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一.『おてんばさん』のある丘

美月は怒っていた。

水玉模様のワンピースをはためかせ、猛スピードで自転車を走らせていた。

ママのバカ。ママのバカ!

もう少しで向こうからやってくる自転車にぶつかりそうになったけれど、かまうもんか。

行く先は決めていた。

『おてんばさん』のある丘だ。


小学五年生、美月の家からそう遠くない丘の上に、二本のさくらの木が生えている。一本はとても背が高く、幹も太くって、枝ぶりもとてもりっぱだ。ただ、途中からぐいんと幹が曲がっているので、そのままでは倒れてしまいそうに見える。なのに倒れないのは、そのかたわらに、もう一本小さなさくらの木がななめにはえていて、大きな木の方に頭からぶつかっているからだ。

頭を押さえつけられているせいなのか、小さなさくらはそれ以上成長できずに、長いあいだ小さいままだ。けれど枯れているわけではけっしてない。春になれば大きな木と変わらずピンク色の花を咲かせ、夏には勢いよく葉をつける。その枝の何本かは、おんなの子のはくフリルのついたスカートのように、幹のまわりから地面に向かって伸びている。

だから、はなれてその二本のさくらをながめると、まるで大きなお母さんと、そのおなかめがけて突撃しているやんちゃなおんなの子の姿を思い浮かべてしまう。それで、その小さいさくらの木はだれが言うともなく、『おてんばさん』と、あだ名されるようになったらしい。

もちろん、小さいといっても、それはお母さんさくらとくらべればの話で、『おてんばさん』だって人間のおとなより背は高い。この二本のさくらは、あわせると、ちょうど、大きなお屋敷の前に建っているアーチのように見える。中をくぐって行ったり来たりすることができるので、『おてんばさん』の生えている丘は、こどもたちにはもってこいの遊び場だ。

ただし、お月様が顔を見せるようになるまでは。

たとえまだ日は沈んでいなくても、月が昇るようになると、もうだれも『おてんばさん』のまわりには近づかない。

小さい頃から、それが美月には不思議だった。

高速道路のインターチェンジの手前にあるその丘は、昼間あんなににぎやかなのに、夕方になると、まだあたりがじゅうぶんに明るいうちから、ひとっこひとりいなくなってしまう。いなかのジージとチャーチャンの家からの帰り道、車の中からのぞいてみても、夕方にはだれの姿も見えはしない。これはいったいどうしてだろう。

でも、パパに聞いても、ママに聞いても、どうでもいいって顔をして、まともに取り合ってくれない。

その理由らしいことを教えてくれたのは、近所に住む花村のおじいさんだ。


小学校二年生のとき、学校からの帰り道、何かにつまづいて転んだことがある。

「おやおや、おじょうちゃん。お空を飛んじゃ、あぶないぞ。」

 転んだまま,泣きじゃくりながら見上げると、鼻の下から透明なチューブを伸ばしたおじいさんがニコニコと美月を見下ろしていた。

「けがはないかい?」

 そっと差し出してくれた手をつかんで、美月は立ち上がった。ひざこぞうをすりむいてとても痛かったはずなのに、おじいさんのつけているそのチューブが気になって美月は泣きやんだ。チューブはおじいさんのからだの横を下りて、足元にある小さな黒いボンベにつながっていた。おじいさんはボンベをのせた小さい台車を引っ張って歩いていたのだ。

「酸素だよ。」

 美月がボンベに気を取られているとおじいさんは言った。

「こんなものにたよらないと歩けんのだ。なさけないのう。」

 おじいさんはひゃっひゃっひゃと笑った。

「おじょうちゃんは、いいなあ。空まで飛んで。」

 ふたたびひゃっひゃっひゃと笑いながら、美月の服についた泥を払い落としてくれた。そして、美月の足から血が流れているのに気づき、

「こりゃ、いかん。ちょっと待っておいで。」

 そう言うと、かたわらの家の中に入っていった。見上げると、『花村』と書かれた表札があった。そこがおじいさんの家だったのだ。

 しばらくすると、おじいさんが手にしょうどく薬とばんそうこうを持って、中から出てきた。おじいさんはしゃがんで、けがのところをふいてくれた。ピリッとして思わず顔をしかめたけれど、泣かずにがまんした。

「お、強いのう、おじょうちゃんは。さすが、おてんばさんだ。」

 おじいさんはばんそうこうをはり終えると、美月の顔を見てニコッとほほえんだ。美月もはじめてわらった。

 それが花村のおじいさんとの出会いだった。

 それから道や公園で会うたびに、美月は花村のおじいさんと話をするようになった。すると、花村のおじいさんが実は美月のママの知り合いだってことがわかった。

ママは美月が生まれたのをきっかけに、前にしていた薬剤師の仕事を休んだ。そして赤んぼうの美月の世話をしながら、ケアマネージャー(ほんとうは、介護(かいご)支援(しえん)専門員(せんもんいん)とかいう、舌をかみそうなむずかしい名前だ)、ちぢめてケアマネの試験と講習を受けて、資格を取った。

