第42話 虚弱聖女とプロポーズ
私が席に着くと、ラメンテが私の膝の上に乗った。
ふわりとした柔らかな毛が肌を撫で、お日様の匂いが鼻をくすぐる。彼の鼻先が、私の頬を突いた。
「レイの言うとおりだよ。何と繋がっていようと関係ない。セレスティアルは、僕の聖女だもん」
「ありがとう、ラメンテ」
ラメンテの首筋に顔を埋めた。視界の端で、ルヴィスさんやティッカさんが大きく頷いているのが見えた。
ふと視線を感じた。
視線の主は……システィーナ様?
彼女は私と目が合うと、艶やかな唇に笑みを作った。
そしてツィッと私からレイ様へと視線を移す。
「レイ王」
「なんだ、システィーナ殿?」
「今までの様子を見ていたがお主……中々面白い男じゃな」
今まであった威圧感は消え、どこか柔らかな声色が部屋に響く。女王としての立場ではなく、まるで一個人としてお話されているような印象の声。
だがレイ様は、特に気にされた様子はなさそうに、いつもの様子で快活に頷く。
「ああ、よく言われるぞ! ありがとう、システィーナ殿」
「陛下……それは褒め言葉じゃないですよ」
ルヴィスさんが控えめに忠告した。だけどレイ様は、ルヴィスさんの言葉が理解出来ない様子で、キョトンとされている。それを見たルヴィスさんが、大きすぎるため息をついた。
二人の様子を見ていたシスティーナ様が、大きく噴き出された。開いた扇で口元を隠しながら笑い、笑いが落ち着くと扇を閉じた。
閉じた扇の後ろから現れたのは、見る者の視線を奪う妖艶な笑み。
美しいと思う反面、何故か私の心がざわつく。
なんか、嫌な予感が――
「面白いだけじゃなく、肝も据わっておるな。どうじゃ? わしと婚姻を結ぶ気はないか?」
え?
これってまさか……プロポーズ?
システィーナ様の発言は、私の全身に冷たい水を浴びせたような衝撃をもたらした。
体から熱が引いていく。首筋から背中にかけて、寒気が走り、鳩尾当たりがズンッと重くなる。
レイ様は、国王様だ。
ルミテリス王家を発展させるご令嬢やお姫様と結婚するご身分の方だ。フェンレア王国の女王であるシスティーナ様なんて、レイ様のお相手として最高なのに。
胸の奥の息苦しさを隠すように、私はラメンテを抱きしめた。
もちろん、驚いているのは私だけではない。
ティッカさんは両手を口に当てて目を見開いているし、ルヴィスさんは戸惑いの表情を浮かべながら、レイ様の様子を窺っている。
当のレイ様はというと、システィーナ様を見つめたまま何か考えているご様子だ。だけど彼女を見つめる赤い瞳には、強さがあった。
システィーナ様のプロポーズを、真剣に考えているのだろうか。
私の口の中が、カラカラに乾いていく。
システィーナ様も、レイ様の強い視線に気づいたのだろう。彼から視線を外すと、妖艶な笑みから一転、初心な乙女のように頬を赤らめ、
「レイ王。そんなに熱く見つめられると、流石のわしも照れてしまうのじゃが」
と、恥じらいを見せた。
今まで威圧感をもっていた女王様ではなく、女性としてのお姿に、私ですら心がキュンッとなる。これがギャップというものなのだろうか。
システィーナ様の隣にいるルゥナ様が、ケッと小さく吐き出していたのが気になるけれど。
ここでレイ様がようやく口を開いた。
真剣で、しかし芯のある声が、私の耳に届く。
「……申し訳ない、システィーナ殿。あなたを一目見た時から、ずっと気になっていたんだ」
「ほう?」
「流石の俺も、もう我慢ができない」
レイ様は立ち上がると、ゆっくりとした足取りでシスティーナ様の方へと近づいた。彼とシスティーナ様との距離が縮まっていくにつれてに――私との距離が離れて行くにつれて、周囲の音が小さくなっていく。
レイ様とシスティーナ様しか、私の視界に映らなくなる。
システィーナ様は立ち上がると、レイ様を迎えた。
二人が向かい合い、見つめ合う。
レイ様がゆっくりと口を開く。
聞きたく、ない……
レイ様がシスティーナ様の想いに応える言葉を、聞きたく――
次の瞬間、レイ様は振り返り、ティッカさんに向かって叫んだ。
「ティッカ、今すぐ羽織るものを持って来てくれ! 全身を覆える長いやつをだ!」
「あ、は、はいっ!!」
レイ様の仰っている意味が理解できず、一瞬だけ固まってしまったティッカさんだったが、すぐに返事をすると、部屋を飛び出していった。
それを見届けると、ポカンと開いた口を扇で隠すことなく呆然としているシスティーナ様の全身に視線を走らせながら、レイ様が心配そうに問う。
「システィーナ殿を一目見たときから、その服の薄さがずっと気になっていた。もしかして南の国々は……肌をしっかり覆う服が作れないほど困っているのか? それとも、織物業だけが発展しない理由があるのか?」
矢継ぎ早に問うレイ様。しかしシスティーナ様は固まったままだ。
そんな中、
「陛下! お召し物をお持ちいたしました!」
上質な布で作られた長い上着をもったティッカさんが、息を切らしながら部屋に飛び込んできた。
レイ様はティッカさんに視線を向けると、レイ様の意図を汲んだティッカさんが一言を断りをいれ、システィーナ様の肩に上着をかけた。
