プロローグ 婚約者候補ルチア
「貴女の事が好きになってしまいました。
どうか、私の婚約者になっていただけませんか?」
紫色の瞳をした女性の前に跪いているのは、背が高く、眼鏡をかけた冷徹そうにみえる男性だった。
お互いに熱っぽい瞳で見つめ合っている。
窓から朱色の夕陽が差し込み、まるで演劇のラストシーンのようだ。
――うんうん、これで良し!!
図書の棚に身を隠し、互いに手を握り合っているのを確認する。
そしてアリスティアは喜びに手を合わせて、急いでその場から立ち去ることにした。
これ以上ここにいても恥ずかしいやりとりを見せられるだけなのだから。
アリスティアがどうしてこんな怪しい行動をしながら、ふたりの恋を喜んだのか。
その理由は数日前に遡る。
◇◇◇◇◇
「君は、図書館に通うのはどうかな?
明日から毎日十五時に、図書館に通って『聖書』を読む。それをひと月続けたら、考えるよ」
肩まで伸びた癖のある金髪をゆるく結んだ美青年が、アリスティアの目の前に座る侯爵令嬢に言い放った。
ここはスカリアス王国の王宮の一室。
麗しいと噂の第三王子ジークフリードの婚約者候補が集められていた。
このお茶会で交流を深め、最終的にはジークフリードが婚約者を選ぶという流れだ。
婚約者の候補に上がっているのは、アリスティアを含めて御令嬢三名。
貴族の中でも高位にあたる、公爵家、侯爵家の中で年齢が近く婚約者のいない者となれば多いほうなのかもしれない。
十八歳ともなれば、婚姻する者もいるほどだ。
よってここに集まっているのは、少々訳ありと思われても仕方がなかった。
特に熱心に話しかけていたのが、先程の御令嬢。
侯爵令嬢であるルチアは派手な化粧に凝ったドレスと装飾品で着飾る。
菫色の瞳はぱっちりと大きく鼻筋の通った小さい鼻の美少女には、少々くどい。
巻の強い蜂蜜色の髪も、それに一役買っている。
ただ残念なことに、本人だけがその見た目で損をしていると気づいていなかった。
そしてそれをゆったりと紅茶を楽しみながら眺めているのが、アリスティア。
ラーベルト公爵家の娘である。
そして、件の第三王子の協力者だった。
実はアリスティアと第三王子ジークフリードは、とある計画の真っ最中だった。
ひと月前、第二王子リチャードの婚約が発表された。
そのお相手はルティーア・レストリング、伯爵家の御令嬢だった。
幼い頃よりリチャードに恋心を抱いていたアリスティアは、突然の失恋にかなり落ち込んでいた。
そんな時にアリスティアに声をかけたのがジークフリードだった。
アリスティアはリチャードに、ジークフリードはルティーアにそれぞれ横恋慕していた。
だから、この婚約者候補たちを別の令息に押しつけて最後に残ったアリスティアはリチャードへ。
ジークフリードはルティーアへ想いを伝える、そういう計画だった。
その婚約者ことルティーアはジークフリードに気があるとの情報をアリスティアは手にいれていた。
けれどそれはまだ彼には秘密だ。
知らない方が嬉しいだろうという、アリスティアの判断だった。
そんなふたりが今排除しようと狙っている相手こそ、先ほどのルチアだった。
あまりの押しの強い見た目に、なかなか男性陣は靡かずここにいる。
相手として挙げられたのは、伯爵家の御令息。
眼鏡をかけたいかにも真面目そうだけど、顔も整っている。
ジークフリードの身辺調査もクリアした優良なお相手だった。
ただその男性の好みは、清楚な女性で。
しかもよく行く場所というのが図書館だった。
だから、ジークフリードはルチアに図書館で聖書を読むという条件を出したのだ。
場を整えるのはジークフリードの役目。
そこから上手くことを運ばせるのはアリスティアの役目だ。
次の日からルチアは、真面目に図書館に通い始めた。
そこでアリスティアは、図書館には派手な格好や化粧で行くのは控えたほうがいいとアドバイスをする。
すると、濃い化粧をやめてすっかり別人の美少女になったルチアは、男性陣の視線を独り占めだった。
そして相手の伯爵令息には、ルチアはこういった場に慣れていないので……と気遣ってもらうことで庇護欲をそそる。
あっさりとルチアの虜になった彼は、わずか八日間で婚約に漕ぎ着けたのだった。
そんなに簡単に好意を持たせることができるのか疑っていたアリスティア。
今回の結果には驚きが隠せなかった。
まあ今回は大半がルチアの美貌のおかげであることも、アリスティアはわかっている。
あの濃い化粧の下の素顔が、可愛すぎたのだから。
あのジークフリードでさえ、もったいないことをしていたねと、こぼしていたのだから。
対象はあとひとり。
ここからアリスティアの物語は始まることになる。