「やっぱり薬の仕分けをしてるだけじゃあねえ。もっと困っている人の役に立つことがママにもできないものかしら。」

と思ったのが理由だそうだ。美月が小学生になったときから、本格的に仕事を始めた。

仕事の細かな内容は美月にはよくわからない。なんでも、からだの弱っているお年寄りがなんとかひとりででも暮らしていけるように、こまごました世話をするらしい。

「なんでも屋よ。」

と、ママは言う。

家族のひとがめんどうをみてあげられれば一番いいのだけれど、実際には、花村のおじいさんのように、ひとり暮らしのお年寄りは少なくない。そしてそういったお年寄りの多くは、病院の先生の話もよくわかっていなかったり、役場の手続きもほったらかしているのだとか。そういったことを美月のママが代わってしてあげたり、ときには、病院にも付きそって行ってあげるのだそうだ。

花村のおじいさんも、ママが手助けをしてあげているお年寄りのなかのひとりだということがあとでわかった。

 でもそうやってママが働いているせいで、昼間、美月が家に帰っても誰もいない。学童保育に通ったこともあるけれど、いじわるな子がいたので、すぐに行かなくなった。そんなときに花村のおじいさんに出会った。

花村のおじいさんは、パパやママの知らない昔話や言い伝えをよく知っていた。話もおもしろかったし、なにより、花村のおじいさんと話をしている間は、さびしさも忘れられた。ひとり暮らしの花村のおじいさんにしても美月と話せるのが楽しいようだった。それで、ついつい学校帰りに毎日のように花村のおじいさんと話をするようになったのだ。

ただ、花村のおじいさんはあまり長く話し込むと、とちゅうで息が切れる。

「たばこをやめられんで、このざまだ。」

 ぜいぜいと深呼吸して、おじいさんは悲しそうに笑った。

それでも、美月と出会ったころは、まだ花村のおじいさんも、酸素ボンベを引っ張り引っ張り町内を歩いていた。けれども、美月が四年生になるころには息苦しさが増えたようで、だんだんと散歩する日も少なくなった。そのかわりに美月は、おじいさんの家に上がりこむようになった。

 そんなある日、いつものようにおじいさんの家に行ったとき、

「よう。来たか、おてんばさん。」

 そう、花村のおじいさんが言うのを聞いて、美月はふと思い出した。

「ねえ、おじいちゃん。どうしてあの丘にあるさくらは『おてんばさん』って呼ばれてるの?」

「おてんばさん?」

 花村のおじいさんの目がきらっと光った。

「うん。ほら、高速道路のそばにある丘。あそこの二本のさくらの木。ちっちゃい方、『おてんばさん』って呼ばれてるでしょ?」

美月は花村のおじいさんの顔を見た。

あの透明なチューブが、ぶしょうひげのはえた口のまわりをぐるっと一回りして、かたわらの機械につながっている。おじいさんが腰かけているうすよごれた安楽いすの横に、でんと置かれたその機械の中で、プシュー、プシューという音をたてながら、じゃばらのような装置が、伸びたり縮んだりしているのが見える。

 美月はなんだかぞくっとした。

しばらくじっと美月をみつめたあと、花村のおじいさんは、チューブのあてがわれた鼻の下から、

「消えてしまうからだよ。」

息をはき出すようにつぶやいた。

「消える?」

美月が聞き直すと、花村のおじいさんは遠いところを見るような目をしてうなずいた。

「月の明るい晩にな、おてんばなおんなの子が、母さんさくらと『おてんばさん』のアーチをくぐって消えてしまうんだ。」

プシュー、プシューという機械の音がいつもより大きく聞こえる。それに合わせて花村のおじいさんの肩が、あやつり人形のように上がったり下がったりしている。

「消えてしまうって、どこに?」

美月はどきどきしながら聞き返した。その顔をまじまじと見つめると、花村のおじいさんは、ふいに、ひゃっひゃっひゃと笑った。

「じょうだんじゃよ。じょうだん。だいいち、おまえさんの母さんは、ええひとじゃないか。」


わけがわからなかった。

花村のおじいさんの顔はとてもじょうだんには見えなかった。それに、美月のママがいい人かどうかということと、おんなの子が消えてしまうことといったいなんの関係があるというのだろう。