システィーナ様の肌が布で隠れたのを見届けると、レイ様はしみじみと仰った。
「システィーナ殿、特に腹は出してはいかんぞ。腹には大切な臓物があり、体の不調に繋がるからな! あと、ちゃんと食べてるか? こまめに動いているか?」
「……おっ、お主は、わしの母かぁぁぁ!」
システィーナ様の閉じた扇が、レイ様の額にヒットした。パチンという音とともに、レイ様が額を抑えてうずくまった。
一国の主への無礼にヒヤッとしたけれど、本来止めるべきルヴィスさんがジト目でレイ様に向けているのを見て、システィーナ様の蛮行が認められるべきものだと悟った。
次の瞬間、
「おっっっもしれぇぇぇ、こいつ!! 完全に母――いや、ひっさびさに孫と会ったばーちゃんじゃん!! システィーナの色仕掛けに動じねぇの、大爆笑もんすぎるっ!! お前のこと気に入ったぞ、ルミテリス国王!」
ルゥナ様が全身を震わせながら大爆笑された。
額を抑えながら立ち上がったレイ様は、腑に落ちない表情を浮かべていた。完全に、何故扇で叩かれたのか、理解されていないご様子だ。
そんな彼の表情を見て、システィーナ様は深すぎるため息をついた。
「ったく……このわしが直々に婚姻を申し入れたというのに、お主は……女性に恥をかかせる気か?」
「いや、なんというか……言うなら今しかないなと……」
「……お主、空気が読めないってよく言われぬか?」
「言われるが、そもそも空気は読むものじゃなく、吸うものだろ?」
堂々と胸を張って返答をするレイ様。そんな彼の背後に、がっくりと肩を落とすレイ様の叔父――ローグ公爵の顔が見えたのは気のせいだろうか……
上着の前を閉じて露出を控えたシスティーナ様が、そっぽを向く。
「国では、わしの魅力に落ちぬ男はおらんかったんじゃぞ? こんな反応をしたのはお前が初めてじゃ、レイ王」
「なら、結婚相手は他にいくらでもいるだろ?」
「……じゃが、いざ婚約すると、どんな男も腑抜けになってしまってな。王配としてわしや国を支える器ではなくなり、結局婚約は破談となってしまうんじゃ……」
「そうそう! 『だめんず』製造機なんだよなぁ、システィーナは」
「……は? 今、何て言ったかのう、ルゥナ?」
ラメンテほどあるルゥナ様の首根っこを捕まえ、片手で持ち上げたシスティーナ様。そしてルゥナ様の鼻先すれすれまで顔を近づけ、低すぎる声で問うと、ルゥナ様の全身の毛が逆立ち、長い尻尾がだらんと垂れた。
「い、いやだなぁ、システィーナさん……お、俺は、システィーナさんがしっかりしてて偉いなーって言いたかっただけですよぉ……ほんっとシスティーナは凄いなあ、偉いなあー。こんな素敵な女性を選ばない男は皆、目が腐っていますなぁ……」
る、ルゥナ様……なんだかキャラクター変わってない?
だけど、
「うむ、よろしい」
システィーナ様は満足そうに目を細めると、パッと手を離した。しかしさすが猫型の守護獣様だ。音も立てずに着地をすると、何故か私の後ろに隠れてしまわれた。
小さな疑問はあるけれど、一番の疑問は、先ほどまであった鳩尾当たりの息苦しさが、何故か小さくなっていること。
そんな中、レイ様がシスティーナ様に向かって頭を下げた。
「申し出は感謝する、システィーナ殿。一国の主として相応しい品格をもつあなたを、俺は尊敬している。だが――」
レイ様は頭をあげると、真っ直ぐとシスティーナ様を見つめた。
「婚姻となると話は別だ」
「ふむ……しかしわしとの結婚は、この国のどの女子との結婚よりも、国益になるぞ? お主も国王ならば、国益を優先すべきでは?」
「そうだな。だが俺にはすでに、未来を共にしたいと思う相手がいる」
……えっ?
レイ様にはすでに……心に決めた相手――つまり好きな人がいる?
一瞬にして、全身から血の気が引いた。
少し軽くなったと思った鳩尾の重さが、何倍にもなってのしかかった。早くなった鼓動の音が、頭の中で鳴り響く。耳の奥が詰まったようになり、世界から音が消える。
「生涯の伴侶とは国益以前に、一人の人間として深い繋がりを持ちたいと思っている。そんな相手がいるのに、国益のためだと割り切って別の相手と結婚できるほど、俺は人間が出来ていない」
一旦、レイ様が言葉を切った。
そして深く息を吸い込むと、口を開こうとされた、
もしかして、ここでそのお相手が誰か発言されるの?
ラメンテを抱きしめる手が、耳を塞ぐために離れようとした。
が――
「よい、皆まで言うな、レイ王。実はもう相手は分かっておるんじゃ」
システィーナ様が右手の平を突き出し、レイ様の発言を止めた。レイ様の唇が、安心したようにほうっと息を吐き出す。
「そう、か。もうすでにシスティーナ殿には気づかれていたか」
「当たり前じゃ。お主の態度が他とは違ったからのぅ。どんなに鈍感な人間でも気づくじゃろて」
システィーナ様は両手を組み、自信満々に何度も頷かれた。そして扇を開き、口元を覆うと視線をその相手へ向けた。
「お主じゃろ? ――ルヴィス。わしはその辺も理解がある故、二人まとめて面倒をみるぞ?」
「「断じて違うっっっっっっ!!」」
次の瞬間、レイ様とルヴィスさんが顔を真っ赤にしながら、ほぼ同時に吠えた。




