ep.3 特別
エリーヌがアルトと婚約したことにより、ジークフリード殿下の婚約者候補はアリスティアだけとなった。
――だから今後の計画を聞きたくてジークフリード殿下の執務室を訪ねたのだけれど。
「どうして、閉じ込められているのでしょうか」
アリスティアが部屋に入るなり、入れ替わるようにジークフリードが出ていった。
そして、扉をがっちりと閉められた。
しかも、部屋の中にはアリスティアのほかに先客がいた。
「まったくだな」
そう答えた声は呆れながらも笑いを含んでいる。
以前より短く切り揃えられた金髪と、昔から変わらない晴れ渡る青空のような瞳。
久しぶりにみるその姿にアリスティアの鼓動は早くなって、チクチクと胸が痛んだ。
「元気だったか?」
リチャードは、昔のようにニカッと笑いかけた。
けれど、以前のようにアリスティアの頭をぐしゃぐしゃと撫でる手はない。
「はい」
震えそうな声で、力なく答えた。
――もう、妹にもなれない。リチャード様が触れるのは、ルティーア様だけなのだから。
気づきたくなかった現実を目の当たりにしたことで、鼻の奥がツンと痛む。
アリスティアはそれを誤魔化すように瞬きを繰り返す。
「ご婚約おめでとうございます」
喉から搾り出した声は、また少し震えた。
リチャードの眉がピクリと反応するも、ありがとうと返すだけだった。
――私は、なにを期待していたのだろう。
たとえルティーア様がジークフリード殿下の元に行ったとしても、リチャード殿下が私を相手するわけないのに。
滲みそうになる涙を堪えて、リチャードに背を向ける。
そして扉の前に立ったアリスティアは、努めて冷静に声を張り上げた。
「ジークフリード殿下、そこにいらっしゃるのでしょう。ここを開けてください」
感情的になってしまっている声色に気づいたのか、焦った様子で解錠される。
その瞬間、アリスティアは飛び出た。
小走りすると、後ろから誰かの足音がついてきていた。
「アリスティア!」
足を早めたアリスティアは中庭に出たところで、振り向く。
追ってきたのは、やはりジークフリードだった。
「……どうして、あんなことを?」
「話をすれば、」
アリスティアにはジークフリードが自分よりも泣きそうな表情を浮かべている意味がわからなかった。
色々な感情がごちゃまぜで、声が震える。
これは八つ当たりだとわかっていても、アリスティアには止められなかった。
「殿下の……! 殿下のしたことは、私の傷口をぐりぐりと抉る行為です……!
もう放っておいてください!」
逃げないように掴まれていた手を振り解く。
昂る感情に涙が溢れ出た。
それを隠すようにドレスで拭って、背を向けて走った。
今度はついてくる足音はない。
――誰にも見られてはいけない。
アリスティアは以前リチャードと話していたことを思い出していた。
『中庭を抜けたところに薔薇が植えてあるのを知ってるか? その後ろには木が植えてあるんだが、その隙間から通るとそこそこ広い空間があってな。
俺は薔薇の秘密基地、と呼んでる。
アリスだけに教える秘密の場所だ』
悪戯っぽく話していたリチャード。
その話を聞いた次の日にアリスティアはこっそり探して見に行った。
だから場所も覚えていた。
目当ての薔薇を見つけて、ぐるりと後ろの木に回る。
隙間はあの頃よりも狭くなっていて、時の経過を感じさせられる。
けれど通れないほどではない。
アリスティアは身を屈めて幹の間を通る。
少しドレスが引っかかった気がするも、気にしないことにした。
中には一メートルほどの四角い空間が広がっていた。
真上からは陽が降り注いで、思ったよりも明るい。
丸まるように膝を抱えて座る。
すると、薔薇の横に置いてある箱が目についた。
アリスティアは両手ほどのその箱を手に取ってみた。
年月が経っているようで少しくすんでいたけれど、意匠は凝っていて高価なものだ。
その時アリスティアの心臓が嫌な音を立てた。
ここは、リチャードの特別な場所で。
これは、リチャードのものの可能性が高い。
金具はしばらく開けた形跡がない。
「……失礼します」
ごめんなさいと心の中で謝りながら箱を開けた。
中には封筒がひとつ。
それをアリスティアはおそるおそる手に取ってみる。
宛名には短くアリスへ、と書かれていた。
止まっていた涙がまた溢れ出して、封筒の字を滲ませた。
震える指先で封筒を開く。
『これを読んでいるということは、ちゃんと見つけられたということだな?