家に帰ったとき、その話をママにしようかなと考えないでもなかったが、どうせ、

「また、花村さんの家に上がりこんでたの? だめじゃないの。花村さんは、あんまりぐあいがよくないんだから。」

と、にらまれるのに決まってると思い直して、だまっていた。

美月が花村のおじいさんのところに行く回数が増えるにつれて、ママはだんだんときげんが悪くなり、最近ではいつも決まってそう言って美月をしかる。

花村のおじいさんは、美月が行くとよろこんでくれるのに。それにママだって、しょっちゅう顔を出してるじゃないの。

ある日そう言い返すと、ママはくちびるの片方をぎゅっと上げて、美月をにらんだ。

「ママはお仕事で行ってるの。あなたとはちがうのよ。」

ママはいつだってそうだ。お仕事、お仕事。仕事といえば、なんでもオッケーだと思っている。

ママのしているのがだいじな仕事だということは、なんとなく美月にもわかる。

小さな美月のめんどうをみながら、いっぱい勉強して、試験にも通った。それはエライとも思う。

でも、急に予定になかった仕事がはいったりすることも多いから、ママの帰るのは夕ごはん前ギリギリだ。とうぜん家のことはけっこうアバウトになる。料理も、美月が見ても手ぬきだし、なんだかんだと美月の手伝いが多くなる。

小学四年生からは、中学受験もなんとなく考えるようになり、塾に行き始めた。五年生になって宿題の量もずいぶんと増えている。ほかの家の子は、お母さんが勉強を教えてくれているみたいだけれど、美月はほったらかしだ。それよりなにより、そうやっていそがしいとママのかんしゃくがすぐ破裂する。

花村のおじいさんは、

「おまえさんの母さんはええひとじゃ。」

と言った。でも、美月にすれば、ちょっとちがうような気がしてならない。美月のことより仕事のほうがだいじなのよねって、思ってしまう。


そんなわけで、『おてんばさん』の丘からおんなの子が消えてしまうという、花村のおじいさんのちょっとぞくっとする話は、とうとうママには言いそびれたままだ。五年生になって塾に通う時間が増えるにつれて、花村のおじいさんの家に向かう足も遠のいてしまった。こうしてなにか気持ちがもやもやしたまま、日が過ぎていった。

ところが、昨日。

林間学校からの帰り道、バスの中から、高速道路の横のあの丘に生える『おてんばさん』が目に入った。そのとたん、急に花村のおじいさんの話を思い出したのだ。

「ねえ、明日香。」

 隣に座って、前の友達としゃべっていたクラスメートに声をかけた。

明日香はいつもきれいな三つ編みをして、丸いメガネをかけている。とっても頭がよくて、学級委員もしている。彼女なら、『おてんばさん』のことも知っているかも。

そう美月は思って、花村のおじいさんの話をひそひそ声で明日香に聞かせた。

「どう思う? これってホントの話かなあ。」

 美月がそっと明日香の目をのぞきこむと、明日香は勝ちほこったように言った。

「そうだよ。知らなかったの?」

美月はあんまり明日香がわけしり顔をしているのでおどろいた。すると、明日香は丸いメガネを美月の耳元まで近づけてささやいた。

「ママとケンカしたおてんばなおんなの子がね、月夜の晩に、あのアーチをくぐって、ママのいない世界へ飛んでいっちゃうの。」

「ウ、ウソ。」

美月が窓の方へ逃げると、明日香はぐいっとからだを近づけてきた。

「でも、それだけじゃないわ。『おてんばさん』の精霊が現れて、おんなの子の願っているところへ連れて行ってあげるっていう話よ。」

「セイレイ?」

美月がまゆを寄せると、明日香はうなずいた。

「うちのおばあちゃんが言ってたわ。『おてんばさん』には精霊が宿ってる。満月の夜、お母さんとけんかしたおてんばなおんなの子がやってくると、どういうわけだか、その子のことが気になって現れる。そして、おんなの子が望むようなお母さんのところへ連れて行ってやるんだって。」

美月はごくりとつばを飲んだ。

「明日香はその精霊に会ったことあるの?」

明日香はおおげさにため息をついてみせた。

「あるわけないでしょ。人の話、聞いてなかったの? おてんばなおんなの子って言ってるじゃない。あたしみたいなおしとやかなおんなの子の前に出てくるもんですか。」

美月は口をとがらせた。

「じゃあホントかどうか、わからないじゃない。」

すると明日香は丸いメガネを光らせてニヤッと笑った。

「自分で行って確かめてみたら? 美月はおてんばなんだし。」

美月はムッとして背中を向け、窓の外を見た。

「おてんばじゃないもん、あたしも。」

だからその時は、次の日、自分が『おてんばさん』のところへ行くことになるとは、美月は思ってもいなかった。

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