ep.1 婚約者候補エリーヌ
次はもうひとりの侯爵令嬢であるエリーヌ。
大人しい性格の彼女は、外出も少なく趣味といえば本を読むことらしい。
とりあえず仲良くなるために、アリスティアはラーベルト公爵家主催のお茶会に招待することにした。
侯爵家より上である公爵家の招待状なら断られないと踏んでの考えだ。
そして想定通り、参加の返事がきた。
ジークフリードから届いた手紙には、そのお相手にする予定の令息の名前が書いてあるはず。
そう思ったアリスティアは急いで封を切った。
そこに書いてあったのは兄の名前だった。
――次男であるアルトお兄様には、まだ婚約者はいなかった……はず。
言い切れない理由は、ここのところその手の話はアリスティアの耳には入ってこない。
だから正直詳しいことはわからなかった。
まずは婚約者の有無を確認するところ始めよう。
思い立ったら即行動、とアリスティアはアルトの部屋を訪ねる。
そして扉をノックしてアリスティアです、と声をかけた。
「やあ、アリス。どうした?」
アルトは耳まである黒い髪を軽くかけなおして言う。
まっすぐ見つめる碧眼はジークフリード殿下のものより濃くまた違った魅力がある、と巷では言われているのを知っている。
アリスティアは複雑な気分で兄を見上げた。
茶髪にヘーゼルの瞳をした平凡な容姿のアリスティアとは、大違いだからである。
返事をしないアリスティアに「入る?」と言ってくれたので、遠慮なく部屋のソファに座った。
アルトは机の上に広げていたらしい手紙を、雑に引き出しに入れてアリスティアの前に来た。
「で、何かあった?」
「最近アルトお兄様と話す機会がなくて、寂しかったんです。まさかお兄様に婚約者が決まったのではと……」
アリスティアは悲しい顔をしながら、直球で尋ねる。
「まさか。まだ決まってないよ。
それに想う人がいるんだけど、なかなかね。
アリス、聞いてくれる?」
アルトは悲しげな顔をして話し出した。
以前王宮で見かけた御令嬢に一目惚れしたけれど、それ以降は出会うこともできず悩んでいるという。
「どこのご令嬢ですか?」
「サルバード侯爵家のエリーヌ嬢だ」
アリスティアは驚きに一瞬声を失った。
そのエリーヌこそ、今まさにくっつけようとしている侯爵令嬢だったから。
これは幸先がいい、と意気揚々とお茶会の話をし始めた。
「実はお茶会を開こうと思っていまして!
そのお茶会でお近づきになるのはどうでしょう?」
というよりなってもらわねば困るのは、アリスティアである。
「随分と突然だね」
わずかに目を見開いたアルトは笑みをこぼす。
そしてまた軽く笑いながら続けた。
「近頃のアリスは楽しそうだし、もしかして恋人でもできた?」
「え、ないけれど」
「ちょ、真顔はやめようよ」
さすがに気の毒でしょとアルトはつぶやく。
「どうして?」
「……いや、アリスは相変わらずリチャード殿下を?」
「お兄様は昔からご存知ですよね。
よそ見したことはありません」
「ジークフリード殿下は? 仲良いよね?
リチャード様みたいな男らしさは……ないけど」
「けれど御令嬢方には人気ですよ」
「それは見目が良いから、ってそうじゃなくて……」
アルトはため息をつきながら、ちらりと机を見た。
そうして、アリスティアの顔を見てまたため息をつく。
「まあ、お茶会の日を楽しみにしてるよ」
――準備は整ったわ。
アルトからの言葉により気合いの入ったアリスティアはいい気分で部屋に戻っていった。
お茶会当日。
エリーヌはそわそわした様子で邸を訪れた。
アルトが一目惚れというだけあって、エリーヌはかなりの美人だ。
まっすぐに下されたアリスティアと同じ茶髪はさらさらと風に靡く。
こんな美人に婚約者がいないなんて、どうしてだろうとアリスティアも思っていた。
しかしすぐにアリスティアは気づいた。
エリーヌはお茶会の間ほとんど喋らず、話しかけられば返事はするけど、それだけだ。
人見知りなのか、まるで絵のように固まっている。
お茶会で仲良くなって、後で部屋にお誘いする予定だったけど、これでは難しいとアリスティアは思い始めていた。
そろそろお開きになる頃、アルトが姿を見せた。
太陽の下で見るアルトは美青年ぶりが増して周りのご令嬢が色めきだつ。
そんなアルトはアリスの方に向かってきた。
「アリス、友人を紹介してくれるって言ってたよね?」
そんな予定ではなかったけれど、兄なりに助け舟を出してくれたのかもしれないとアリスティアは乗った。
「はい!
今お部屋にお誘いしようと思っておりましたの!」
アリスティアはくるりとドレスを翻して、振り向いた。
「エリーヌ様、ぜひお部屋の方でお話ししませんか?」
アリスティアが誘えば皆の注目が一気に集まる。
すると、エリーヌはそわそわしながらも頷いた。
エリーヌにソファーを勧める。
アルトは部屋に入るなりアリスティアの隣に腰掛けた。
エリーヌはかなりの緊張なのか、俯きながら手を握りしめている。
「はじめまして。
私はアルト・ラーベルトと申します」
アルトは輝かんばかりの笑顔で挨拶をした。
エリーヌはその顔をポーッと見つめてから慌ててはじめまして、と名乗っていた。
その後もアリスティアの存在はないもののように、ふたりで会話をし始めた。
最初は上手くいっている状況に喜んだけれど、さすがにいたたまれなくなっていた。
こっそり逃げても、とも考えたけれどそれではこの作戦の状況がわからなくなる。
アリスティアは空気になろうと息を潜めた。
ふたりは今度街に出掛ける約束をしているようだ。
聞き逃してはいけない、とアリスティアはさらに聞き耳を立てた。
どうやらふたりは次の休みに街に本を買いに出掛けることになったらしい。
エリーヌは読書が好きとの事だったので、アルトが合わせたのだと思われた。
――さすが、お兄様だわ! 展開がはやい。
ただお邪魔な気がしてならなかった。
約束を交わしたふたりはエリーヌがそろそろ、と言うまでアリスティアそっちのけで盛り上がっていた。
エリーヌを見送りながら、横目でアルトを見る。
頬を緩めて手を振っていた。
どちらかというと軽薄な印象のあるアルトが、こんな表情するところを初めてみた。
恋は人を変えるとは本当らしいとアリスティアは嬉しくなった。
――私もいつかはリチャード様と……。
アルトが伺うようにじっと見ていることにはアリスティアは気づいていなかった。
部屋に戻ったアリスティアは、さっそくジークフリードへの手紙をしたためた。
お茶会でふたりが出会って会話も出来たこと。
そして次の休みにはふたりで街に出掛けるらしいということを手紙に記す。
次の日ジークフリードからの返事がきた。
アリスティアひとりでは危ないということ。
そして不測の事態に備えるために、ふたりでついて行こうということが書かれていた。
アリスティアは悩むことなく、承知しましたとすぐに返事を返した。