アリスはいつもこんな俺をヒーローだと言ってくれる。
だが、ヒーローにはヒロインが必要だと知ってるか?
ふわふわとしていても芯はまっすぐで素直に人を思いやる心を持つアリスはヒロインだ。
だから俺はアリスだけのヒーローになりたい。
だめか?』
ボロボロと涙が溢れ出て、どうにもならない。
この秘密基地の話をしてくれたのはいつだっただろうとアリスティアは考える。
三年は経っている気がした。
――けれどリチャード様は一言も、そんなこと言わなかった。
「妹じゃ、なかった……?
嘘だよ、どうして今さら……」
もう手遅れだとわかっている。
だから、この手紙は元に戻さないといけない。
この溢れる涙も、今日でおわりにしないと。
だから、今日だけは――。
アリスティアは口を押さえて、涙を溢れさせた。
涙も枯れ果てたころには、空には星が煌めき始めていた。
「みんな、心配してるかも……帰らないと」
そう思うのに、アリスティアの足は動かない。
外が騒がしくても、動く気にはならなかった。
◇◇◇◇◇
「殿下。アリスを知りませんか?」
陽が落ち始めたころ、ジークフリードの元を訪ねたのはアルトだった。
「……アリス?」
「まだ、帰って来てないみたいでして。
今日は殿下と会う予定でしたよね?」
「別れたのは……昼前だ」
ジークフリードは歯切れ悪く答える。
それを不審に思ったアルトは顔を顰めた。
「なにかあったんですね?」
問い詰めるようなアルトの口調に、ジークフリードは手を組み替える。
そして逡巡しながら、口を開いた。
「アリスを、泣かせてしまった。
私が兄とふたりにして閉じ込めたから……」
その端的な説明でアルトは大体の事情を察した。
ジークフリードがアリスティアを想ってしたことが、裏目に出たのだろうと。
意外と誠実なリチャードとアリスティアでは、最悪な状況にしかならないはずだから、とアルトは考えた。
「ハァ……アリスを乗せた馬車は帰っていない。
ということはまだ城内にいるはずです。
行き先に心当たりはありませんか?」
「……わからない。最後に見たのは中庭だった」
ジークフリードは睫毛を伏せてアルトと目を合わせない。
「殿下、探しにいきますよ」
「僕は行かない……アリスが嫌がると思う」
「では、第二王子殿下にお願いしましょうか?」
「そ、それは……」
煮え切らないジークフリードの態度に、だんだんとアルトの顔に怒りが浮ぶ。
「いつまでも、鬱陶しい!
傷つけたなら誠心誠意謝る、それしかない。
ぼやぼやしていると、先を越されますよ」
アルトは不自然に扉の方に視線をうつして言う。
誰かいるのかとジークフリードは扉を開けた。
すると、廊下の先に見覚えのある短い金髪がみえた。
「兄上……!? アルト、お前っ!」
「妹を想う兄心ですよ」
「……っ、僕も行く」
ジークフリードもアルトを引き連れ走り出した。
中庭を一通り見て回り、城内を回る。
ただ如何せん広いため、なかなか見つからなかった。
騎士を動かせばおおごとになってしまう。
それはアリスティアのためにも避けなくてはいけなかった。
中庭に戻った皆の上には気づけば星が出ている。
ジークフリードもリチャードも、お手上げ状態だった。
アルトはその後ろを静かについて歩く。
「兄上は、お戻りになられてもいいですよ。
アリスは僕が見つけます」
「いや、いい」
「ルティーア嬢がいらっしゃるでしょう」
「……俺は探しているだけだ。やましい事はない」
「そうでしょうか?
僕からはアリスが特別に見えますけど」
「――特別?」
リチャードは突然立ち止まって、ジークフリードの言葉を繰り返した。
そして悩んでいた顔をパッと上げて走り出した。
「兄上!?」
ジークフリードは慌てて追いかけた。
しかし、リチャードはそれよりも早く駆けていき、背の高い庭木に阻まれたことで見失ってしまった。