ep.6 誓い
淑女らしくないなんて、どうでもいい。
リチャードが好きになったのは、そんな自分ではないから。
駆け寄るアリスティアをいつも優しく受け止めてくれていたのだから。
アリスティアはそれが嬉しくていつも走って飛び込んでいたのだから。
風に流される涙が、宙に舞う。
その度にリチャードとの思い出が駆け抜けていく。
悪戯っぽく笑う顔がアリスティアは大好きだった。
アリスティアに触れる手が大好きだった。
晴れ渡る空のような瞳が大好きだった。
泣いていると抱きしめてくれる優しさが大好きだった。
けれど、もう二度と見ることも触れることも出来ない。
アリスティアが愛した人はもういない。
もっと早く気持ちを伝えていれば違っただろうか、そう思ってももういない。
アリスティアがいくら後悔しても、リチャードは帰ってこない。
中庭を駆け抜けて、あの薔薇の前で立ち止まった。
この間まで、ここにいたリチャードを思い出す。
崩れて落ちてしまいそうな身体を心を、必死で奮い立たせた。
そして木の隙間から中に入っていく。
中にはジークフリードの言う通り、三十センチ四方の箱が置いてある。
その金具には鍵穴があった。
「リチャード様……」
鍵を持つ指先は震えて、鍵穴にささらない。
やっとの思いで鍵を回した。
「開いた……?」
けれど、ひとりで中を見るのは気が引けた。
アリスティアは髪を束ねていたリボンを解いてそこに鍵を通し、首に掛けた。
誰にも触れられないようドレスの中に仕舞い込む。
そこまでしてようやく箱を抱えて、アルトの元へ歩いた。
「あったんだね」
アリスティアは小さく頷いた。
代わりに持とうか、とはアルトは言わなかった。
それからリチャードの部屋まではひとことも言葉を交わさなかった。
部屋ではまだ皆が残っていて、リチャードもベッドに横になったまま。
その姿はまるで寝ているようで、現実味がない。
アリスティアは持ってた箱をサイドテーブルに置く。
そうして、静かに開けた。
中には複数の書類の束。
一通の手紙。そして小さな箱。
「私達はあとでいいのよ」
中身を見せようとしたアリスティアを王妃はそう言って止めた。
アリスティアは小さく頭を下げると、手紙を手に取った。
そこにはこの間と同じように短くアリスへと書かれている。
アリスティアは涙を堪えながら封を開けた。
『ごめんな、アリス。
俺が自分の気持ちに嘘をついてまで、婚約者にルティーア嬢を選んだのは不審な点があったからだ。
もしもの時のために、レストリング家の不正の証拠をアリスに託す。
おそらく奴らは勘付いている。
だから俺の口封じにかかるはずだ。
だから先に言っておく。
アリス、俺の妃になってくれ。
先に指輪も渡しておくからな?断れないぞ。
書類はなくとも心の中では俺がアリスの最初の夫だ。
それでもいいと、アリスを大事にする男と一緒になれよ』
手紙を握っているところがくしゃりとよれる。
「こんなの、こんなの……ないよ」
リチャードは殺された。
しかも、彼はそれを分かっていてこれを書いた。
ふつふつと怒りが沸き上がってくる。
呑気だった自分にも腹が立って、最後まで隠した彼にも腹が立った。
「国王陛下。リチャード殿下が命を賭けて集めたものでございます。どうか、どうか、彼の無念を……」
涙を堪えて箱に入っていた書類の束をがさっと掴んで、国王に差し出す。
「ああ、息子を奪った奴を許すつもりはない。
私が不甲斐ないばかりに……犠牲となったんだ。
徹底的に追い詰めると約束しよう」
「……もうひとつお願いがございます。どうか、私をリチャード殿下の妃にしていただけませんか」
「それはできかねる。
……貴女はまだ若い。寡婦にするわけにはいかない。それに亡くなった者と婚姻はできない」
アリスティアは箱の中から小さな箱を取り出す。
晴れ渡る空を閉じ込めたようなリチャードの色。
アリスティアが好きな色の宝石のついた指輪が入っていた。
それを自身の左手にはめた。
そしてリチャードの最期の手紙を国王と王妃に見せる。
「私は、心の中でだけリチャード殿下の妃なんて、器用なことはいたしかねます。
だから心の広い男性なんて一生見つからないでしょう。そうなれば、リチャード殿下のこのとんでもない願いは叶えられません。
ここに指輪もあります、誓いの証もこの場にいらっしゃる方々が証人ではないでしょうか?」
図々しいお願いをしている自覚はある。
王族と縁を結ぶことが簡単ではないこともわかる。
けれど、これがなければアリスティアはもう生きる希望を失うだろう。
「いや、しかし、公爵も反対するはずだ。
大事な娘が……」
「父上。僕からもお願いいたします。
僕の婚約者は決まっておりません。
いざとなれば形だけでも利用できます」
渋る国王の前に立ちはだかったのは、ジークフリードだった。
「けれど、殿下には想う人が……!」
「……それはもういいんだ」
ジークフリードは悲しげに瞳を揺らした。
兄にはバレバレだったみたいだけど、と呟いた。
自身に遺された言葉を反芻するように。
「ジークフリード……」
国王はグッと奥歯を噛み締めた。
「……ラーベルト公爵の許しを得てからだ」
「感謝いたします」
アリスティアは礼を尽くした。
そして、ベッドにいるリチャードのそばに立つ。
「素敵な贈り物をありがとうございます。
必ずお父様の許しを得て、本当にあなたの妻になります。リチャード様は正気かと怒るかもしれませんけれど」
アリスティアはリチャードの髪を手櫛で整えながら、続ける。
「けれど、リチャード様が悪いんですよ?
あえて手紙に書いたのでしょう?
けれどプロポーズしたからには、きちんと責任をとっていただかないと。指輪だけ左手になんて、酷い話はありません。
残念ながら証人はたくさんいらっしゃいます。
これでもっともっと心の広い方を探さないといけなくなりましたね」
温もりを失いつつある、リチャードの手を握る。
泣いても泣いても枯れない涙は、手を伝ってシーツに染みをつくった。
いつまでも涙を流すアリスティアをアルトが支える。
ジークフリードにはそれを見つめることしか、できることはなかった。