくを言いながら、おんなの子が半そでシャツを取り込もうとしたとき、美月と目があった。右目の下にふたつ、ほくろがあるのが見えた。

あっ、あのほくろ。

美月がまだ赤んぼうのころ、だっこされるたびに、ごみとまちがって、小さな指でぽりぽりとひっかいたという、ふたごのようなふたつのほくろ。

やっぱり、ママだ……。

これって、つまり、ママがこどものころにやってきたってこと……?

美月がその場に固まっていると、朋子は不思議そうに二度ほどまばたきをした。

「あんた、だあれ?」

美月は頭の中がまっ白になった。

なんて説明したらいいんだろう。

まさか、ママのこどもよ、なんて言えないし。言ったって笑われるだけだろうし……。

あれこれ考えたあげく、

「あたし、美月。」

としか言えなかった。

朋子はつまらなさそうに、

「ふーん。どこから来たの? 転校生?」

美月は首を振った。

そして、夕べママとケンカして家を飛び出したこと、『おてんばさん』とお母さんさくらのアーチをくぐろうとしたら自転車ごと飛ばされたこと、気がつくとさくら林の中にいて、そのままここにやって来たことを、つっかえつっかえ説明した。

ただし、ジージとチャーチャンのことや、話を聞いている当のおんなの子が自分のママらしいってことは、とうとう最後まで言い出せなかった。

はじめ、朋子は美月の顔をうさんくさそうにながめていた。けれど、話をきいているうちに、だんだんと目をかがやかせ、美月の顔のまん前までやってきて、身を乗り出すようになった。

そしてしまいに、美月がこことはぜんぜんちがう場所と時間から迷い込んできたんだとわかると、せんたくかごを落っことした。目玉はびっくりするくらい飛び出て、口もあんぐり開いている。こんなママの顔を見るのはもちろん初めてだ。

「ふっしぎなことがあるもんねえ。」

朋子はしばらくの間、何度も、へえとか、はあとか、感心した声を上げて、美月の顔と水玉模様のワンピースをかわりばんこに見くらべていた。と思うと、急ににっこりして、ポンポンと美月の肩をたたいた。

「それにしても、あんたもなかなかやるわねえ。家出かあ。それもママとケンカして。」

美月がなんと答えていいものやら、あいそ笑いを浮かべていると、朋子はうんうんうなずいた。

「でも、わかるわかる、あんたの気持ち。だいたいママって種族は、身勝手で怒りんぼなのよね。」

美月はびっくりした。

「チャーチャンも、身勝手で怒りんぼなの?」

「チャーチャン?」

朋子がまゆを寄せたので、美月はあわてて、

「ええっと、つまりあなたのママ。」

と言い直した。

朋子はおかっぱ頭をはでにゆすった。

「いっつも怒ってるわ。あれしちゃだめ、これしちゃだめって。」

美月は不思議だった。

「そうかなあ、チャーチャンはとてもやさしいけどなあ。」

美月がそうつぶやいたのが聞こえたのか、聞こえなかったのか、朋子はまくしたてた。

「でもね、妹の悠子にはとってもやさしいのよ。それからお姉ちゃんにも。そりゃお姉ちゃんは頭もいいし、スポーツもできるけど。あたしはいつもお姉ちゃんのお古ばっかり。なのに悠子にはいつもかわいいドレスを買ってあげるのよ。あーあ、どうしてあたしってまん中に生まれちゃったんだろ。」

美月はちょっと口をとがらした。

「いいじゃない、きょうだいがいて。あたしも妹がほしかったわ。ママは無視するけど……。」

そう言ってから、目の前にいる朋子が、そのママなんだってことを思い出した。なんだかとってもややこしい。

「あら、あんた、ひとりっ子なの。うらやましいな。ひとりっ子なら、何でも自分のほしいものが買ってもらえるでしょ。」

ははん、そうか。ママはそんなふうに思ってたんだ。

美月はなんとなく合点がいった。

ひょっとして、おとなになった今でもそう思っているのかしら。だからいくら妹がほしいとせがんでも、うるさそうにするのね。

すると朋子は思い出したように美月に目を向けた。

「そうそう、あたし、朋子。小学五年生。あんたは?」

「あたしも五年生よ。」

美月が答えると、朋子は右手をさし出した。

「同級生か。よろしくね。」

美月はどうしようと思ったけれど、しかたなくおずおずと手を出した。その手を朋子はぎゅっと握った。フワフワした、ちっちゃな手だった。

それから朋子は、

「そうだ。ちょっと来てよ。」

せんたくかごをポイと放り投げ、玄関のドアを開けて家の中へはいっていった。

美月は自転車を立ててあわててあとを追った。

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